雪舟 歴史的評価のトリック

『下手くそな雪舟がどうやって自分を超天才画家に見せたか』
芸術の評価は歴史のトリックで変わる
<雪舟序論>

宝福寺
 私は雪舟についての長編小説を書くため長年に渡り資料をそろえてきた。何故雪舟にこだわったかというと、絵描きとして絵を見る目が養われてくるに従い、雪舟の作品に対する評価がどうもおかしい、うまくもないのにどうして画聖とまでたたえられてきたか不思議でならなくなったからだ。私の中学時代の美術の教科書には水墨画を代表する画家として雪舟の絵が1ページを占めて掲載されていた。当時は絵を特別勉強していたわけでもなくこれのどこがそんなにすごいのかと思った程度だった。
写真上:岡山県の宝福寺。幼い雪舟が修業した寺と称せられる。
 その後画家として作品を制作する傍ら、美術史も30歳頃から研究しはじめた。そうするとやはり雪舟の評価はおかしいと思えてきた。歴史学界の一部では雪舟を解くカギは西洋印象派にあるとして、特にセザンヌとの対比で検証するものがある。気になってさっそく調べてみたが、その雪舟論はこじつけに近く、正当性を見つけ出すことはできなかった。
 確かにセザンヌと対比する考え方には一理ある。雪舟もセザンヌもデッサン力が無く、それまでの写実力に優れた画家たちのようにうまく描けない。しかし描かれた絵はそれを超えて訴えてくるものがある。それが彼等の歴史に残った理由と言われている。だがここで時代背景を考えてほしい。雪舟はセザンヌ等より500年も前の人で、しかも日本でのこと。芸術という感覚もなかった時代の人。それを芸術の概念を変えた印象派以降(1850年頃以降)の西洋の芸術理論でまとめるのは、こじつけとしてもメチャだと私は気付いた。まあラスコーの洞窟画とピカソと同列に並べ「デッサンに生き生きとしたスピード感がある。ラスコーはピカソを超えていた」というようなものだ。
 やはりおかしいと結論した私は、色々調べた結果をまとめて、巷に流布している雪舟論を覆す本を出そうと考えた。だが数え切れない程の学者が「雪舟は画聖。すばらしい」と誉めまくっているのに、私が何を書いても無視をされバカ者呼ばわりされるだけだと一旦は諦めた。しかしその後も疑問は消えず、雪舟についてさらに調べ、ノートにまとめてきた。最終的にはやはり雪舟についての小説を書きたいという気持ちがあるからだ。そんなこともあり資料を確認しながら書き進めて行くと、次々におかしな事実が見つかった。不思議なことに学者先生達はそれらの矛盾点を無理に肯定するか、気が付かないふりをしているか、要は及び腰になっていることが分かった。
雪舟自画像
 そんな折、東日本大震災が起きた。この震災は原子力研究者というアカデミックな集団の権力構造を一般人にさらけ出した。ものすごい権力を持った原子力学者村の存在だ。自分たちに利益を与えてくれる先輩の学者先生を、間違っていると思っても否定してはいけないという集団が存在していることに気が付いた。ふと雪舟研究学者に思いを移すと、この世界にも「雪舟研究学者村」があることが分かった。けれど権力が原子力村ほど強靭でないことも知った。そのためか近頃は山下裕二、島尾新等の若い学者から盛んに学者村の先生は突き上げられ、集団が崩れかけていることにも気が付いた。その違いは何故だろうかと考察してみるに、東海原子力村は金を出す電力会社やそれにたかる政治家が存在するが、雪舟学者村にはそんな企業はなくて、資金が流れてこないことだ。それでもこれまでは大学の教授ポスト等が餌であっただろうが、縮小に向かっている大学の現状ではそのカバーができなくなってきているのであろう。
 そんなことも踏まえ、小説を書きあげる前にまず気が付いた現状を、「雪舟神話の欺瞞」としてまずエッセイ風に書き、それを少しずつまとめてこのブログで発表しようと思っている。
写真右:明の土産の帽子をかぶる雪舟の自画像(俺は中国留学帰りだと暗に言っている誇らしげな絵)

 私は18歳のころから73歳の現在に至るまで、沢山の保守系の美術関係者からいじめられて生き延びてきた。そんな中、「いずれオレの実力を分からせてやる」という思いが私のアートを支えてきた。「雪舟の欺瞞」といいながら雪舟にこだわりおもしろく思うのは、彼も下級武士のせがれで食いぶちを減らすため寺にほり込まれて、それゆえ門閥主義のはびこる相国寺で蔑まれていただろうことが想像できるからだ。雪舟研究の学者達は彼があの周文から絵を習ったように書いているがとんでもない。知客(来客の案内人)という位で絵が習えるはずがない。それに習ったとしたらあれだけ下手なわけがない。私が雪舟なら高貴な面をし、足蹴にした連中にひと泡吹かせたいと思い日々を送る。これが多分雪舟の毎日でもあり、人生目標ではなかった。これなら私の思考とも繋がり小説になる。雪舟を追いながら「そうだ、オレが雪舟であっても同じことをやる」と納得したものだ。雪舟は禅僧であり画僧でまじめに努力したというのがこれまでの学者先生の彼に対する分析であったがそうではなかろう。結構色事を好み、フレンドリーであったと想像できる。
雪舟山水画
写真上:僕の好きな雪舟の『山水図』。学者で理解できないと言っている人も多い。僕もサイン等頼まれると、この技法でまとめていた。雪舟を意識していなかった。だから雪舟が僕には分かる。 
 今後このブログに「雪舟の欺瞞」というタイトルで10回程の文を折りに触れ載せたいと思う。芸術の裏舞台をおもしろく書くつもりだ。


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正しいと思われますか?


 雪舟の山水図(個人蔵)で気付いたことがあります。
 画面右の高いところにあるV字の谷の部分から、尖った山の先端が見えているのですが、このV字の谷と尖った山の先端の組み合わせの形が、この山水図には合計三ヶ所あります。
 大きい順に、1中央 2左側 3右側(最初に説明した部分)です。1と2は、一部を共有しています。
 よかったら探してみて下さい。下手なパズルより、きっと面白いですよ。

※「雪舟」で検索して頂くと、ウィキペディアの、四季山水図(山水長巻)の画像の下に、山水図(個人蔵)として画像があります。
カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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