円頓寺界隈の近未来

円頓寺界隈の近未来

浅間神社
 先日、朝日風景画教室の生徒さんたちと絵になる場所を探して、四間道から円頓寺界隈を歩いてみた。四間道町並み保存地区の一角にある1647年遷座と言われている小さな浅間神社から土蔵の喫茶店、懐かしい風情を醸し出している県指定の重文になっている川伊藤家等を歩いてみた。

写真右:浅間神社 この写真では分からないかもしれないが細長い長方形のとても小さな神社だ
写真下左:土蔵を利用して作った喫茶店 
写真下右:石垣の塀が立派な川伊藤家

土蔵の喫茶店 川伊藤家

僕も何回かこの四間道界隈には来たことがある。外国人を連れてきたこともあった。屋根神様を見せると大いに喜ばれた。
写真下:屋根に祭られた屋根神様
屋根神様

 お昼になり仲間21人で食事に入ったうどん屋さんでは、先客のおばあさんが真っ黒に見えるお汁がかかった昔懐かしいきしめんを食べていた。幼いころの味が即、脳裏に浮かんだ。小学生の頃、風邪を引いて僕が寝込み食欲がないと、お袋はうどん屋に走り、消化にいいと言われるきしめんを買ってきてくれたものだ。真っ黒に近い醤油の色だが、飲むとそれほどでもなく、かつお味が効いていて、ほうれん草とかまぼこが乗ったきしめんは絶品だった。熱のある体にこの味はよくあっていた。そんな訳ですぐに同じものを注文した。僕の隣に座り、アメリカに幾年も滞在経験のある50代の生徒の女性は、ほぼこのお汁を飲むことはなかった。昔の日本を知らなかったらまるで醤油をそのまま飲むように感じる色だからだ。

円頓寺商店街 
写真右:円頓寺商店街の中のお店
 昼食後も引き続き、風景画作品にすると良いと思われる景色の写真を撮りながら円頓寺通をふらふら歩いていた時、突然僕の頭の中に何かが閃いた。ここは数年すると面白い町になり何かが起きるぞという予感がし、この町の未来予想図が僕の脳裏に写真でも見ているように浮かんで来たのだ。通りにはアジア系の外国人が行き交い雑踏の中から彼らの話す外国語が聞こえてくる。行きかう人々は外国人がほとんどで日本人は商店の人達だけくらいだ。

円頓寺銀座 
 だが現実の円頓寺商店街には、現在外国人はそんなに多くは歩いていない。しかし最近さびれた商店街の再活性化を図る試みがなされ、いろいろニュースでも取り上げられている。空き店舗を利用した数軒の外国人バックパッカー向けの民泊が目につくのもその試みの一つだろう。もし僕が外国人のバックパッカーで名古屋へ来たとしたら、滞在地としてここを一番に選ぶだろう。寺が多く昔の雰囲気を残したさびれた商店街が安心感と郷愁を与える。行き交う地元住民はこの町の発展を望んでいるような顔つきで、それがまたアジア系外国人にある種の親しみと安堵感を与え、彼らに排除感を与えないように思われる。
写真上:円頓寺銀座と名付けられた狭い路地 ベトナム料理の店があった

 「山彊先生、その昔、バックパッカーだったと聞いたことがありましたが、本当ですか」。
いやその昔どころか70歳近くまでそうだった。去年のニューヨーク個展の時もYMCAに泊まったから、バックパッカーのようなものだ。妻と行ったのでツィンの部屋を頼んだらぼろい2段ベッドだった。特に若い頃は、アルミの竿2本と下に寝袋のついたリュックを背負って世界中を彷徨っていた。宿代が120円のインドのトリバンドラム、ふと後ろを見たら煉瓦で僕を殴ろうとしていた男がいたケニヤのナイロビ、真夜中の12時頃、スパイの疑いでもう少しで軍人に捕まりそうになったグルジアのトビリシ、軍隊に捕まり、尋問されたエクアドル、6人部屋で僕を除いて5人が黒人だったタヒチのドミトリー宿などバックパッカーとして思い出すことはいくらでもある。その思考で今、僕は円頓寺を見ているのだ。

赤色が生える神社
 「でもその思考で見て、なぜここにたくさんのアジア系バックパッカーが集まると思ったのですか」。
アジアの国々から見ると、日本は陰りはあるもののまだ憧れの国だ。彼らの国の生活水準が向上するにつれてたくさんの人が海外に旅行するようになった。だから日本にますます多くの旅行者がやって来るだろう。現在の旅行者は名古屋を無視しているが、いずれ2度3度目の来日になると、間違いなく名古屋の地が気になるはずだ。金持で日本の超豪華ホテルに泊まりたい人は別だが、その名古屋の駅近辺に安い宿があり、元繁華街で昔の町の面影を起こすとあれば興味をそそる筈だ。アジア人にとっては日本の古い街は郷愁を覚えるものだろう。現在名古屋で外国人が多く行く街としては大須があるが、あそこは観光客用にかなり作り替えられ、古いものも残しているが、外国人が店を出していたり、古着屋があったり、雑多で元気いっぱいの感じがあり、円頓寺のようなちょっと裏さびれた寂しさを伴う郷愁感がない。円頓寺はアジアの下町を感じる町となって賑わうようになると思う。今はネットの時代、すぐに情報が飛び交う。その結果円頓寺に人が集まり、僕の未来予想図が当たることになればいいなと思う。
写真右上:赤色が生える郷愁を誘う神社

 ところで自分でいうのもなんだが、僕の思いはよく当たる。これが今回、この文を書いてみたくなった理由でもある。僕のこのようなひらめきは、いつも夜明けの浅い夢から生まれる。昼間の思考に登場しなかったことを浅い夢は探り出してくれるようだ。これは助かる。でも癌でなくなった友人の社長に言わせると、この時間帯は恐怖の時だという。目が冴え、自分の今後、また息子に会社を譲ったがうまくいくか等が心配で死にたくなるのだと言う。この眠れない時間帯が彼を癌に誘導したのかもしれない。日本の自殺の時間統計で行くと、この夜明けに自分で死を選ぶものが多いらしい。僕は有難いことにそれは無い。今回の予想は明け方の夢ではなく昼間だったが、円頓寺の不思議な空間が僕にこのような白昼夢を見させてくれたのだろう。


※僕の教室の生徒さんたちの風景画展が来る3月14日(火)~3月19日(日)まで栄の市民ギャラリーで催されます。風景画作品としての出来栄えレベルは日本でも一流に入ると思うのでぜひ見にいらしてください。風景画はただきれいな景色を写真のように器用に描くものと思っている人が多いように思いますが、そのような絵は誰の絵も同じようなものになり、物まねのようになります。絵画は個性であり、その個性から生まれる創作であるということが我々の作品を見ることによって分かっていただけると思います。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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