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「バリ島芸術交流の旅」から帰る

「バリ島芸術交流の旅」から帰る
バリの芸大生らにアートを仕事として活かす方法を伝授

噴火警報の張り紙
 バリ島芸術交流の旅から帰国した。バリ島滞在の最終日の前日に、バリ島のアグン山で50年ぶりの大噴火が予測され、火山近くの8万人が避難したという出来事があった。噴火すると火山灰のおさまるまで10日ほど飛行機が飛ばないとの情報で、どうなることかと思っていたがギリギリのところで無事帰国できた。
写真右:ホテルロビーにに貼り出された噴火警報の張り紙

 今回の旅はバリでの美術展と、インドネシア芸術大学と愛知芸術文化協会との芸術コラボが目的だった。大学では副学長をはじめたくさんの要人の出迎えを受けて感激した。「国際的な画家に日本から来ていただけ光栄である」等と挨拶があった。

歓迎の会写真左:歓迎会風景
 僕らが利用しているツーリストの係りの人が大変有能で、ニューヨークでもサンクトペテルブルクでもそれぞれの地の大きな美術館を説得させて、我々の展覧会を企画してくれた。ただ展示発表する画家たちの画歴やレベルがなくては承知してもらえる筈もなく、代表者である僕の外国での個展歴や国内外の美術館での作品収蔵が当地の美術館関係者を納得させるものとなった。「山田さんがいなかったら全てのこのすごい場所での企画は成立しない」と言われるのはうれしい。僕も僕の画歴をうまく使う有能な係り(篠田さん)がいてこその企画だと感謝している。彼は美術にも詳しく僕の本も読んでいて交渉にあたっている。

 さて芸術交流だがこれは文化の程度や指導法に差があり、仕方ないことだけれど僕には不満だった。インドネシアの教授はバリ伝統の細密画のモノクロのコピーを持って来て、「さあ、これに色を付けて下さい。一度でなく色が濃くなるまで三度は塗り重ねてください」と指示した。いわゆるぬり絵だ。
写真右下:教授が配った細密画 これに色を塗る
ぬり絵の授業
 日本なら幼稚園児がやるレベルだ。それでも日本では個性を出すために色くらいは自由にぬらせるが、ここでは色まで指定された。助手が指定の色の絵具筆を我々に持たせ、手を取って我々にぬらせる。幼稚園どころか老人ホームの認知症の人扱いだ。貴重な時間をこんなことに費やさせるなと思ったけれど、今回の参加者の皆さんは優しい人ばかりで文句も言わずに2時間もぬっていた。まあ写経と同じで精神修行と思って参加した人達はやったのかもしれない。
 4か月前にロシアへ行った僕の仲間の主要メンバーなら「これが芸術か。田舎の日曜画家でもこんなことはしないぞ」と怒り出すだろう。国内外のコンクールに受賞や入選を繰り返している人たちだからだ。芸術本来の創造の精神、他人の物まねでなく自身のオンリーワンアートを生み出すことの重要性が分かっていない。写し取るのがアートと思っているのだ。

 だがまあこのぬり絵にも理由がある。百年ほど前このバリはオランダの統治下にあったので、オランダやドイツの日曜画家がやってきて人々に模写絵を指導し、それがバリ芸術のルーツになっているのだ。その後1980年頃からバリが観光地として脚光を浴びるようになると、これらの素朴でバリ特有の異国情緒あふれる絵に人気が出て外国人(特に日本人)が土産として買い求めるようになった。
写真下:バリの画家の絵
バリの画家の作品 バリの画家の作品 (2)
売れるようになると作品数を増やす必要が生じ、小学生にも色塗りをさせてお金を稼がせたという。まあこの結果、よかったことは、バリのそれぞれの家が自分達も絵を買って部屋に飾り出したことだという。小さな国なのに画家が多いのはこんなことにも影響しているのだろうか。
 
 さて昼からもこの続きをやらされるかと思っていたら、今度は現地の美術大学の学生が10人程会場へやってきた。だがお互いの連絡がうまくいっていなかったため、彼らは何をやるのか分からずきょとんとしている。どうも日本側の指示を受けよと言われて来ているらしい。何をやらされるのかという不安感と「このおジンやおバン達に何が教えられるのか」といった不信感も漂っている。

学生が制作したお面と悪魔の絵
 さあ大変。実は僕はこの交流会に代表を頼まれて参加したのであってワークショップの企画には携わっていない。企画係りの一人が日本から鬼やおかめ、ヒョットコと言ったお面を10個程持って来ていた。しかも油性のペンまで用意していた。だが彼女はどう仕切っていいかわからず、困っている様だった。そのことを確認した僕はすぐにアドリブで「このお面を使ってバリの神様か悪魔の面を描いて下さい」と伝えた。また午前中に我々に与えられた画用紙を配って、これにも同じ物を描き、この作品は日本へ持って帰り展示しますとも加えた。これで彼らの顔つきが変わった。日本で展示されたらすごい自慢になる。
写真右:制作したお面と悪魔の絵を持つ女子学生

制作したお面をつけた学生達
 その折に、僕がくどく強調したのは「アートはオリジナルです。島の神や悪魔を描くのではなく自分の作った神や悪魔を描いてください」だった。
写真左:制作したお面をつけて全員で記念撮影
 ここでさらに僕は彼らを引き付けるためと、まあサービス精神とで、学生たちに絵でもってお金儲けができる技法を伝授した。僕が名古屋芸術大学で教えていた頃、学生に伝授していたアイデアだ。Tシャツへ絵を刷る簡単な方法や似顔絵の描き方、壁画等の仕事のとり方(セールスの方法)などで、卒業してもほとんど仕事のない芸大生のために教えていたものだ。

お供え用の花
 さてこのバリの芸大生(彼らとて芸術絵画だけで全員が食べていけるとは思えない)に僕は何を教えたのか。バリの建物の隅には必ずカラフルな花の神様へのお供え物(写真右)がある。翌日にはその花を撤去して、別の花が供えられる。神様に供え使われた花はごみとして捨てられる。僕はこの捨てられる神聖な花を使って絵や文字を描き、空港で相合傘やちょっとしたカットを加え千円で売りだしたら、いつまでも別れたくない愛し合う二人は必ず購入すると思った。バリでこの技法を薦めるのは神に供えた神聖な花が無尽蔵にあり、ごみを無くし公害防止にも役立つからだ。

草花をぬる学生
 「花や葉が絵具代わりになるなんて信じられませんでした。本当にきれいな色が出ますね」と学生たちに言われた。
写真左:草花で作品に色を塗る学生
 多分数年後にはこれで大儲けする学生が出るのではと思う。この作品、10年程経ても色は品よく変色し作品の面白さを増してくれる。この技法、やっているのは世界で僕だけだと思う。色を塗るのは絵具という固定観念から脱却し様々な材料で描くことに挑戦する、このような独自のアイデアを出せることが真の芸術家だと自負している。3,4年後にはもう一度バリに出かけ確かめてみたい。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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