「北斎 だるせん!」展始まる

「北斎 だるせん!」展始まる
図録がすごい。是非購入を!

だるせん!北斎図録表紙
場所:名古屋市博物館
期日:11月18日(土)~12月17日(日)


 「また北斎展か、もう十分だ。また富嶽36景などが展示されるのだろう。画集も何冊かあるし」と思ったが、北斎というネームバリューには勝てず、僕はまた出かけた。だが本展の図録(写真右)を手に取りオッたまげた。すごく凝っているのだ。まず装丁が江戸時代の草子物に似せて各ページが二つに折られた袋綴じになっており、綴じは糸で縫ったように見えて開く前から興奮する。

古く見える綴じ本(高力猿猴庵著)
 また古く汚れた感じのとじ込みの小誌も図録内にあってまた感激する。今まで美術館が発行したどの図録とも違う。
写真左:図録内に挟み込まれた小冊子、高力猿猴庵が北斎の大だるまイベントの様子を詳しく絵入りで書き留めたもの

 この展覧会はこれまであまり重きを置かれていなかった北斎と名古屋の関係に焦点を合わせている。だから図録内容は、丁度200年前の1817年、北斎が58歳の折に名古屋にやってきて、自分の本の宣伝のため大須の本願寺西別院で行ったイベント等が中心になっている。120畳(18m×11m)の和紙に描いただるま絵の大イベントの検証や、その他名古屋で描かれた北斎漫画や名古屋の本屋永楽屋など名古屋人との交流などが書かれている。
 「だるせん」とは大だるまを描いた北斎に熱狂した名古屋の人々が北斎を「達磨先生」ともてはやしそれが略されて「だるせん」となったとのこと。この巨大作品イベント、江戸音羽の護国寺でも1804年に行われているが、江戸から離れた名古屋ではこのような変わった発表が少なく、お江戸から来た有名人のパフォーマンスに人々も非常に驚嘆興奮し、大いに宣伝効果があったことが分かる。

北斎漫画第8編より
 今回の展覧会では、富嶽36景などに劣らずすごいと僕が思っている北斎漫画にも焦点が当てられている。
写真右:北斎漫画より 北斎のずば抜けたデッサン力が分かる
というのは北斎がこれを描いたのは53歳の折でしかも名古屋でのことだからである。上記の大だるま絵のイベントはこの北斎漫画を売り込むためのプロモーションパフォーマンスだったのである。北斎漫画は大人気を博し、15編まで増刷している。江戸の版元の角丸屋甚助と名古屋の版元の永楽屋東四郎と組んでやったのだ。北斎は北斎漫画を名古屋市中区の名古屋市美術館の東に住む牧墨僊の屋敷に居候して描いたらしい。北斎は名古屋が気にいって「ここはおれの体に気候も食べ物もあっている。だから死に場所としてもいい」とまで言っていたそうだ。きっと食べ物もおいしかったに違いない。

 余談だが、この北斎の言葉を使い名古屋の食べ物を宣伝してみたらどうだろうか。ご存知だろうが、「1000〜1999年に世界へ最も功績のあった人ベスト100人」の中に日本人では北斎だけが選ばれている。そこで名古屋人は「日本一世界で功績のあった北斎がおいしいと言った名古屋めし」とでも銘打って売り出してはどうか。また彼が居候していた牧墨僊の屋敷から大須までは数百メートルだ。きっと北斎も大須観音へ出掛けういろうを食したに違いない。これも使わない手はない。例えば「大須北斎ういろう」というネーミングでういろうを売ってみたらどうだろうか。ういろうは白と青の波状のものにし、パッケージまたは包装紙はあの「グレートウェーブ(神奈川沖浪裏)」のデザインを取り入れる。大須へは外国人もたくさんやって来る。今や北斎のグレートウェーブは世界的に有名だから、包装紙欲しさに買う人も多いのではないか。そして北斎と名古屋の関係も知ってもらえる。僕のニューヨーク個展でもあの「神奈川沖浪裏」を取り入れ、上に妖怪コウモリを描いた作品を展示したら訪れた外国人すべてが足を止め、“Oh, Great Waves!”と反応を示していた。又僕の個展を知らせる現地の3社の新聞でもこの絵が使われた。

