映画 『エゴン・シーレ 死と乙女』

映画『エゴン・シーレ 死と乙女』
エログロ画法を芸術に昇華、浮世絵の影響?

お正月飾り (300x225)
 明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。
 今年は我が家の玄関の正月飾りを妖怪屋敷風にしてみた。(写真右)お客を驚かせようと、僕のニューヨーク個展に同行してハロウィンにも参加した人形作家宮本さん制作の妖怪人形の頭部や「即身妖怪」のお札を並べてみた。

映画のパンフ
 さて今年の最初のブログは、画家エゴン・シーレ(1890~1918)だ。昨年暮れ映画の試写会に行ってきた。知り合いの美術館館長がたくさん観にきていた。美術関係者を招待して映画をPRしてもらうことを願っているのだろう。

 クリムトと並び19世紀末と20世紀初頭のウィーン美術界に異彩を放った画家エゴン・シーレ。『エゴン・シーレ 死と乙女』はスキャンダルに満ちた逸話と挑発的な名画の数々を残して28年の短い生涯を終えた異端の天才画家を描いた実話に近い映画だ。写真左:映画のパンフ

 物語はエゴン・シーレがスペイン風邪で熱にうなされながら、過去を回想する場面から始まる。シーレは鉄道官吏の子として生まれるが、14歳の時に父が梅毒で狂い証券等財産を全て燃やして死んでしまう。15歳くらいから油彩を描き始め、4歳下の妹ゲルティをモデルに裸体画も描いている。僕が思うに妹をモデルに使ったのはモデルを雇うお金がなかったこともあるだろうが、よく言われるように少女期の女性に興味があったことも理由の一つかもしれない。

ヴァリの肖像
 16歳でウィーン美術アカデミーに史上最年少で入学するも19歳には退学している。(ちなみに同時期にヒトラーがこのアカデミーを2回受験しているが2年連続で落ちている。)その間クリムトとも知りあい、シーレの才能を認めたクリムトが自分のモデル、ヴァリを無償でシーレに与えている。写真右:ヴァリの肖像1912年

 シーレはたくさんのモデルと同棲状態になるが結局結婚は良家の娘とすることになる。傷心のヴァリは従軍看護婦になり、戦地で病気になり亡くなる。タイトルの「死と乙女」はヴァリとシーレを描いている。モデルは一段低い階級と思われていた当時、結婚相手としては考えられなかったのだろうが、映画ではシーレが一番愛していたのはヴァリだったという視点から、シーレのエゴイスティックな面をも描いている。最後は夫婦共若くして28歳という若さでスペイン風邪で亡くなってしまう。

 芸術しか頭になく金がなくてもこだわらず、欲望の赴くままに次々と好きな女性を変えていく。何故か絵描きは貧乏でも女性にもてる。よくある定番の画家伝説だが僕には引っかかる。いくら昔の話とは言え、これだけ自分に甘えて生活できるなんて信じられない。現実の画家として僕がみると気恥ずかしくなる内容だ。おかしいよ、ほんとにこんなだったんかな、と訝るところも多かった。こんなことをしていた僕の女癖の悪い仲間もいたが、当然の如くみな数年で美術界から消えていった。

オルガの肖像画 
 この手の画家の話で僕が気になるのは食えない、食えなといいながら高いお金を払ってモデルはちゃんと使っていることだ。当時とっくに写真機はあったし、写実を否定する現代アートが始まっていた。なのにシーレをはじめクリムト、モジリアーニ、特に形なんて無視したような絵を描くピカソまで裸婦モデルを使っていた。
 ピカソの4番目の女で最初の妻となったロシア貴族の娘、オルガは「自分をモデルとして使う以上、自分と分かる写実的な絵にしてほしい」と要求し、実際にピカソはそういう絵を描いている。写真左:オルガの肖像画キュービズムの絵描きとして有名になった後のことである。
 ピカソは自分と出くわすほとんどの女に「僕のモデルになりませんか」と声をかけ口説いている。近代の絵描きがモデルを使うのは口説くための道具なのかと思ってしまう。

写真下左:ピカソが街で出会い「僕のモデルになって世界の美術の歴史を変えませんか」と言って口説いた娘(マリーテレーズ・17歳)写真下右:マリーテレーズを描いた作品。当時ピカソには正妻オルガがいて、彼女は生涯ピカソの愛人だったが子供まで生まれている。ピカソの死後、首つり自殺をしている。
マリーテレーズ 夢

 
 「山彊先生もそういって口説いたことはありませんか」。実は猛烈にこの手の口説きを使いたかった。けれど一度も使ったことはない。好きになった女性の裸なんて、手がふるってしまって描けない。では関係ができて落ち着いたら描けばいいのかとなるが、この時は今さら身体を見て描くなんて、となって興味がわかない。

 シーレに関して気になるのは彼が一般的に言うところの卑猥な絵も描いていたことだ。画家は昔から女性の裸体を描いてたが、性器まで描くのは、そんなに多くない。僕は多分彼が浮世絵春画の影響を受けたのではないかと思う。当時はジャポニズムがヨーロッパで大流行していたし、映画の中でもシーレが浮世絵を見るシーンが出てくる。

写真下左:二人の少女(恋人たち)1911年 写真下右:夢の中の女1911年 
二人の少女(恋人たち) 夢の中の女

絵を描くことが好きで、芸術のために欲望の赴くままにがむしゃらに描き、短い生涯を燃焼させたシーレが印象に残る映画だった。



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こんにちは、
私も映画『エゴン・シーレ 死と乙女』を見てきましたので、画像と詳しい鑑賞レポートを読ませていただき、映画エゴン・シーレ 死と乙女』の感動が甦ってきました。シーレの絵画についての詳しいお話も大変勉強になりました。私もエゴン・シーレの作品は数多く見て魅了されましたが、シーレがなぜこのような絵画を描けたのか分りませんでしたが、この映画をみて、エゴン・シーレの絵画の本質と魅力がかなり分かってきたような気がしました。エゴン・シーレにとって大切なのは芸術で、シーレが本当に愛したのは女性ではなく、女性の肉体と性を愛していただけで、本当に女性を心から愛することができない男だったのではないかと感じました。

私も『エゴン・シーレ 死と乙女』を観て、この映画から感じた天才エゴン・シーレとその芸術について整理してみました。読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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