妖怪屋敷 第4弾 椋の木の霊

妖怪屋敷 第4弾
名古屋市東区橦木町の私有地にある直径3m程の椋の木は何故伐られないのか?

撞木町椋の木
 東区の撞木町には大きな椋の老木がある。写真右:東区撞木町にある樹齢1000年以上と思われる椋の木
樹齢で千年は超えているだろうこの大木は、更地になった旧家の跡に唯1本だけ堂々と居座っている。隣には日本料亭の『太閤』がある。ここの社長はライオンズクラブに所属していて、僕を講演に呼んでくれたりしてお世話になっている。椋の木が残るこの土地は『太閤』のすぐ隣で、その縁もあり今は『太閤』の駐車場として使われている。
 ある時太閤の社長が「太閤の駐車所として借りている土地を、土地の所有者が売りに出すのでどいてほしい」と言われたと悩んでいた。駐車場あっての料理屋で無くなったら大変と、周囲の空き地をあちこち全て借りてそれに対処していた。ところが2年後、また『太閤』の駐車場として使われ出した。その土地が売れないそうなのだ。売れない理由はどうも椋の木にあるらしい。土地を買った後、邪魔になる木を取り除こうとしても伐れないようなのだ。
 何かあると感じた僕はすぐ調べてみた。この場所は教え子の妖怪バスターに言わせると名古屋城と徳川園を結んだ中程にあり、正しく妖怪の影響下にある場所だそうだ。この椋の木は名古屋城のすぐ東南にある金明龍神社の椋の木に次ぐ名古屋では2番目の古木らしい。伐る事ができないのはこの木の生えている場所にどうも問題があるようだ。672年に起きた天下分け目のあの『壬申の乱』の折り、ここで大海人皇子と大友皇子の軍がぶつかり数千、数万の死者が出たという。負けた大友軍は一人残らず処刑されたとか。これらの亡きがらがこの木の周辺には数限りなく何層にも埋められているという。ここから東南20mの所にはそれらの亡きがらを供養する『おとも塚』もある。言い伝えによるとこの周辺の木を切った者は不思議な病に罹りすぐ亡なってしまうらしい。この何千、何万人の血を吸って育った巨木だから、伐られることのないよう画策するのだろうか。その土地が売れなかったのは木の怨念を皆が恐れるのか、それとも椋の木の霊が売れないように裏で画策しているのか。
 
東片端の巨木
 このあたりは江戸時代、上級武士の武家屋敷がまとまって建ち、明治以後は豊田一族や、あの福沢桃助と貞奴もこの巨木の近くに住んでいた。きっと過去を知る彼等はこの木を怖れあがめたに違いない。この周辺には同じような謂われで伐れなくなり道路の中央に今でも立っている巨木がある。その木は東区東片端交差点の北数mの41号線の道路の真ん中にある。写真左:東区東片端交差点北に伐られずに繁る古木
半世紀も前、伐るか切らないかでもめたことが小学生だった僕の耳まで伝わってきていた。道路拡張に伴って民家の庭にあったのが道路にかかってしまったのだ。名古屋市側としては41号線に完全に引っ掛かるので当然伐るつもりだったらしいが、住民たちは許可したら、自分等にもたたりがあると言って強引に反対したらしい。本当に信じられないくらい道のど真ん中の生えている木だ。
 おもしろいことにこの巨木によって殺風景な街角が、潤いのある僕の一番好きな風景となっている。何か我が家の小さな庭と似ているような気がしてこのすぐ東南のコーヒー店には一番よく通うし、本屋も作品に使う紙もこの100m以内で買いそろえている。どうも僕もこの木から逃れられなくなっている。噂によると以前この木を切ろうとした作業員が5人も亡くなっているという。第二次大戦の折も爆弾はこの木を避けたと言い伝えられている。ちなみにこの近くにあった我が家は2度にわたって米軍の焼夷弾の直撃を受けている。 

金城学園高校前の古木
 ちなみに椋の木は、木偏に京と書き神の座になるという意味だそうで、昔は一里塚として植えられたという。秋になると黒い実がなって小鳥たちも集まり、往来の旅人も疲れてひもじくなったらこの実を食べ、木の根元で涼を取っていたという。その涼の字から椋の字が付けられたともいう。もう一つの謂われとして昔の歌に「京から退いても椋の木は退かぬ」というのがあるそうだ。
戦いに負けたり、商売で失敗して京を去っても椋の木だけはそこにあり続けると言う意味で縁起のいい木でもあったようだ。直ぐ近くの金城学院高校の前にも同じように老木が残っているから観るといい。これもまた東片端ほどではないが歩道から道路にはみ出しており、そこだけ歩道と車道が曲線になっている。

写真上:東区金城学院高校の校門前にあり、道路まで飛び出している古木
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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