煙に巻かれた『最後の秘境 東京藝大』

煙に巻かれた『最後の秘境 東京藝大』

東京芸大
 この本の正式なタイトルは『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』だ。(写真右)ふらっと入った本屋で目にした「最後の秘境」の文字につられ、買ってしまった。芸術の世界は学歴でなく実力だと言われていても僕には東京芸術大学が何か引っかかる。ちょっとだけ絵をかじった友人が「君がどう頑張ろうと東京芸大出ではないからな!」と言って僕をいびる。一般人の画家に対する尺度はやはり学歴が大きな条件なのだろう。でも僕はそう思っていないからしゃくに触る。

東京芸大正門
 写真左:東京芸大正門
 ところでこの本の帯には「入試倍率は東大の3倍!」「卒業後は行方不明者が多数?」といかにも気を引きそうな文句が並んでいる。やはりそうか。卒業生にホームレスやプータローが多いよなと納得。その他「やはり彼らは只者ではなかった。なぞに満ちた『芸術界の東大』に潜入した前人未踏、抱腹絶倒の探検記」とも記されていれば、見え見えの宣伝文句だよなと思いながらも興味が湧く。この大学は上野動物園のすぐ上にあり、ここから釣り糸をたらしてペンギンも釣り上げたという言い伝えもあると目次に出てくる。著者は一橋大卒の物書きで、奥さんが現役の東京芸大の彫刻科生。これなら嘘も書けないであろうと思ったことも本を買った理由だ。

 僕が以前ここの卒業生に聞いた授業の1シーンは、さすが東京芸大生って面白いなと今でも思い出す。その話は人物の裸体デッサンをする授業の折のことだ。人物デッサンの授業ではプロのモデルを雇うお金がないので体に自信のある男子学生達が変わりばんこに、安いお金で全裸のモデルをやるという。ある折、そのモデルの正面に陣取って描き始めたかわいい女子学生がいたらしい。しばらくすると男性モデルは股間の何かが突然勃起し始めたという。真っ赤になったモデルの裸体男は股間を隠しトイレに逃げ込んだとか。からくりはこうだ。モデルの前に座った女子学生がノーパンでやってきて徐々にスカートの間からモデルに股間が見えるようにしたらしい。彼女は一番前座っていたから男性モデルにしかスカートの中を見ることはできない。この話は超おもしろい。こんなウィットに富んだ話を聞いていたら、僕も俄然こんな学生のいる芸大に入りたくなったことを思い出す。

 話を本題に戻そう。本は筆者の感想が面白く、読ませるものになっている。「最後の秘境は大都会のど真ん中にある大人の幼稚園だった。」「芸大に合格し最初に学長から告げられる言葉は『芸術は教えられるものじゃない』だった」とか。一般の人がこの言葉を聞いたら、何故すごい受験勉強をして苦労し入学する必要があったのかと思うであろう。

 僕も地元の芸大で教えていたころ各教授が同じようなことを言っていたのを思い出す。「教えることはない。この20年か30年で一人、ピカソのような天才が出ればいいのだよ」と真顔で言っていた。もう創立40年もたつのにピカソどころか一人の有名画家も出ていない。それに地方の芸大には「とりあえず芸大に入っておけば、あまり勉強もしなくていいし何とかなるであろう」という目的を何も持っていない学生が半分以上はいる。その連中に「教えることはない、自分で勝手に何でも探してやってみろ」という教授連に僕はあきれていた。何も自分で探せないから芸大にやってきているのだ。東京芸大の学長の言葉は、この大学に入った学生なら自分で芸術について何かを探求できるであろうという確信のもとに発せられた言葉だろう。最もすべての学生がそうではないかもしれないが。

 「山彊先生も長いことこの地の芸大で教えてますよね。どんな教え方をしていたのですか。」
僕は学生の中に分け入って、彼らの目線で授業を進める方式だから、周囲の先生達の「ほっといても卒業していく。卒業後のことは自分たちには関係ない」という考えには反発していた。だからプータロー学生が社会に出ても役立つ授業をしていた。僕の特技の一つはシルク版画だ。これを覚えればTシャツ等やいろんな物へのプリントが可能になる。またインク代りにチョコレートでも使えばオンリーワンのケーキやお菓子も作れる。この技法、大学では1千万円程の装置を使って教えている。だが卒業して学生たちがやろうとしたらまず装置に1千万円の費用がいる。半ばプータローで正式な職に就けない学生を多々見てきている。そんな彼らにこんな資金を作れるはずがない。
 そこで僕が教えたのは1〜2万円でやれる刷り方だ。電気の装置で焼くところを太陽光線を用いる。水圧の強い水で版を抜くところ、風呂のシャワーで代用する等々だ。
写真下左:太陽光線を使っての版の焼き方  右:お風呂での版への水の使い方
版を焼く 版を洗い流す
写真下左:紙への刷り方  右:この技法を使った僕の作品(オリンピックのエンブレムが問題になった頃、テレビを見たその晩に刷ったTシャツ。翌日これを着て栄を歩いたら行き交う人がどこで売ってますかと尋ねてきた。)
版を刷る 僕の技法によるTシャツ作品

 僕が教えたこの方法で、彼らの中にはもう学生の内から近所のお年寄りのゲートボール仲間のユニホームを作ったりしてお金儲けをしている者もいた。またこの僕の技法は版画作品にも使用できて、僕の生徒達は内外の大きなコンクールにも受賞や入選を繰り返している。この技法で筑波大学大学院に入った学生もいる。これ以外の技法でも安く簡単に作れる石膏マスクや数々の売れる飾り物の作り方も教えている。その気になればこの技法でプータローは防げる。
写真下左:名古屋芸術大学の学生の刷ったTシャツを覚王山のお祭りで売っているところ。よく売れた。(中日新聞に掲載)
右:石膏を使って制作したお面。我が家の玄関に飾ってありこの半年で来た有名人のサインも書いてもらっている・福田彩乃や名古屋の武将隊など。

記事が掲載された中日新聞 石膏を使ったお面作品

徳川園正門風景
 僕もこの技法で作品を創り、名古屋のヒルトンホテルの各部屋に合計で500点ほどの作品が飾られている。勿論プロとして通用するためには技術的なことの上に個人の斬新なアイデアや芸術的センスが必要なのは言うまでもないことだ。しかし基本となるテクニック、さらには美術家としての生き方のテクニックも教えてやるのが、東京芸大よりやる気の薄い学生が多い地方の芸大の先生の使命ではないかと僕は思っている。
写真右:僕の手製のシルク版画の版画作品(徳川美術館正門風景)

 もう一度東京芸大の本に話を戻そう。この本をもし芸大を受験する子の親が読んだら仰天するであろう。大金を出して遊ばせ、卒業したら多くがプータローになるのだから。この本の書き手は親たちがそうならないように音楽学部の話も加えカモフラージュしている。そしてこの結果のまとめとして『やはり彼らは只者ではなかった』として、煙に巻いている。




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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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