堀美術館が長谷川利行作品を購入

堀美術館が長谷川利行作品を購入

ノアノア
 僕の友人の堀美術館館長が長谷川利行作「ノアノア」(写真右)を購入した。その作品をNHKの日曜美術館で放映(3月12日と19日)するから見てほしいという案内が来た。彼はマスコミ嫌いで取り上げられるのを嫌がる。それなのに僕に連絡が来たのは、この作品が取り上げられるのがよほど嬉しいのに違いない。彼の美術館には10点以上の三岸節子の作品があり、藤田嗣治も数点、他に梅原龍三郎や安井曾太郎、熊谷守一、佐伯祐三、日本画は加山又造、平山郁夫、東山魁夷等有名どころは全て所蔵されている。近くにあるヤマザキマザック美術館は新しい作品購入がゼロなのに堀美術館は次々と購入している。「俺が死ぬ時には1点ぐらい君にやってもいいぞ」と冗談を言っている。彼が今回買った長谷川利行の作品は利行の代表作で数千万する。もし僕にくれると数千万円もらえるということか。彼の美術館には僕の60年代の作品も数点入っている。僕のこの時代の作品は当時人にあげたり、他の美術館に入ったりしてほとんどなくなってしまった。だから僕にとっては自分の作品をもらう方がうれしい。
 
NHK番組日曜美術館 長谷川利行
写真上左:NHK番組日曜美術館   右:同番組「今がいとおし~鬼才長谷川利行」より

 利行は終生家もなければ家族もなく、一銭の蓄えも家財さえなかった。浴衣に下駄を引っかけ、酒に浸って野良犬のようにさまよいながら絵を描いた。熊谷守一によれば、ちょっと知り合ったが最後、金の臭いをかぎつければ即押しかけて何度も絵を売りつけ、金をせしめるまでは玄関から一歩も動かなかった。東郷青児の家にもいき、買ってくれなかったらここから動かぬと言って座り込んだそうだ。そのため青児はやむなく買ってやった。これで味を占めるとその後もたびたびやってきたという。そのため、東郷青児ら二科展委員などからひどく嫌われ、会員にもなれず、よって(金は欲しかったのに)絵の値段はいつまでも上がらなかったそうだ。

 堀館長は以前は加山又造の日本画が好きだったが、その後梅原を購入すると彼のとりこになり、ここ数年は藤田嗣治がお気に入りであった。だが今回長谷川利行を購入すると「ひょっとすると梅原より利行の方が評価を得るようになるかもしれないな」という。僕の持論だが、画家の生き様はその評価に大いに影響する。同時代に生きた者にとっては迷惑な人物でもその常軌を逸した破天荒な生き方が、かえって評価にプラスになる。ゴッホ、今名古屋市美術館でや開催中のアドルフ・ヴェルフリなど然りだ。また画家の評価は、いつの時代に生きたかも関係する。利行がすごいのは1900年代前半に誰も描かないような絵をあのタッチで描いていたからだ。現代にあの絵を描いていても認められるかどうかは疑問だ。
 堀館長の興味はだんだん現代美術にシフトしてきているから、いずれ会田誠や奈良美智、森村泰昌がいいと言い出すのではないか。この変化はおしゃべり相手の私としては楽しい。

 堀美術館は名古屋市東区主税町の閑静な住宅街にある。町並み保存地区に指定された江戸時代の武家屋敷の面影が漂う所だ。堀館長はここでお金儲けをしようとは思っておらず、金、土、日の3日間しか開いておらず惜しい気がする。彼専用の美術館になっては惜しいので皆さんが共有できる美術館にしてほしい。行ってのんびり昼寝でもしながら、お金持ちの応接間にいる感覚に浸ってもいい。忙しい昨今、こんな時間があってもいいのではないかと思う。

 この美術館はこのように個人の収集ながら数百点の作品を収集している。これらの作品写真を入れた所蔵作品集を作ってほしいものだと僕はかねがね願っている。作品写真の著作権は作品が美術館に入っていても作家側にあり、それを勝手に使ったりすると問題になり、時折裁判でもめている。だが観客にとっては文字だけでなく写真の入った目録も見たい。
 そんなこともあり昨今の美術館は作者にその権利を美術館にもくれないかという連絡を入れている。

国立近代美術館封筒 国立近代美術館からの手紙
写真上:僕のところに来た東京国立近代美術館からの封筒(左)と書類(右)

 先日僕のところにも東京国立近代美術館から、所蔵している作品を写真で載せたいが許可をくれないかという書類が届いた。これはうれしいことだ。今までのようだと、A美術館にあるB氏の作品をネットで調べたいと思っても、作品名やサイズだけではどんな絵なのかさっぱり分からない。堀美術館もこんなサービスをしてほしいものだ。

シンポジウムパンフ 
 この長谷川利行のテレビ放映の1日前、名古屋市港区の「港町づくり協議会ビル」で現代美術のシンポジュウムがあった。
写真右:シンポジウム ポットラックスクール
パネラーは版画家の原健、金城学院大学元教授の山村國晶、同じく名古屋造形大学元教授の加藤松雄、まとめ役として藤井達吉美術館の木本館長だった。名古屋で現代美術系のシンポジュ―ムは珍しいこと。そんなこともあり中日新聞でも朝日新聞でも紹介され、私も聞きに出かけた。港という場に現代美術の拠点を作れないかなという主催者側の気持ちがよくわかった。パネラーは皆私の仲間たちばかりだから感想は控えるが、終わりがけに付け加えた原さんの言葉が面白かった。これを聞いて忙しい中、やって来たかいがあると思った。

シンポジウム風景写真左:シンポジウム風景 こちらを向いている人で向かって一番左が原さん
 原さんによれば、名古屋の絵好きの仲間がニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)へ行って、そこに飾ってあるあのモンドリアンの作品を見て感激して彼に話したという。「モンドリアンの作品が何故スゴいか分からなかったが本物を見てよく理解できた。すごくきれいに色が塗られているんですよね」と。実はMoMAにあるモンドリアンの作品は痛みがひどくなっていたので、やむなく学芸員がそこらにあった絵具で適当に修正したのだという。この話、名古屋の芸術のレベルは高いと言いまくっているほとんどの名古屋人への強力なカウンターパンチになるのではなかろうか。名古屋では日展を日本一と思っている人が多いが、この地方以外では日展の入場者は名古屋の十分の一にも満たないし、また一流画家は出品どころか見向きもしない。キレイに描くだけのぬり絵調の作品が多い日展を日本一と評価する名古屋人思考が上の話にもよく表れている。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR