サンクトペテルブルク美術展 第3弾

サンクトペテルブルク美術展 第3弾
ロシアの食事

僕がとった朝食
 今回の美術展でサンクトペテルブルクに行く前、料理にうるさい参加者の女性から「3年前のクリミア併合以降、ロシアはフランスやイタリアから農作物の輸入をストップされているからおいしい料理なんで食べられるはずがないわ」と言われた。
写真右:僕がとった朝食の一部
 滞在の途中も、車から野菜類が降ろされるのを見つけた彼女は、即、「見て、あの野菜類、日本なら廃棄される野菜だわ。形も色も悪いし皆しなびてる」と叫んでいた。事前に日本のテレビ報道や雑誌で確認してきているとのことで説得力がある。僕には遠すぎてしっかり見えなかったが。
 「いい食材がないから、色々変わったことをして味を誤魔化している。何故スープにラッキョウが入っているの?しなびたサラダの上にマグロのフレークがのっかっているのは何故?これヨーグルトで味付?インチキだわ」。いくらでも悪口が出てくる。さすが名古屋の伝統ある女子大の出だけある。中学から食事作法の勉強が、大ホテルを使って行われたと言う。

豪華なレストラン入口
 参加した皆さんのほとんどは旅行後「料理はまあまあだったね。おいしかったわ」と言っていて引率した僕としては少し安堵した。僕自身はというと、まあ、おいしかったかな?レストランはほとんどが旧貴族の豪華な屋敷を再利用したところばかりだった。写真左:レストラン入口のホール
 だから豪華な装飾や家具、壁に掛った絵画など周りのことに気を取られ、実を言うと食事の味がどうだったのか思い出せない。口に入ったということはおいしかったということだろう。あるレストランではスパイスとして小皿に日本の醤油が出てきた。「これが一番おいしいわ」先ほどの食にうるさい彼女が言った。そう言われてみると僕も同感だった。慣れ親しんだ味はおいしい。

 僕は料理の味なんてほとんど気にしない。どこへ行ってもレストランのものならまあ食べられるに決まっている。まずかったら店は即、潰れてしまう。食通を自認する人はほんの数パーセントの味の差でおいしいとかまずいと言いあっているのだ。時間をかけていろいろスパイスや調味料を混ぜれば少し味はよくなる。僕はいろいろ混ぜることによって体によくない化学変化が起こるのではと恐れている。行列のできるラーメン屋の親父が早く亡くなるのはそこに原因があるのではないか。僕にとっては料理はシンプルなのが一番だ。

 ホテルの朝食のバイキングで積んであった青リンゴは色つやがよくとてもおいしそうだったが、食べたら水気がなく、パサパサして日本のとは全然違っていた。
次の日の昼食には焼きリンゴがデザートとして出た。

写真下左:デザートの焼きリンゴ  右:半分に切った焼きリンゴ
焼きリンゴ 半分に切った焼きリンゴ

 青くきれいな小ぶりのリンゴだった。キレイなのは一部しか焼いてなく生のリンゴの色が大半だったからである。昨日の青リンゴはまずかったが、今日の焼きリンゴはすごくおいしそうに見えた。だがまずかった。リンゴの中央をくりぬいて中に砂糖やバター、シナモン等が入っているようだがしっかり焼かれていないから半生の味だった。しっかり焼けばおいしいかもしれないが。

 味に無頓着なこんな僕でも、真にまずいと思ったことがある。インド、スリナガルでは水や洗剤が貴重だからか、食器をほとんど洗わず、自分の汗を拭いているタオルで拭いているようだった。皿を手で持ったらねばねばし、強烈な汗のにおいがした。たとえおいしい料理が出されても帳消しだ。でもここでは朝のトーストと胡麻がたくさんのったバターがおいしかったのでそれを選んでパンに塗って食べていた。4,5日泊まった後、おなかがすいたので昼に市場で買ったジャガイモを自分で茹でようと台所へ勝手に入ってみて驚いた。そこにはバターが蓋をせずにおかれており、なんとその上に無数の小型のゴキブリがうごめいていた。僕が喜んで食べたバターの胡麻はなんとゴキブリの糞だったのだ。おいしいと思って食べたトーストが気持ち悪くなった。これらは食物自体の味のまずさとは言えないが、人間の味覚なんていい加減だと思った。味は周りの状況が大きく作用する。

ボルシチ
 話をロシアに戻すと、トマト味のボルシチはまあだいたいおいしかった。これはロシア料理の代表と思っていたら、前出の彼女がウクライナ料理だと言った。
写真右:ビーツの根が入ったボルシチ
 おいしく感じたのは一緒に食べたパンのせいかもしれない。ここロシアのパンはどんな種類のパンでもとてもおいしい。主食となる小麦は一般市民が食するため、欧米は輸出を認めているのだろうか。まあパンがうまかったから料理はどうでもよかったとも言える。
写真下:おいしかったロシアのパン
朝食バイキングのパン

レストラン内部
 その後僕等はモスクワに移動したが、モスクワのレストランもかつての貴族の屋敷を利用しており室内装飾が超豪華だった。ここも室内が暗く何を食べたか定かでない。
写真右:レストランの暗い室内
「ピロシキもおいしかったでしょう」と尋ねられたがいつ食べたかも覚えていない。大金持ちの貴族の気分になれたのはよかった。トイレに入った折、便器の形がドーム型ピロシキのようなのが並んでいてその珍しさに、料理のことなどまた忘れてしまった。

写真下:丸い陶器の便器を備えたトイレ
丸い便器のトイレ

 トイレと言えばエルミタージュ美術館は広大な宮殿なのにトイレは1,2か所ぐらいしかなくそこにたどり着くのが大変だった。当時の貴族もトイレに苦労したのではないか。かのベルサイユ宮殿では貴族の女性たちはカーテンの陰で用を足したと言う。ベルサイユではそんなこともあり3年ごとに宮殿内の大掃除をしたと言う。「カーテン際でおしっこをしたら部屋中臭いのではありませんか」。この地域は空気が乾燥しているから我々が思うほどには臭くないようだ。フランス旅行中に夜洗ったジーンズを干しておいたら朝には乾いていて僕はびっくりしたことがある。

モスクワ赤の広場
 ところでモスクワ赤の広場のトイレでは大変だったと女性群が話してくれた。
写真右:モスクワ赤の広場、この写真のまさに右側にトイレがある
レーニン廟の並びにあるここのトイレにはたくさんの小個室があるが、利用者が多すぎて行列になっている。やっと入ったら便器があっても便座がない。他の個室に変わろうとしてもまた何十分も並ばねばならない。已む無く便座なしで何とか用を足したそうだ。僕に近い年齢のおばさん達は腰をかがめて戦後の農家のおばさんスタイルで、50歳以下の身の軽い人は便器に乗っかり、足の長い人はまたいだという。旅慣れている人は輪ゴムを常備していてズボンやスカートを中途で止めたりしたという。全部の個室のトイレに便座がなかったようだった。男性用トイレも同じだったが、小便に関しては男は問題がない。これが観光の目玉の赤の広場の、ただ一つのトイレだなんて信じられない。ロシアは女性が虐げられているようだ。それともロシアの女性は全員立って用を足すのだろうか。「それよりもこんな話よく女性群から聞き出したわね!」


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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