『山彊創作 名古屋妖怪画集』出版にむけて

『山彊創作 名古屋妖怪画集』出版にむけて

 4年前にワイズ出版から出した『名古屋力・妖怪篇』がよく売れて、アマゾンの2017年上半期では全出版物の中でベスト20に入った。(写真下)
ネット上の僕の本の宣伝

 そして読まれた皆さんから今度は僕が独自に創り出した妖怪の画集が出ないかという要望をたくさん受けた。そこで『名古屋力・妖怪篇』に登場した妖怪を中心に、アクリル画による60号(約畳1枚サイズ)の大きさの妖怪を36体描き直した。大きくしただけでなくいろいろ面白いアイデアを付け加えたり、前にはなかった新しい妖怪も描いた。『名古屋力・妖怪篇』は僕の挿絵が入っているものの、文が主体の本だった。僕は絵描きが本業だから絵が中心となる本も出版したいと思ってのことでもある。

 僕の調べるかぎりこの地は歴史もあり妖怪的な話題も多いのに、文や絵として残されることが少ないように思う。特に感じるのは名古屋城から木曽へつながる尾張藩主の落ち延び街道は、そこへ人々を寄せ付けないための怖い話や妖怪話を尾張藩は広めているのに人々は恐れるだけで、その裏の事実を知らないし知ろうともしないことだ。僕の先祖はこの落ち延び街道(僕は妖怪街道と呼んでいる)地区に400年前から住んでいる。だがただ怖いから行くではないと代々教え告げられているだけだ。そんなこともあり今回僕はそれをあぶり出し、まとめて画集にしたいと思っている。

 ところで造り酒屋へ養子に来た僕の親父の祖先は御殿医だったが、親父の父親(僕の祖父) の代(大正から昭和の初めの頃)には茶花道の師範をしており、僕の親父は見目が良かったからか実父に弟子として連れられ様々な集まりに参加し、見聞を広めていた。僕に似て好奇心旺盛な親父は名古屋の妖怪話を含む数々の情報を仕入れ、それを息子に伝えてくれたことが今になってみると幸いしている。妻の両親の家系も大須の本町筋で金貸し業を営んでいた生粋の名古屋人なので、そこからの情報も大いに役立った。僕の親父も妻の両親も認知症になることもなく、特に僕の父はよくしゃべり90歳を越えても元気で、徳川園等の行政の歴史調査にもよく協力していた。僕の住んでいる徳川園北辺りは明治の瀬戸電開業時、瀬戸の陶工目当ての遊郭街であったという。こんなネタなど明治生まれの親父しか知らないだろう。それが徳川園周辺が住宅地化すると上飯田あたりに移り、さらに戦争で焼けて城東園に移ったということだ。昭和33年に売春禁止法が施行されるまでは賑わっていた。親父は僕にとって小泉八雲の妻、せつや水木しげるののんのんばあであったわけだ。

 これから、僕が創り出し描いた36体の妖怪をこのブログで順次2体ずつ絵と文で紹介していこうと思っている。何か意見や問題があればご指摘いただきたいと思っている。修正して1年後には図鑑的な画集にしたいと考えている。

①『名古屋カッパ』(無三殿さん)
出現場所:名古屋市中川区塩釜神社内や笈瀬通付近
無三殿大神
 カッパ(河童)には地域によっていろいろの呼び名があったが、この地の「無三殿さん(むさんどさん)」(尾張藩武将松平康久入道無三の社殿)という呼び名は、PRが下手な土地柄か、一般的な呼び名のカッパに負けてしまった。PRが下手ということは目立つことを善しとしない保守的な気風から来ることもあり、この地においてすら「無三殿さん」の名が残る西日置塩釜神社付近以外では知る人はほとんどいなくなってしまった。
写真右:名古屋市中川区西日置にある塩釜神社内の無三殿大神、後ろの石の祠にはカッパの好物キュウリが供えられている

