あいちトリエンナーレと針生一郎選展

「あいちトリエンナーレと針生一郎選展」

 今回、この古い思考の街(名古屋を中心とする地域)で現代美術を目指した「あいちトリエンナーレ」を開くことは面白い試みになると思っている。度胸のある県知事の決断だ。これをやりきれるスタッフがいるとの見当もあったのだろう。この案を打ち出す前、僕が1年前に出版した「名古屋力」《名古屋戦後美術活動史≫(ワイズ出版)を知事がわざわざ本屋で購入し読んだというから、この街で現代美術展を開催することのしんどさや現代美術についての認識もある程度考慮しての決断であろう。まあ一般的に考えた場合、開催しないほうが無難だけれど。

 この地域の芸術は日展や二科展といった東京や大阪ではあまり重要視されない公募展が勢力を持っている。それに対して県芸や名芸、名古屋造形大の教授を中心とした現代美術家が次の勢力で、彼らは公募展を軽蔑している。また、その二者を否定する形で僕や岩田信市等の一匹オオカミ連が存在している。(芸術は芸能と違って1匹オオカミが正道と思われるが)

 「3年後には愛知で現代美術展が催され、私たちのために十億近い予算が県から出されるそうよ。山田先生知ってますか」と、公募団体の作家に尋ねられた。そんなことあり得る筈がないと思ったけれど笑って逃げておいた。まずそうやって民衆を扇動するのが県側の策略かも知れないし、僕は成り行きを見守ることにした。もしこんなことが実現したら、田舎名古屋として日本中から笑いものにされるのが知事には分かっている筈だ。

 さあそこで、そう思い込んでいる者たちを納得の上でどう排除するかが次の問題だ。3年前に県の打った手は1千万円を出し、公募でこの美術展の方向性のアイデアを出させることだった。当然この地の文化権力者達(公募展中心の)が名乗り出た。もともと現代美術については無知に近い権力者たちだ。彼らがやったことは、大学教授や芥川賞作家を連れてきて喋らせるだけ。彼らは批判はしても美術展についてはまともに語れない。結局1千万はこの地の権力者の思考のなさを確認したことで消えていった。県知事側はこのことを読んでいたのかもしれない。その結果うるさい保守層を切ることに成功した。

 そして予定通り大阪の国立美術館の館長であり、有名評論家の建畠哲氏を代表コミッショナーに選んだ。この選択もこれしかない人選だった。彼にもアキレス腱はあった。愛知の美術事情にうといこと。それについて県側は馬場駿吉さんに補ってもらえるからと噂を流した。馬場さんは紳士で学識もあり、まず誰も逆らわない。これもいい選択だ。斬れる策士家がトリエンナーレ事務局にいるのだ。
 が、建畠さんを選択した県側にもちょっとした誤算があった。彼は事務局の意に反して馬場さんに相談にはいかないし、建畠さんがきっと選んでくれると思ったこの地の芸大関係の先生も無視をされ、彼が勝手に出展者を選びだしたことだ。この地の大学に建畠さんが認めるような教授画伯はいないのだ。

 県側が困っている最中、偶然文科省から助け船が入った。自民から民主に政権が移行し仕分けをされたら大変と、'09年の春に蓄えておいたお金を各県の文化行政にそれぞれ一億円ずつ、'10年の3月までに使い切りなさいという条件で配りだしたのだ。愛知県はこの一億円の全てをを県芸大と名芸大、造形大の教授たちに展覧会の費用として使わせた。それぞれの者に五十万円(学生は三十万だったらしいが)を割り振ったのだ。これが出番のない芸大関係者のガス抜きとなり反発を受けることはなくなった。

 こんな折('09年の4月)僕の本の帯にコメントを載せていただいたお礼に多摩の針生一郎さん宅を訪ねた。彼は日本でほぼ全ての人が認める現代美術のNo.1の評論家。当然あいちトリエンナーレに話が及んだ。彼はこの展覧会を批判的に見ていた。そんな中僕はふと、針生さんが'60年代名古屋大学で教えながらこの地の現代美術を育てていたことを思い、「60年代の針生さんの選んだ作家による名古屋の現代美術展をやりませんか」と問いかけたら、面白いということになって『針生一郎の選んだ愛知60年代の現代美術展』という展覧会が走り出すことになったのだ。それにわざわざ先生に名古屋へ来ていただくなら「あいちトリエンナーレ」の建畠さんとのジョイントシンポジュームも行おうということにまで話は進んだ。この二人にトリエンナーレの事務局長を加えればものすごいシンポジュームになると僕は踏んでいた。針生さんと建畠さんは北陸中日展でも長いこと二人による審査が続き、互いに気心は知れて喧嘩にもならないと考えていた。
 だがこれは僕の大誤算だった。こんなきわどいシンポジュームの参加をトリエンナーレ事務局が許すはずがないことだった。針生さんの名古屋へきての一言はものすごく重い。すぐマスコミが取り上げるだろう。
僕はシンポジュームが中止に追い込まれたことをすぐには針生先生に告げることができず、『針生一郎の選んだ愛知60年代の現代美術展』のポスターが出来上がる5月にそのの原稿を見せに行く折に、平身低頭して中止を謝ろうと思っていた。がなんと、出かける1週間前に先生は亡くなってしまわれた。葬儀のお写真の前で冥福を祈りながら心の奥で謝る羽目となった。

 先生は亡くなられたけれど展覧会だけは先生の遺志どうり僕の責任で行わせていただくことにした。また出品作家から今の作品も出したいという要望があり、同じ期間に他の場所で開くことにした。先生が出品を強く望んだ岩田信市さんは行政のやる展覧会に少しでも絡むなら、出品したくないと断ってきた。今でも彼の意志は強固だ。











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あの山彊さんが、ブログとは、驚きました。てっきりパソコンとは縁のない人だと、思いこんでいました。ともあれ、ブログ開設おめでとうございます。学生にも、友人にも、家内にも、教えておきます。飽きずに、ちまちまと、発信を続けてください。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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