僕のニューヨーク個展の目的

僕のニューヨーク個展の目的

ニューヨーク個展ポスター

 今年10月末から11月初めにかけて行う僕のニューヨーク個展の作品やポスター、案内状が仕上がった。
写真右:ニューヨーク個展ポスター
あとはポスターの発送や展示方法等細かい仕事が残っている。だがもう一つ心配なのはアメリカでは肖像権等あらゆる権利に対する裁判が日常化していることだ。僕の今回の作品群は風刺的で誰かのイメージが込められているので肖像権等に関する事前のケアも考えなくてはならない。これが結構大変だ。
 今回のニューヨークでの妖怪画個展は僕にとっていろんな狙い、目的がある。何故ニューヨークで?なぜ今妖怪画?等々いろいろ考えた上での個展だ。これまでにもニューヨークで作品は発表しているが個展はなかった。それができるのがまずうれしいが、これだけが主たる目的ではない。それを語る前に現代の美術状況、特に愛知の美術状況を知って頂くと僕のニューヨーク個展の狙いも分かって頂けるのではないかと思う

 今名古屋、愛知では『あいちトリエンナーレ』の準備が進められている。日展や二科展等の公募展の作家達は「東京や横浜でやられている新しい美術の試みをやってくれるのはいいが、我々の日ごろ使う会場である美術館を使うため、その美術館から追い出された。先進的な美術もいいが何とかならないか」と文句を言っている。これまで名古屋を牛耳っていたボス的存在の画家たち、加藤金一郎、小川智、末永一夫、岡田徹等が亡くなり、次のボスたちがトリエンナーレ展のようなものに文句は言ってもあまり反対しなくなったのはいいことかも知れない。以前ならトリエンナーレ開催は100パーセント不可能だったであろう。
 戦後の日本の美術界は従来の保守的体制に縛られず自由に行動する芸術家たちが中心となって牽引してきた。少なくとも大都市と呼ばれるところではそうだ。しかし、愛知の芸術家たちは変に団結して、徒弟制度のような組織を作り、自分たちの画家団体の権利を守っている。そのためもあり名古屋には戦後の世界的なアート運動の中心であるポップアートすら入ってこなかった。この地の画家にポップアートと言って理解できるものが幾人いるだろうか。このことを、長い間名古屋大学で教鞭をとっていた針生一郎さんに指摘され、名古屋の画家として恥いったことを僕は思いだす。
 では現在日本の各地で盛んになってきているトリエンナーレ展はどうだろう。(ここで意味するトリエンナーレ展とは3年に一度開かれる誰でも出品できるコンクール形式の美術展とは異なる)。例えば横浜で2005年に催された2回目のトリエンナーレ展では、総合プロデュ―サーになれそうな美術評論家たちが全て逃げてしまったため、作家である川俣正が引き受けてやっていた。当時僕は『名古屋力アート篇』の本を出版するため針生一郎さん宅をよく訪れていた。その折「あれだけ行政側の条件が付いたら、もうまともな展覧会はできまい。川俣君は作家だからそれに気付かないかも知れないが、もうこのような美術展の役目は終わったよ」と言われたことを思い出す。針生さんは当時80歳近い年齢だったが、いつでも冷静な先見の明を持って美術の将来を考えておられた。この種の展覧会は、美術に遅れていると言われるアジアでも1981年以降にはバングラデシュビエンナーレが1996年以降は上海ビエンナーレが、韓国でも釜山で2002年以降ビエンナーレが開かれている。

 アメリカやヨーロッパ、日本等の現代美術の世界は終末を迎えていると言われている。つまり印象派以後の創造のアートが終り、現在アートは喪の時代に入っているという世界共通の認識が広がっている。そんな状況を打開すべく、トリエンナーレ(又はビエンナーレ)展が企画されているわけだが、ではこれが終焉状態の美術をよみがえらせる決定打になったかと言うと、前述の針生さんの指摘にもあるように、トリエンナーレ展が終わった後も、美術の大きな革新あるいは躍進は見られず、単なる一過性の行事として存在しただけで人々の記憶にもあまり残っていない。それ故、現代美術の復興をトリエンナーレ展に求めても無駄な気がする。

