画家、近藤文雄さん亡くなる

画家、近藤文雄さん亡くなる

近藤さん自画像
 絵描きとしての僕の最高のライバルだった近藤文雄さんが6月15日に亡くなった。
写真右:近藤さんの18歳の時の自画像
6月17日に葬儀参加のため豊川まで行ってきた。つい3か月程前、彼の教え子の宮本さんの個展で元気な姿の彼にあったばかりだった。葬儀場では、奈良美智を早くに発掘し彼の個展をやった白土舎のオーナーである土崎さんにもお会いした。近藤さんを認め最後まで支援した画商界のプロだった。

写真下:宮本さんの個展会場で 左から宮本さん、近藤さん、宮本さんの作品、僕
左から宮本さん、近藤さん、作品、僕

 近藤さんは僕の大学の1年先輩ですごく気になる存在だった。1960年代は彼の全盛期で美術雑誌には彼の作品が度々載っていた。
 60年代は戦後の日本が高度経済成長を目指して突っ走っていたひずみから、東大紛争に代表される学生運動がおこり、それに連動してアングラ演劇や前衛芸術など反体制のカウンターカルチャーが全盛となった時期だ。僕は日本の現代美術の真の誕生は1960年代で、日本の現代アートの礎が作られたのもこの時代だったと考えている。
 当時新進気鋭の画家たちは、旧来の年功序列の徒弟制度的美術公募展を無視するようになり、やる気のある画家のほとんどはフリー宣言をした。僕も1962年には公募展を脱退し個展を中心に動きだしていた。だからフリーで活動する近藤さんの動きはすごく気になっていた。

スキー場にて 講談社の世界現代美術全集に載った僕の作品の次のページに彼も選ばれて載っていた。この愛知では二人だけであり、その意味でも彼は僕の最高のライバルであった。
 大学時代には、僕の好きな先輩の丸顔でふっくらしたスキー好きの勝埼さんを彼も好きで、大学時代からの恋のライバルであった?とも言える。
写真右:近藤さんの好きだった彼女(上段中央の僕が肩に手をかけている女性)

 「この地には庄司達さんや斎藤吾郎さんと言った芸術家もみえるのではありませんか」。2人もすごいが彼らは1970年以後に登場してきた人達だ。近藤さんと同列に比べることには無理がある。1970年に開催された大阪万博はあらゆるものを呑み込んで学生運動やカウンターカルチャーは収束に向かっていった。70年代は美術史の中では大きく扱われない時代だ。

 葬儀場で出会った彼の教え子から「山田さんも近藤さんを気にしてたけど、彼もあなたのチャレンジ精神や多くのコンクール展で次から次へと賞を取っていたことに、すごいなあと感心してましたよ」と言われた。

 もう一つ彼について思い出がある。例のごみ裁判事件(後輩の美術学生たちが愛知県美術館にごみを彼らの美術作品としてを出品し、美術館側がそれを撤去したため裁判沙汰となった事件)に関してだ。僕が怯えながらも学生たちのために裁判証言を引き受けたのは評論家の針生一郎さんと近藤先輩も証言を引き受けたからだ。ところが近藤先輩は裁判の前日、体の調子が悪いとか連絡をしてきて裁判当日は欠席してしまった。これに僕は超、超、仰天した。これから僕に何が起こるか予測できたからだ。彼は愛知県知事(裁判の被告)相手に戦う恐怖に耐えきれなかったのだ。それは保守的なこの地の全てからいじめられ疎外されることを意味していた。名古屋の僕ですら恐怖したのだから、もっと田舎に地盤がある彼の行動は分からなくもない。けれど彼が証言を放棄したその分、僕に体制側からの圧力、いじめがかぶさることになった。だからその分なおさら許せなかった。このことがあってから彼は僕にとって尊敬する先輩からただの絵描きのライバルになったわけだ。60年代すでにその作品が大きく認められた彼としては、そんなこともあり次へのチャレンジをしなくなり、守りに入ったと僕は感じていた。
 
 一方この裁判で僕はこの地の全絵描きや美術関係者から無視されることになった。僕は四面楚歌の中で雌伏十数年、起死回生を試みて様々なチャレンジを続けた。しかしこれが今になってみるとよかったかなと思っている。裁判がなかったら1960年代の自分の功績に甘んじて、再チャレンジはなかったかもしれない。

 しかしいずれにせよ彼が亡くなったことはこの愛知県の芸術界にとってすごくマイナスになるのではなかろうか。彼には名古屋学芸大の小笠原教授や著名な版画家の土屋氏、山口氏と言ったすごい教え子を残しているから、ただ亡くなったと僕は思いたくない。
 最近僕の周りを見回すと60年代の激動の美術界を生き、その深層までを知っている絵描きはもうほとんどいなくなってしまった。今では僕が60年代の生き証人になってしまったかもしれない。

日本中の大きな美術館に彼の作品はコレクションされている。いずれ作品でもう一度彼に会えるのを楽しみにしている。
写真下左:愛知県美術館収蔵の近藤文雄作品  右:名古屋市美術館所蔵の彼の作品
愛知県美術館収蔵作品 名古屋市美術館収蔵作品


※悲しいこともあったが、最近僕にはいい驚きがあった。パソコンで近藤さんの活躍を見ていて、ついでに僕のコーナーも見たら、4年前に出版した「名古屋力・妖怪篇」(ワイズ出版)が2017年上半期売り上げ全国和書ベスト20傑(アマゾン発表)に載っていたことだ。これは何かの間違いではと思って、他も調べていたらその2年前に出版した「名古屋力・アート編」(ワイズ出版)の2,200円の新本が何故か26,724円になっていた。
写真下左:名古屋力・妖怪篇   右:名古屋力・アート編
名古屋力妖怪篇 名古屋力アート編

 僕が死んだわけでもないのに何故だか分からない。妖怪につままれているような気がする。何かが僕を衝き動かしているのだろうか。ならばと、この勢いで2年後に名古屋の妖怪画集を出すことに決めた。この1か月で60号の大きさの絵を4点描いた。できればで49匹の妖怪を描きたいと思っている。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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