妖怪屋敷 第3弾 井戸を埋める時は

妖怪屋敷 第3弾
「井戸を埋める時は、井戸神様が地上に出られるよう井戸の底から地上まで管を通す」―以前は常識だったとか。

井戸の底から鉛の管
 妖怪屋敷の1回目の文で我が家の東北の角に水道管らしい管が出ていて、これは整地のための工事や僕のスコップ等での掘り出す挑戦も虚しく、いまだに30㎝程顔を出していると書いた。写真右:井戸(沼の底)から伸びている鉛の管?
犬はここで死に、毎年秋になるとこの周りは彼岸花に覆われると。それについて妖怪バスターの教え子に指摘された。「山彊先生、その管は水道管の取り残しではなく、井戸を埋めて潰してしまう折に埋める管ではありませんか。これは業者が後のたたりが怖く、鉛の管や竹をわざと井戸の底まで入れたのですよ」と。
 僕の教えているカルチャーセンターの生徒さんでいろんな国際展に入選している鈴木さんは瑞穂区の旧家の出。庭にあった井戸を埋めるとき、竹を井戸の底から地上までとおすのを見ていたという。つい20年程前のことらしい。
 そうだったのか。これで僕の古い管に対する「何故抜けないのだ?」というもやもやも晴れた。この一角には、アメリカの爆撃機B29の爆撃で焼かれる前、我が家の借家が9軒並んでいた。モダンな借家で戦前なのにもう水道を通していた。その借家を立てる折、井戸を潰すことになり、慣例に従って井戸に管を埋め、それがいまだに残っているようなのだ。
 
 この借家のあった我が家の土地は戦後、道路を広げるとかで3割を市に奪われた。(名古屋人は役人に逆らわない)。焼け野原になったその土地の6割を売ってそのお金で残った4割の土地に今の我が家(妖怪屋敷)が建てられている。問題の井戸の管はぎりぎり我が家の敷地に残っている。明治生まれの父親が土地を売る時、この井戸のあるところを売らず守っていた意味がわかった。建築業者からもっと立派な屋敷にしたかったら、もう少し土地を売りなさいと言われていると聞かされたことがある。戦後9 年経った頃のことである。我が家は北区の清水付近や大曽根一帯にも土地を所有していたが、米軍の指令の小作人法とかでほぼ巻き上げられていた。このことを早めに察知し小作人を従業員にした中日の大島家は無傷だと親はやっかんでいた。これ以上の損害を受けないため、親爺はこの井戸を守ったのだろう。井戸の上に建物など作るとその土地の所有者にも元所有者もたたりが起き、大きな病気に罹るという言い伝えもある。だから親父はこの管のある場所を売らなかったし、管も抜こうとしなかったのだ。亡くなるまで庭の管理は親爺だった。ついでに記せば、井戸の近くで犬も飼ってはけないそうだ。我が家の犬も死んだとき以外この周辺に近づかなかった。
 余談ですが、皆さんの周囲で地面から延びたおかしな管があたら教えて頂きたい。妖怪バスターの2人を直ぐ差し向けます。
徳川園の井戸
 さてその井戸だが、今ではこの近辺にはほとんど残っていない。我が家の周囲で残っているのは徳川園の正門南にあるものだけとなっている。この井戸は明治になってから、今のように頑丈なものに作り替えられたとか。最近の徳川園改修にともなって更にきれいに整備されたので、井戸の持つおどろおどろしいイメージはなくなっている。写真右:徳川園正門南にある井戸
僕にとって徳川園は小学校1年からの遊び場で、たとえ真っ暗闇でも何処へでも行けるぐらい頭の中に地形が入っており詳しかった。ご存知の方も多いと思うが、現在の徳川園の庭園は最近大規模に作りかえられ、庭園の部分にはお金を払わなければ入園できない。僕が子供のころは美術館の周りの庭は全て自由に誰もが入ることができ、子供たちの恰好の遊び場だった。だが何故かこの井戸には近付いたことがないし、中を覗いたこともない。小学校1年以来幾度となく園内を写生しているが、やはりこの井戸は描いたことがない。どうもこの中には白骨のお化けがいると腕白仲間でささやかれていたから、無意識のうちに僕は避けていたかもしれない。
狂骨
 今から考えてみるとこれは江戸の今昔百鬼拾遺に『狂骨』として称される妖怪で、白髪姿をした白い衣の骸骨だと思われる。写真左:妖怪の『狂骨』
井戸の主は誰かに井戸の中に突き落とされて殺害され、その怨念の化身だとか言われる。宗春の頃だったかもしれない。殺されたのが吉宗の放った隠密だったりすると物語になる。明治の改造はこのイメージを消すためのものだったかも。我が家の元井戸とこことの距離は100m位だから管の下にはその妖怪がいるかもしれない。10年前、我が家に現れたガマ蛙はその仲間で人間界の様子を探りに来ていたのか。

※前回の『妖怪屋敷 第2弾』に載せた門かぶりの松について、この私のブログを読んだ二科会の特選作家である倉掛女史は「山彊先生宅は門かぶりの松が植えられていて、江戸時代から伝わる魔よけをやられてますね。我が家は建てなおす際、それに気付かなくて松を植えていません。そのため毎月の1日と15日には家の周囲にお神酒をまいて家神様の怒りに触れないようにしています」とのメールが届いた。なるほど、それで彼女は今でも元気で、凄い作品を創り続けていられるのだろう。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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