 さてカッパは唯一神様にまで出世した妖怪といわれる。普通カッパは人々を川に引き込んだりして殺そうとする悪者でもあるがこの地では違う。逆に川でおぼれた子供を救ったとして、この地だけは『人助けのカッパ』として人々に親しまれている。それにここのカッパはお尻が大好きで痔を治す根抜きをしてくれるともいう。地元民から親しまれていたためこの地にはカッパ市という市場も以前にはあった。

 そんなこともあり他府県と違う名古屋の良さをPRするため僕の妖怪図鑑では真っ先に取り上げることにした。名古屋の丸八マークのパンツをはいて頭にはお皿ではなく真ん中が四角く空いた寛永通宝の形の皿が乗っている。水の入った皿はお金儲けにつながりカッパを拝むとお金持ちになると言われているが、僕の描いた名古屋カッパの皿は、ズバリ銭形の皿だ。儲けたお金をしっかりため込んで冠婚葬祭の折には思い切って使えるようにするためだ。寛永通宝の四角の穴に飼われた金魚は預金と繋がる。カッパに金歯があるのもその延長線だ。 
 僕の友人は娘を嫁がせる折、名古屋市内の1億円の土地を持参金として持たせた。大阪育ちのお婿さんの親がその土地に小さな家を建ててくれたと思ったら、なんとそれは新婚夫婦二人が30年のローンで返す契約だったという。彼は大阪人に嫁がせたことを嘆いていた。
 下は僕が創作した名古屋カッパだが、画面中、カッパの指に乗る豚は痔ろうを治してもらいご機嫌になっているところだ。

『名古屋カッパ』(無三殿さん)
名古屋カッパ

②『妖怪鬼饅頭』
出現場所:名古屋から岐阜のあたり

店で売られている鬼饅頭
 小学校1年で敗戦を迎えた僕は、母が国からうどん粉(メリケン粉)の配給があると焼け跡の土地で作ったサツマイモをさいころ状に切ってうどん粉と混ぜ蒸してイモ饅頭を作っていたのを覚えている。これを鬼饅頭と名古屋人は言う。少ない配給量の貴重なうどん粉だけ使うともったいないから当時は安価だったイモで量を増やすのだ。言ってみればこのイモ饅頭は貧乏人の、ケチな食べ物なのだ。この名前に鬼が付いたのはイモ饅頭ではいかにもまずそうだからだろう。田舎っぽい女性を悪く言うイモねーちゃんという言葉もありイメージとしては悪い。その点、鬼にすると武家的なイメージが加わり、いかにも食べると強くなりそうだからではないか。うどん粉の間から出ているイモの一部が鬼の持つ金棒に似ているからだと言う説もある。
写真右上:この地方だけで売られている鬼饅頭

 名古屋人はなぜか強そうなイメージに弱く、鬼と言う呼び名が大好きなのだ。だがこれ女性には評判が悪く、我が家でもほとんど妻や娘は手を出さない。姫饅頭というネーミングにすると売れるかも。けれどあの外見では姫とは付けにくいが。

 鬼と言えば鬼殺しというネーミングの辛口のお酒も全国にある。これも同じような感じで付けた名ではなかろうか。この名を最初に付けたのはこの地区の酒造元の愛知の清州桜醸造か岐阜の老田酒造ではないかと言われている。

 この鬼饅頭も含めた名古屋の3大ケチ名物をご存じだろうか。あとの二つはきしめんとういろうだ。きしめんは平うどんと言えばいいのに希少で高価なキジ肉にあやかって名を付けられたと聞く。でも本当は薄くすると早く茹で上がり燃料費が少なくて済むからだろう。ういろうも少ない米粉を膨らますことによりかさを大きく見せるというケチ根性が隠されている。

 僕の描いた『妖怪鬼饅頭』は雷様や孫悟空のように雲に乗っている。その雲は鬼饅頭でできており、イモはきんとん雲のように黄金色だ。妖怪の頭も金棒も鬼饅頭だ。ネクタイはもちろん名古屋の丸八マーク模様。雌のうさぎにはやはり受けないようで、ちょっと逃げ腰だ。


『妖怪鬼饅頭』
妖怪鬼饅頭
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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