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『山彊創作 名古屋妖怪画集』より⑤⑥

『山彊創作 名古屋妖怪画集』より ⑤⑥

僕が出版しようと思っている『山彊創作 名古屋妖怪画集』から前回に引き続いて僕のオリジナル妖怪を2つ紹介させていただく。

⑤妖怪名古屋嬢
出現場所:名古屋全域

 名古屋女の妖怪性は暮らしてみないとわからない。ブランド好きなのに、夫に本マグロはまず食べさせない。きはだマグロで充分と思っている。名古屋嬢は多くが髪をカールしている。これを名古屋巻きというそうだ。僕にはメデューサ巻きに思われる。僕の教えていた名古屋の名門女子大でゼミ最中に僕との話しで出た驚きの内容を1つ。「先生彼氏できた。早く結婚したいわ」。僕が質問「彼氏も学生なんだろう。どうやって食べてくの?」「お父さんがいるじゃない」。これが名古屋嬢の1つの典型。
 僕の曽祖父は瀬戸電(現名鉄瀬戸線)を引いた初代関係者の一人。そのため大叔父は駅長に就任していた。ここには娘が3人もいた。結婚には相当の支度金がいる。長女だからと頑張ったら、妻から次女、三女も同じような仕度をさせよと言われ、叔父は会社の金を流用してしまった。これが発覚し、一家は破産。日頃はつつましい妻も冠婚葬祭となると妖怪化する。

 明治・大正の頃、名古屋は美人の産地として東京でも知られていた。新橋の芸者はほとんどが名古屋出身だったと言われている。尾張名古屋は娘に芸事としてお茶お花、琴や三味線を習わせる習慣を持っていた。だからすぐにつぶしが効いたからかもしれない。だが明治から発行されていた中央公論によれば、彼女らは美人でもあったらしい。中央公論には名古屋美人の定義まで記してある。「裕福であるこの地は、食べ物をよく調理して食べるため、頬骨やえらが張ることなく丸みを帯び、噛む必要があまりないから口が小さく歯は少し出ぎみである」という。大正の雑誌「婦人世界」にも同じようなことが書いてある。


斎籐きち19歳
 さて僕の「妖怪名古屋嬢」は、美人芸者といわれた「唐人お吉」をモデルとしている。
写真右:斎藤きち19歳
 1841年に南知多の内海で船大工の次女として生まれ、4歳の折家族そろって下田に移住し、その後芸者になる。その当時アメリカの総領事ハリスが病気で寝込んでいたためその世話をする看護婦としてハリスの世話をするよう役人に説得される。当時看護婦の概念がなかった日本ではそれは異人の妾となることと周りは理解した。ハリスが回復するとまた芸者に戻るが、毛唐の妾、唐人お吉と蔑みの眼で見られ、酒におぼれる様になり最後は物乞いを続けた後、身投げして自殺してしまう。彼女をイメージにそして名古屋美人の定義を参考にして『妖怪名古屋嬢』を描いてみた。



⑤妖怪名古屋嬢

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⑥妖怪茶碗叩き
出現場所:尾張地区

 食事中「箸で茶碗をたたくと幽霊が出てくるよ」といつもお袋に言われたものだ。この地では月経(つきぎょう)と言ってお坊さんが月に1回、その家の誰かの命日にお経をあげにやって来る。子供だった僕は茶碗と同様、木魚や鈴(りん)をたたいて亡くなった人を呼び出すのかと思っていた。お経が始まると子供たちは仏壇の前に座らされる。そこで見る光景はこれが幽霊の分身かと思ったものだ。お坊さんの叩く木魚に合わせ、炊いてある線香が微妙に揺れる。それがある時は顔にある時はおケツに見える。まあこれがこの地区の子供達の最初の幽霊との出会いかもしれない。今回の作品「妖怪茶碗たたき」はその時のイメージから生まれたものだ。

 又こんな経験も僕の幽霊体験の一つだ。小学生のころ家が戦火で焼かれたため、一時住まいをしていた我が家の30メートル東に病院の焼却炉があった。夏に玄関でへぼ将棋をしていると、その焼却炉から出る煙が線香の煙に似ていてぞっとしたものだ。今では考えられないが、死んだ人間の手足や体を燃やしていた。ある時などその焼却炉から火の玉が飛び出し、仰天したこともある。翌日焼却炉を覗きに行くと燃えた灰の上に新しく切り取った足等が無造作に掘り込んであった。

天童寺境内
 ところで木魚のルーツは17世紀に隠元禅師が中国から日本に持ち込んだ魚板だという。7、8年前僕は雪舟研究のため中国寧波の天童寺を訪ねたことがある。ここには大きな魚板が掛かっていた。
写真右:天童寺(上)と魚板(下)
 何に使うのか尋ねたら「人を集めるためと、昼夜寝ることも忘れ修行するためのものである」という。魚は目を閉じることはない。僕も一応叩かせてもらった。

 この帰り東16キロにあるアショカ寺にも寄った。インドのアショカ大王の流れをくむ寺で1700年の歴史がある。ここは建物の修復の最中で堀りおこされていた。丁度昼食中なのか誰もいなかった。堀り出された泥の中に陶器のかけらが一つ見つかった。先程、木魚を叩いたから1700年前の亡霊が僕に与えたのかもしれない。有り難く拾って帰った。
 「妖怪茶碗叩き」には子供の頃の思い出やこれらの経験から感じたものも込められている。


⑥妖怪茶碗叩き

妖怪茶碗叩き

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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