サンクトペテルブルク美術展 第2弾

サンクトペテルブルク美術展 第2弾
サンクトペテルブルクからモスクワへ


サンクトのモスクワ駅全景
 サンクトペテルブルクからモスクワへ行くために、サンクトの街のモスクワ駅(写真右)に行った。駅は欧州のどこにでもある普通の建物で、ロシアの人口第2の都市の駅としては貧弱だった。駅前の街の賑わいも愛知県でいえば一宮か豊橋くらいだ。ここはちょっと変わっていて駅名はその土地の名前では無く、目的地の名前が駅名になっている。そのため目的地別に駅舎は別々の建物になっている。初めはまごつくが慣れればわかりやすい。

駅の構内
写真左:サンクトのモスクワ駅構内
 ここでも中国の駅と同じように入り口で厳重なボディーチェックを受けた。つい1ヵ月前サンクトペテルブルクの地下鉄で自爆テロがあり14人が亡くなったばかりだからよけい厳しいのだろう。自爆テロのあったその地下鉄の駅まではここから1キロもないのではないか。
 

 モスクワ駅のプラットホームの線路上には新しい日本の新幹線とくらべても見劣りしない列車と、落書きだらけの50年前イタリアで乗ったような列車が止まっていた。
写真下左:我々が乗った新幹線スタイルの列車   右:車体に落書きされた列車
我々が乗った新幹線スタイルの列車 車体に落書きされた列車

横を向かれてしまった車掌さん
 我々はグラマーな車掌が立つ新しい方に乗った。乗る前にその車掌との2ショットを撮ろうとしたら厳しい顔で横を向かれてしまった。(写真右)

 車内の座席は真ん中の通路を挟んで左右に2席ずつ。座って驚いた。座席はリクライニングシステムがなくまた向きを変えることもできなかった。要するに座席が固定されたまま動かないということだ。だから列車はモスクワまでずっと乗客全員が進行方向に対し背を向けて走ることになった。逆にモスクワからサンクトペテルブルク行きに乗ればずっと前向きということになる。

パソコンを打つ車内事務員
 我々の座席のすぐ前には特設コーナーが設けられ、列車の事務員らしき女性がしきりとパソコンを打っていた。(写真左)会社の受付の様なものと思えばいいか。そこにしきりに男の車掌がやってきて何か連絡を入れていたが、僕にはいい寄っていたとしか映らなかった。何となく映画を見ている気分になった。

車内のトイレ
 列車のつなぎめ前にはトイレがあってこの個室、入ったら2畳以上あった。車いすの客とその付き人が入ったとしても充分な広さだった。プーチンが乗ってトイレを使った場合、ガードマンが2,3人入るためだろうか。
写真右:広いトイレの個室

 さらに向こう側にはコーヒーショップがあって立ちながらの商談もでき、我々もそこでコーヒーを飲んだ。なぜかわからないが僕はジャンギャバンとアランドロンの気分に浸り、爽快であった。(年が分かるね、いやそれどころか「誰、それ?」なんて人の方が多くなっているかも。つい先日ドロンは俳優を引退するとニュースで読んだところだ) 勿論僕がドロンでギャバンは腹の出た仲間の大須に住む酒好きの馬場さんだ。その隣にはスタイルのいいナタリー・ドロン似の版画家の杉藤さん。今思うと何故007のジェームズ・ボンドでなかったか不思議だ。「ロシアより愛をこめて」など大好きだったのに。「それ分ります。ロシアの暗い荒涼とした景色の中を走る列車には、まさにフランスのフィルムノワールの雰囲気が漂うし、その代表スターともいえるギャバンやドロンの方がボンドよりはるかにしっくりきますから」

