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『山彊創作 名古屋妖怪画集』より ⑪⑫

『山彊創作 名古屋妖怪画集』より ⑪⑫

 名古屋の妖怪銀座(尼ケ坂近辺)に跋扈する妖怪を⑦~⑩と紹介してきたが、今回は妖怪街道をさらに東に進んだ徳川園付近の妖怪を2つ紹介したい。

⑪光友カラス天狗
出現場所:片山八幡神社や山田宅付近


烏天狗のお面
 僕の大学1年の時、初めて寄った名古屋駅前の骨董屋に置かれていた30㎝程のカラス天狗のお面が目に留まった。何故かとても気になり、当時大学生になったばかりでお金も無かったのだが、最初の家庭教師の謝礼など有り金をはたいて買ってしまった。
写真右:我が家の応接間にあるカラス天狗のお面
 何故、高価なお面をあの時無理して購入したのかわからない。このお面、今でも我が家の客間に僕が旅先で買ってきた東南アジアやアフリカのお面、40面程と並んで飾られている。日本の物はこれただ一つだ。

 太平洋戦争で徳川園のあたりが燃える前、現在の僕の家の直ぐ西に土居下同心の末裔であり、名古屋についていろいろ書いている岡本柳英さんが住んでいた。明治になって土居下同心は名古屋城東の同心屋敷を明治政府軍に追い出され、沼を整地したこの地に住んだようだ。彼の家のまたすぐ西(現在片山八幡神社の東)には尾張徳川2代藩主の光友が建てた「烏天狗の社」があったという。5m平方の土地に2mほどかさ上げした社だったとか。

 この社は光友が江戸から尾張に帰る途中、箱根の山中で見た夢が元であるという。「金城温古録」によると、光友の夢枕に烏天狗が現れ「しずめ、しずめ!」とすごい形相で言ったという。帰国後山伏に尋ねると「同じ烏天狗を作って崇めなさい」と言われたとか。即等身大の烏天狗を造らせて城内で展示させた。だがあまりのリアルさにお女中の卒倒がつづいたため、やむなく片山八幡神社のすぐ東(妖怪街道の際)に社を建て奉納したという。片山八幡神社は継体天皇の御代511年創建だが、荒廃していた神社を光友が再建し、尾張徳川家の氏神となっている。

 1919年、その東を市電が開通することになり、「烏天狗の社」は壊された。僕の生まれる20年前のことだ。烏天狗のお面を買った時の僕はこんな由来を全く知らなかったのだが、このことを知り、なぜ僕が衝動買いに近い状態で烏天狗のお面を買ったのかと考えると不思議な縁を感じ、少し怖くなった。本当に妖怪がいるのかもしれない。
僕が創り出した「光友カラス天狗」は、より強い守り神に見せるため劇画タッチで描いてみた。


⑪光友カラス天狗

光友カラス天狗

⑫「妖怪・六所社マムシ」
出現場所:妖怪街道全般


 現在の我が家からほぼ真北1キロにドラゴンズの選手も戦勝祈願で訪れる六所神社がある。ここは毎年2月26日に祭礼(別名「カッチン玉祭り」)があり、竹の棒にテニスボールほどの飴が巻き付いた「カッチン玉」と呼ばれる参拝土産が売られている。200円から2000円位までの値段。
写真右下:カッチン玉祭りの飴 

カッチン玉飴
 この飴の形、今ではへその緒に似ているから安産祈願の飴と言われている。へその緒説にすると安産祈願につながり飴が売れ、お賽銭も入るから神社にとってはいい。しかし一説には、昔この付近は薄暗い森でヘビなども多かったから松明が必要でそれを形にしたのではないかとも言われている。飴に赤,青、黄色の色がカラフルに塗ってあるから松明説もうなずける。だがてっぺんに丸く巻き付けられた飴の先が蛇のように棒に巻き付いた下部は説明しにくい。この形、戦前悪ガキに連れられて一度だけ妖怪街道に入りそこで捕らえたマムシそっくりではないか。首を竿で挟むと体は竹に巻きつく。口を開くと中は真っ赤。僕はカッチン玉はマムシから来ているのではと考えた。

山八の屋号の入った酒の壺

 この六所神社は片山八幡神社の管轄。片山八幡神社は戦争前まで山田家(屋号、山八)が、全氏子総代をしていた。戦争前にこんな飴が売られていたかもちろん聞いたことはないが、僕の毒蛇説は当たっているような気がする。
写真左:「山八」の屋号が入った酒の壺、僕の祖父は山田本家から支店を出してもらっているために支店の文字が壺に見られる


 このひらめきから「妖怪・六所社マムシ」のアイデアが生まれた。売られているカッチン玉はカラフルだが、この妖怪は黒色と水玉でまとめてみた。おでこからは6個の骸骨頭が出ている。お土産のカッチン玉にもたくさんの顔らしき物がついている。無論僕の絵の様な妖怪にしたら売れないであろうが。



⑫「妖怪・六所社マムシ」

妖怪六所社マムシ
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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