『きしめん紳士が行く』と『ナゴハラ』
 実は僕は大須ういろうには思い出がある。40年以上も前のことだが、先日亡くなった風媒社の稲垣さんに連れられ、大須ういろうの社長室へ行き僕が出す『きしめん紳士が行く』(風媒社)というタイトルの本のアイデアをもらったことがある。又次に出版した『ナゴハラ』(名古屋ハラスメント)には表紙帯文を書いてもらったりしてすごく可愛がってもらった。この本、生まれて初めてベストセラーの8位になり、朝日新聞で紙面の半分を使ってPRしてもらった。もし僕の考えた「大須北斎ういろう」がヒットしたら、あの世で山田昇平社長が喜んでくれるだろう。
写真左:僕の著書『きしめん紳士が行く』と『ナゴハラ』

富嶽36景尾州不二見原
 図録に話を戻すと、最後の方には、北斎の代表作『富嶽36景』の内の一枚『尾州不二見原』に関して、江戸時代からの疑問「名古屋の富士見町(不二見原)から本当に富士山が見えたのか?」の検証がしっかり行われている。
写真右:北斎画『富嶽36景 尾州不二見原』
この絵の場所、不二見原は上前津から金山へかけての丘陵地帯で、たとえ現在のように高層ビルがない江戸時代でも、この場所からは見ることが不可能だと科学的調査で証明している。1100m以上の上空でないと見ることは無理であるとか。それでもこれまで見えていたという証言があるのは、富士の手前にある聖岳の3013mを富士山と勘違いしたのであろうと書いてある。

写真下左:黒枠内が江戸時代富士山が見えると言われていた富士見町(不二見原)
右:高力猿猴庵 「富士見原真景之図(部分)」猿猴庵が尾張藩重臣山村氏より依頼されその下屋敷庭園からの眺望を描いたパノラマ図 確かに富士山が描かれている。

富士山が見えたと言われる名古屋の富士見町 富士見原真景之図(部分)
 北斎は大きな桶の円を通して小さく見える富士の奇抜な構図で描いている。絵が面白くなるのならいくらでもアイデアを出して創作しようとする‘アーティスト’北斎の意欲がうかがえる。

 このような名古屋に焦点を当てた素晴らしい図録が作れたのは、この北斎展がこの地だけの展覧会であることが第一の理由だろうが、それにもまして博物館の職員のやる気があったからであろう。面倒なことは避け、業者任せにするという手抜きがない。この手の図録は写真が中心だが、この図録は比較的文字部分が多い。しかしマンガで描かれた北斎や永楽屋、墨僊、猿猴庵などを登場させ、名古屋弁で分かりやすく面白く解説して読みやすくなっている。学芸員の皆さんのアイデアが詰っていて、やる気満々の副館長をはじめ皆さんの努力がひしひしと感じられる。
 副館長は以前名古屋市美術館でも副館長をしておられ、ピカソ展の折僕は彼から講演を依頼されたことがある。僕がピカソに関す『「ピカソはやっぱり名古屋人』を出版した後だったと思う。かつての「ゴミ裁判事件」以来、反体制的だという噂が残っていた僕に公立の美術館であるにもかかわらず声をかけてくれたのだ。300人程入れる講演会場に立ち見がでるほどの観客が入り、副館長にも喜んでもらえ、僕も嬉しかったことが記憶に残っている。

展覧会場の大だるま絵の前で記念撮影
 図録の話が中心になってしまったが、展覧会場もいろいろお楽しみがある。北斎の描いた大だるま絵の実物大のコピー作品が会場内に展示してあり、その上で大箒を持ってだるまを描いている北斎(高力猿猴庵描く)と一緒に写真を撮ることもできる。歴史に興味のある人にとっても楽しい展覧会だ。

写真右:大だるまの前で記念撮影、手前は猿猴庵が描いた北斎

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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