車窓風景
 車窓の風景は雑木林が中心でそれと広い農地があったりした。また時折通り過ぎる小さな村には壊れかけの家々が立ち、絵本で見た中世の雰囲気に似ていたため、このあたりにはロシア経済の恩恵が行き渡っていないのだろうかと思わされた。ロシアに来るまでは、車窓から見えるロシアの大地の風景をいろいろ想像し憧れてもいたが、現実に眺めていると何もないという感じだった。
写真上:車窓風景、蒼空と雲がブリューゲルの絵を思い起こさせた
これまで訪れたドイツやスウェーデンなどの車窓風景より劣る気がした。5月の中頃だというのに雪が時折残っていたことが印象に残ったくらいだ。

線路に捨てられた煙草の吸殻
 この列車は車内では禁煙なので、途中の田舎駅で喫煙休憩のため臨時停車する。愛煙家の多くが急いでホームに降りて煙草をふかし始めた。僕はタバコを吸わないが気晴らしにホームに降りてみた。灰皿がどこにもないなと思ってふと線路上を見ると喫煙者が投げ捨てた吸い殻が雪のように積もっていた。
写真右:列車とプラットホームの間に捨てられ、線路に積もる煙草の吸殻
ロシア人は男女とも喫煙者が多いという印象を受けた。

 空は晴れてブリユーゲルが描くような雲が澄んだ青空に浮かんでいた。これがほんとの雲であろう。1か月前に行ったソウルや北京ではいつも空がかすんでいて、天気予報は曇りと伝えるが全体が薄暗く、曇りという割には雲らしい形のものは見られなかった。あれはPM2.5などで空気が汚染されているのであろう。以前北京のガイドに「これはスモッグだよ」と言ったら、顔色を変えて「雲です」と反発を食らってしまった。空気汚染で薄暗いと言わずに曇りだと言うように指導されているようだった。

 僕は外国を数多く訪れたが、ほとんどが一人旅であった。近頃は皆さんを連れての旅が多い。年を経ると自分だけの楽しみより周囲の人にも喜んでほしいのだ。スペイン、ドイツ、メキシコやニューヨーク、そして今回のロシアでの美術展は皆と一緒の旅だ。「山彊先生の画歴がないと展覧会の許可が下りないでしょうね」。なんて言われるたびに喜んでいる。外国では日本独特の公募展の団体の経歴や肩書などは全く評価されない。世界レベルの展覧会への作品発表をしていてよかったと最近になってその効果を実感している。

 だがまあ、皆さんを連れて行くのはいいが、独り旅のように行きたい道を行きたい時に自由気ままに歩くことができない。だから文章にしたりした場合、臨場感がわかないのは残念だ。一人旅だと危険な場面に遭遇するのはしょっちゅうだが、その緊張感がまたたまらない。危機一髪の事件が次々と起こって書くことがいっぱいになる。

 例えば10年程前のモスクワのローカルな飛行場での話だが、座っている僕に中年の男が「どこへ行くのですか」と話しかけてきた。それに答えると「その乗り場はここではありません。向こうです。荷物を持ってあげるから移動しましょう」ときた。これは典型的な詐欺の手。荷物を持たせたらどこかへ消えてしまう。僕は世界の危険な地域へ何回も行っているので、危険を察知する動物的感が働き、これは怪しいと無視をした。

 またグルジアへの旅行では、滞在ビザは日本では取れないので、グルジアへ入った後に取るように言われていた。そこでロシア経由で隣国のグルジアへ入り、グルジアの空港でビザを取ったが、なんと1週間の期限付きだった。僕は12日間の滞在予定だったのだ。空港で必死に交渉するも、「だめだ、街に出て発行してくれる機関を探せ」と言われた。グルジアには日本の大使館はなく、グルジア語は全くわからない。滞在中一人の日本人にも出くわさず、どうしようと真っ青になった。その後偶然レストランで片言の日本語で声をかけてきた子連れの男性と知り合いになり、彼に助けてもらって九死に一生を得た。

 逆況の中でどう対処していくか、これがいつも僕の旅行中の課題だ。これを乗り切って日本へ帰った後には心地よい達成感に満たされる。これがあるから一人旅はやめられない。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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