ニューヨーク個展ポストカード
写真上:ニューヨーク個展の案内状

 美術作家の役割はそんな美術界に少しでも風穴を開けることだと僕は思っている。僕が若かったころ、個展をすることは自身の美術行為の発信として重要だった。特にニューヨークで個展することは大きな夢だった。しかし今ニューヨーク個展をすること自体はそれほど重要ではないと思っている。次のアートの世界を切り開く行為につながらなければ意味がないと思っているからだ。だから僕の個展には僕の過去の作品、あるいは過去と同じコンセプトの作品は持っていかない。無理かもしれないが僕としては新しいアートを切り開く可能性のあることをしたい。これが僕の今回のニューヨーク個展の目的だ。

 具体的には日本人である僕としては、島国国家であるが故、面白い妖怪を創り出せた日本人のセンスでニューヨークの妖怪創造者になりたいという願望がある。アニメ、漫画に日本人が強いのは同じ理由によると思われる。ニューヨークではこれまでの日本人画家がやったことのないユニークな個展をしたい。
 また次の目的は遊びとしてのアートなのだが、ニューヨークのTシャツ界に売り込めないかということだ。ニューヨークではたくさんのTシャツを見たが図柄などひどいものも多い。ニューヨークのデザイナーたちには日本の漫画的、浮世絵師的なセンスに欠けるからだろうか。作品が美術館に入ったら当然すごいことだが、妖怪キャラがTシャツとなって街中を浮遊するのも悪くはないと思う。
今回の図柄の中にはレディガガやオノヨーコをイメージしたものも入っている。彼女たちには招待状を出すが、すごい有名人だから来てくれるなんて思わない方がいいだろう。けれども作品としてはほしくなるような図柄にしたからひよっとして、と希望は持っている。来てくれると個展後みなさんにおもしろいエピソードが語れるけれど。
 個展の会期はハロウイーンの日も含んでいる。マンハッタンを日本の妖怪スタイルで歩く予定だ。日本からこれで騒ごうという目的でやってくる4人の画家も加え、遊びたいと思っている。
 美術界は喪の時代にはいったからこそもう何でもやってみるべきなのだ。今、大流行を起こしているスマホによる「ポケモンGO」も僕に言わせると、完全なるアートの一つだと思っている。2,30年後には世界の美術館に美術作品としてコレクションされるのではないだろうか。喪の時代の中でも胎動しているアートはある筈だ。そういうアートに挑戦したいと思っている。
 
 僕の個展で展示する作品32点の内6点を紹介させていただく。オリジナルの原画を60号のサイズに大きく描き直したがその中でも大幅に加筆した作品を選んでみた。


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写真上左:9.11の跡地を守る1輪の花妖怪、これだけでは60号にした場合寂しいので日本から菩薩様を呼んでその手の上で守ってもらうことにした。
写真上右:マンハッタンの日本酒場に陣取る侍妖怪を助けるため日本から地獄の鬼を招き描いてみた。


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写真上左:セントラルパークのベルベデール城裏はイチローの隠れた練習場。彼の三千本安打を記念してバットを持ったお城に描き加えてみた。
写真上右:マンハッタンの雲母岩の上に建つビル妖怪に地下の無数の地下鉄路線を加えてみた。


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写真上左:雲母は別名キララと呼ぶ。キララは妖怪ウオッチでも登場する二本の尾を持った化け猫のこと。マンハッタンを化け猫集団にしてみた。
写真上右:ニューヨーク港を守る自由の女神はメデューサだと思う。ニューヨークへやってくる悪魔をにらみつけて石にしてしまう。彼女の髪の毛の蛇を分かりやすく大きく描いてみた。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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