山田彊一 ニューヨーク妖怪個展を終えて

山田彊一 ニューヨーク妖怪個展を終えて

個展のお知らせ記事
 ニューヨークで行っていた僕の個展「妖怪インニューヨーク」展が11月2日に終わった。
写真右:個展の開催を知らせるニューヨークの新聞
 10月27日のオープニングには50人程の来場者があった。僕と直接つながりのない街なのに想像していたより多くの人が来てくれて僕はとても感激した。高校の同級生は当地にある日本の銀行の頭取を長年続けていたのでその関係の人も多かった。政府高官である僕の教え子は領事館に連絡を入れ、職員たちに見に行くように言ってくれたりしたので、そういった関係者も多かった。

写真下:僕の個展の関する記事を載せたニューヨークの日系新聞
NYの読売新聞に掲載された僕の個展 NYの新聞に掲載

個展会場
写真右:個展会場
 またこれは全く知らない人だが、心臓外科医でニューヨークへ研修に来ている医師は妖怪が好きらしく、すごく丁寧に僕に質問をし、その後2回もお礼のメールをくれた。それによれば、今僕の本がアメリカでは手に入らない、もうすぐ学会で日本へ行くから僕の本を買うつもりだ、また名古屋に友人がいるのでそこを訪れた時は必ず寄らせていただくと書いてあった。ここニューヨークでは全然違った分野の人に会える楽しさがあった。

写真下左:オープニングパーティ風景 右:オープニングパーティで談笑
オープニングパーティ風景 オープニングパーティで

 驚き、また参考にもなったのは個展最終日にやってきた長年ニューヨークに住んでいる日本人男性だ。定年後らしい遠慮がちな人で、聞けば現代美術の作家であるという。マンハッタンの中心にある美術学校へ通っているとのこと。仕事がなくなった彼は、ホームレスにならずに生きてゆくための一つの目標として始めたらしい。年金のある日本ではカルチャーセンター等へ行って基本から習う定年後の男性が多いが、ニューヨークではすぐにアーティストとなってしまうらしい。その方が格好はつくし文化を大切にするニューヨークでは住みやすいのだろう。

絵を描いていたニューヨーク大学の学生
 ワシントン広場前で絵を売るニューヨーク芸術大学の学生たち10人程の作品を見ると、基本なんてなくキャンバスにめちゃめちゃ色を塗って堂々と売っていた。
写真右:絵を売っていたニューヨーク芸術大学生 ボロい絵の写真を撮りたかったが、撮ると買わされそうなので代りに絵を描くのを中断して休憩していた可愛い女子学生を撮った
下手に基本を付けると同じような絵になってしまうという判断だろう。芸術における個性はデッサンや塗り方の基本を覚えるとマイナスになると思っているようだ。本当にどこのギャラリーへいっても子供の様な下手くそな絵が並ぶ。これを見ていると仕事をなくしたおじさんたちが気軽に絵描きになれることも理解できる。

ポロック作品2
 また別の街角でもポロックそっくりの絵が売られていた。キャンバスに絵具をたらしたような誰にでも描ける絵だ。ポロックはアメリカの現代美術の第1人者であり、美術界で最初に筆をキャンバスにつけることなく、垂らすことで描き、超有名になった芸術家だ。写真左上:本物のポロック作品
彼が現代美術史にその名を残したのは最初にやったからだが、この露店の画家はその真似をして売っているのだ。素人は絵面がポロックに似ているから買うのだろう。アメリカ人はウォホールやポロックなどをとてもよく知っている。絵をやっていない人でも彼らを知っているのはそれだけ有名で国民的画家だと庶民にまで浸透しているからだろう。

国吉康夫作品

 日本でよく知られ1点数千万円する国吉康夫もニューヨークへやってきて突然絵をやり有名になった。どんな人にも突然有名になるチャンスがこの街にはある。これがニューヨークのすごさだろうか。
写真左:国吉康夫作品

 
レディガガの父のレストランで
 今回僕は30点の妖怪画を持ち込み、そのうちの1点がレディガガの妖怪画だった。これを彼女にあげることも今回の個展の目標だった。僕の作品が彼女の部屋に飾ってあると思えば感激だ。まあ夢物語だろうと思っているが、チャレンジするのが僕の性分だ。ところが彼女はちょうど同じ期間に日本へ行っていた。そんな話をギャラリーの関係者に話していたら、レディガガのお父さんがオーナーであるレストランがマンハッタンにあるという。レストランに予約を入れ出かけて行った。レディガガのお父さんはあいにくその日来ていなかったが、レストランの責任者に事情を話したら、「すごく素晴らし作品ですね。ガガが喜ぶと思います。必ず彼女に渡します」と言われた。
写真右上:レディガガの父親がオーナーをしているレストランで責任者と
これは超驚きだった。通訳として連れて行った妻の英語力のおかげかもしれない。やったー!返事は来るだろうか。もし来たらこれでもうワンステップ飛躍できるぞ。

 ところで今回は6人の女性に僕は助けられ個展は成功裏に終わった。まず個展前日の飾りつけも彼女たちがいなかったら1日で展示はできなかったかもしれない。またオープニングパーティやギャラリトーク、ハロウィンパレード参加にも大いに花を添えてくれた。その中の一人は豊橋に住む人形作家の宮本さんだ。四谷シモンのような人形を作る。

ハロウィンパレードに参加する  我々は彼女の作った人形を掲げ、マンハッタンのハロウィンパレードに参加した。地下鉄に乗る前からたくさんの人に取り巻かれ注目を浴び、地下鉄内でも一緒に写真を撮らせてくれと頼まれたりした。真っ赤な長襦袢を着て緑の鬘をかぶった姿が日本的でニューヨークでは珍しいわけだ。
写真左:ハロウィンパレードに向かう妖怪軍団
 地下鉄のキャナルストリート駅から出て仮装の行列に加わり、道の両サイドに集まった数万人の見学者の前を通るときの彼女らは、まるでミスユニバースに出ている女性のように自信に満ち、投げキスをしながら堂々と闊歩していた。人生で一番多くの人から見られ、脚光を浴びた時ではなかったか。いずれ何千何万と撮られた映像が誰かの目に留まりマスコミに取り上げられるかもしれない。彼女たちの娘なり元の恋人が見たらどう思うか楽しみでもある。元恋人なら結婚しなかったことを残念がるかもしれない。

※僕をサポートしてくれた女性たち:二科展の特選作家倉掛京子、人形作家の宮本美代子、春陽会会員の杉藤万里子、国画会の小島節子、金城学院大学大学院卒の教え子の桶川千秋の皆さん


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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