妖怪屋敷第2弾

妖怪屋敷第2弾
「松と槇は妖怪の友?」

玄関の松
 私の家は築60年近く経っている。建てた当初、20種以上の庭木を植えたがほとんどが枯れたか大きくなり過ぎて切ってしまっている。当時のまま残っているのは玄関の松と庭の槇の木だけだ。写真右:60年前、自宅の玄関にかぶるように植えられた松(樹齢は130年程だとか)
 
 「山彊先生宅は妖怪屋敷だ!」の教え子の言葉が気になり何故2種類だけ残ったか、二人に聞いてみた。「やはりそうでしたか。その2本は妖怪に守られているからですよ。我が国は室町の昔から妖怪封じの庭作りをしてきました。それが近頃は庭をどんどん潰している。先生宅はその点庭が残されているから安全ですが、他の家は何か悪いことでも起きはしないかと心配しているのです。まあそんなこともあり山彊先生に僕等の妖怪研究にひと肌ぬいでもらおうと思っているのです」との返事だった。

 我が家の松も槇も樹齢100年は超えている。“家に植えられ100年を過ぎたある種の木には木霊が宿り不思議な神通力が生まれている。それを無視して伐採しようとするとたたりがある。”と鳥山石燕の妖怪画集にも書いてある。
 また別の言い伝えによると、玄関に植えられた松はお客(妖怪を含む)を待つ(松)という意味もあり、客の選定もその際にしてくれ、危険な客は入れないようにしている。「まあ松は妖怪とお友達っていうところですか」と彼等はまとめる。そのため玄関に松の植わっている家の住民は妖怪に守られ、そのおかげで長寿系にもなりやすいそうだ。そうかな、一度調べてみる手もある。そう言えば水木しげるの妖怪関連の本に「長く生きた者は松の精霊になると言われる」とある。
 鳥取の民話に日が暮れてから1本松の下をくぐると松の上に白髪のお婆がいて、寿命を決める糸車を廻しながら大口を開けて「へえ、へえ、へえ」と笑うそうだ。私が元気なのも、この松に守られているおかげか。
 槇の木は棺の素材として使われていたと日本書紀にも記されている。だから問題のある妖怪は槇に木の念力で、押さえこんでくれるとか。妖怪のルーツである高野山から大台ケ原にかけてこの木が大量に繁茂しているそうなのだ。妖怪は暴れたい気持ちを、ここである程度押さえられているのかもしれない。

槇の木
 我が家の庭木を選択したのは私の親爺だ。92歳で亡くなったけれど自分の家ではなく医院でのこと。元気になるからと医師に造血剤を打たれ、その10分後脳の血管が破裂して亡くなっている。医者に行かなければ死ぬことはなかったのに。その親父は家についていろいろ蘊蓄を披露していた。
「松は玄関に枝がかぶさるように植えよ」とか「槇はその下に大きな石を置け」とか言っていた。客が松の下を通ることで妖怪の洗礼を受けさせ、家主とのトラブルを事前に抑えようとし、槇の木の大きな石は、棺桶のふたが開かないようにするためらしい。一応つじつまが合う。
写真右:槇の木を押さえる大きな石と100年前我が家が庄屋と酒屋だった折りの酒入れの壺。

 「山彊先生、この家に60年も住んでいてその間、不思議なことが色々あったでしょう。それを教えてくれませんか?妖怪の研究会で発表できるから」と教え子たち。もう完全に我が家は妖怪屋敷にさせられている。
「そうだね、今でも信じられないことは、10年ほど前だったか、我が家の庭の槇の木の根元にに大きなガマ蛙が現れて家じゅうの者が面食らったことだ。都心にある我が家にそんな生き物がいるはずもなく、それまで一度も現れたことがなかった。かわいそうだと水をかけてやったことがある。我が家の飼い犬も近寄っていたが少し匂いをかいだだけで避けていた。2~3日庭にいたがその後忽然と消えている。どこにも亡骸がなかった」。
 
 妖怪研究家の二人に言わせると、ガマ蛙は妖怪の代表的な使者だそうだ。江戸時代の「絵本百物語」や「北越奇談集」等にもよく登場している。長い舌で虫をひょいと巻き込んで食べるから、人間の精気も呑み込んでしまうように見える。だから妖怪の使者として人々に恐れられている。写真下:「絵本百物語」1841年作、周防の大ガマ図

周防の大蝦蟇図
 「先生宅の庭は元沼地だった。地中にガマ蛙の世界があって、そこからひょっこりやってきたのではありませんか」と、ガマ蛙が出た理由を説明してくれる。そう言えば映画スターウォーズの第1作でも地底の蛙王国を紹介していた。このロケはアフリカのマリ共和国のジェンネで行われている。私は6年ほど前ここへ一人で出かけ、大量の蛙に遭遇し、面食らったことがある。私が泊った部屋の入口には小さな明かりが付いていて、その下に40~50匹の蛙が口を私に向け整列をしていたことだ。大量の蛙が一列に並んで口をあけて一斉に私を見ている。一瞬ぎょっとしたが、それは光に集まるブヨやカが落ちて来るのを気長に待っているためだったのである。

 清洲越し400年の名古屋の今、これからもっと潜んでいた妖怪が現れるかもしれぬ。先生としての僕は妖怪バスターの二人に期待し、応援もするつもりだ。これからの名古屋がおもしろくなるかもしれぬ。いや今、名古屋では妖怪を無視した家づくりをしているから、危険な街になるかも知れぬ。皆さん、町を歩いて松や槇の木を探し、その住人が長寿か尋ねてみてください。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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