中部地方の最高の芸術家、岩田信市氏亡くなる

中部地方の最高の芸術家、岩田信市氏亡くなる

本日8月7日(月) 19時~ お通夜、翌日8月8日(火)1時半 葬儀
吹上愛昇殿・千種区千種通り6-23-1 ℡ 052-571-4444


 謹んでお悔やみ申し上げます。岩田氏に関しては3年ほど前から大腸がんを患っていると聞き、気にしていたが、病に負けたようだ。大きな図体で病気など蹴散らしてしまうような人柄であったが。昨夜高校教師の一人息子から連絡が入った。
石を担いだ岩田氏の息子
 今から45年ほど前、尾張富士の霊祭、石上げ祭りで僕のつくった巨大な張りぼて石を僕の代わりに運び上げてくれたのが当時小学生だったその一人息子だ。
写真右:中央で石を担いでいる少年が岩田氏の息子、左横はゼロ次元のメンバー

 僕はその頃張りぼての石をたくさんを作り、現代美術作品として様々な場所で芸術行為(パフォーマンスアート)をしていた。その一環として尾張富士の石上げ祭りに参加すると話していたら、ゼロ次元(岩田信市が立ち上げた前衛芸術家集団)のメンバーも手伝いたいということで、一緒に参加することになった。そのついでに岩田氏の息子さんも参加したというわけだ。霊祭に張りぼての石を大人の僕が担いだら、神を冒涜するのか、ふざけるなと言って殴られそうであったため小学生だった息子さんに頼んだのだ。

石を運ぶゼロ次元のメンバー
写真左:石を担いで運ぶゼロ次元のメンバーと僕
 ところがゼロ次元のリーダーである岩田氏は当日突然キャンセル、仙台でヨネヤマママコ(パントマイムアーティスト)が企画したアートパフォーマンスに参加するとのことで行ってしまった。60~70年代アメリカのヒッピーの間で流行していた裸で一週間ほど過ごす芸術行為だ。石上げ祭りに息子とともに参加した奥さんはかんかんに怒っていた。


 岩田信市は戦後の愛知で河原温や荒川修作と並ぶトップの芸術家と言っていい。旭丘高校の美術科の頃、同年だった荒川が彼を尊敬し、恐れたとも言われる。高校生であの大須事件にも絡み、また彼は僕と3人(もう一人は元テレビ愛知の副社長)で、例のごみ裁判で原告側で共に闘った仲間だ。日本で最初のストリーキングをしたり、日本の絵画史の1ページにもなったゼロ次元の中心人物でもあった。晩年は大須演芸場でロック歌舞伎を立ち上げこれまた評判となった。
 もし彼が東京か大阪にいたなら、その存在が輝いたであろうが、保守的な名古屋においてはことごとくつぶされたのが残念だ。母一人を置いて出られなかったのであろう。
 先日近藤文雄氏が亡くなり、岩田氏が亡くなった。僕がこの地のよきライバルとして認め尊敬していた二人が去ってしまった。もう名古屋には全国で通用する画家は一人もいない。岩田氏は豪放磊落、人好き合いが下手で、お世辞が言えないタイプだったが、人を妬んだり陥れたりするようなところが全くない人柄だった。静かに別れをしたいと思う。
 彼の芸術活動を示す写真を載せたい。若い人達でアートの分かる人なら名古屋地方の人でも、この作品を見て彼の業績を理解してもらえると思う。ルネサンスで芸術が開放的になり、絵画に裸体画があふれたように、1960年代は戦後の復興時期で文化芸術が従来の因習から解放され、芸術活動にも肉体の開放が叫ばれたのだ。とはいうものの日本ではまだまだ奇異な目で見られていた頃、名古屋からそれを発信したのだ。しかも50年以上前にやっている。岩田の先進的な行動力がわかる。

ゼロ次元のアートパフォーマンス
 この岩田の芸術行為は1972年に発売された講談社『現代の美術』全集の11巻「行為に掛ける」に草間彌生や関西の具体美術家、外国ではデュシャン、クリストらの芸術行為と並んで掲載されている。
写真右:講談社『現代の美術』全集の11巻「行為に掛ける」に掲載されたゼロ次元のアートパフォーマンス

草間彌生ニューヨークでのアートパフォーマンス
写真左:講談社『現代の美術』全集の11巻「行為に掛ける」に掲載された草間彌生ニューヨークでのアートパフォーマンス
 戦後から現在に至るまで、現代美術の全集刊行はこの講談社のものしか存在しない。それからも分かるように現代美術が最も隆盛を誇ったのは60年代であり、現代美術を総括して語るなら60年代にこそアートの全てが凝縮されていたと言っても過言ではないと僕は思っている。

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バリ島のツアーお誘いありがとうございました。

お手紙ありがとうございました。先生の世界を股にかけてのご活躍、おおいに刺激を受けています。グループ展にも足を運んでいただき、ありがとうございました。バリ島は、20年ほど前に1週間ほど、ウブドに滞在したことがあり、芸能・芸術・と自然が一体となった魅力的を感じてきました。先生からのお誘いとても嬉しく思いますが、今回は失礼しますね。また、ブログでのツアー・展覧会のご報告、楽しみにしております! 7月下旬にブログへのコメント送信させていただいたつもりでしたが、ごめんなさい。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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