豊田市美術館の『デトロイト美術館展』

豊田市美術館の『デトロイト美術館展』

デトロイト美術館パンフ
 今、豊田市美術館で『デトロイト美術館展』(写真右展覧会パンフ)が催されている。「平日でもすごい人でしたよ。写真をいっぱい撮って来ました」とトヨタ関係に勤めていたカルチャーセンターの生徒さんに言われ、すぐに僕も行ってきた。最初は行く予定がなかったけれど、すごい人でしたと言うのに半ばつられて出掛けたのだ。展示作品を自由に撮影してもいいというニュースを聞いていたから見学者は増えると予想していたが、案の定多かった。

写真下:豊田市美術館展覧会場
込み合う館内

デトロイト美術館正面 デトロイト美術館内部
写真上左:デトロイト美術館正面       上右:美術館内部  
 最初は行く気がなかったと書いたが、僕の考えではあのデトロイトの街の美術館なんて、もう予算もなく死に体ではないかと思っていたからだ。きっと姉妹都市である豊田市にデトロイト市が泣きついて、少しでもお金を稼ごうとしたのではないかという思いもあった。市がレガシーコスト(収入がないのに支出は残る状態)に陥り学芸員の退職金や辞めた人達の年金や医療保障も払えなくなってきている。ひょっとしたら美術館の空調代も出ず、まともな作品の展示も痛むからできないとの理由で閉館になっているのではとも危惧していた。

ビルGM本社
 デトロイトは米国ミシガン州にあって、世界的な自動車の街であった。だが1967年に起きた黒人によるデトロイト暴動(無免許の酒場へ警察が踏み込みそれが暴動に発展した事件。黒人33名、白人10名が亡くなり軍隊の出動で5日目に落ち着いたと言う。この頃は1965年にマルコムXが暗殺され、1968年にはキング牧師がノーベル平和賞を受賞するなど、黒人の意識が高揚していた。そんな雰囲気の中で起こった暴動であろう)や、1970年頃から始まる日本車の攻勢で、ほとんど燃費のことは頭に入れていなかったアメリカ車は力を失い、街もそれによって衰退した。街は2013年に日本の夕張市のように連邦破産法で財政破綻を来たし負債額は全米1となった。
写真右:1970年代以降から、街の再生をかけて建てられたルネサンスセンター、GMの本社などが入っている

 1950年代には185万人の人口を抱えたが、今はたった68万人になり、またその8割が黒人だという。黒人白人に限らず失業者ばかりでまともに食べることもできなくなっている中、美術館へ足を運ぶ人はまずいないのではないか。「山彊先生、大きな美術館だから市外からやってくるのではありませんか」。
 ここは今全米1の危ない都市で街中を昼夜を問わず歩いてはいけないと言われている。豊田市より20万人程多いだけの人口なのに1日に1件は殺人やレイプが起こっているという。豊田市は1年で1件もないであろう。街路灯には明かりがともらず、ごみ収集車もやってこなくて、しかも火事になっても消防車も出動しないと言う。そんなところへ誰も来ないだろう。聞くところによると、警官が犯罪に使われることを危惧して、空き家を焼きに回っているという。かつて車の街として栄えたデトロイトはゴーストタウンと化している。

デトロイトの廃墟 土手代わりになっている車


写真上左:廃墟となった家屋。ここと豊田市が今だに姉妹都市だなんて信じられない気がする。豊田市民が何かにつけ頑張るのはこの街を反面教師としてとらえているからなのか。
写真上右:川岸に土手代わりに並べられた廃車。廃棄するお金も堤防を整えるお金もないのであろう。


 先ほどの質問にあったデトロイト美術館は1885年開館した全米屈指の美術館と言われたが、財政破綻の折、財源確保のために多くの名画が、売られようとした。しかし国内外からの援助や市民からの協力により持ちこたえ、今回日本で催されているこのデトロイト美術館展実現につながったのだという。ネガティブなニュースは展覧会にはふさわしくないのであまり報道されていないが、内幕は火の車でかなりの作品が売却されたのではないか、もう死に体ではないかと僕は思っている。

 「ところで今回出品されている作品のレベルはどうなんですか?」。65000点を越えるデトロイト美術館のコレクションの中から選りすぐられた52点を展示してあるので作品は文句なくいい。うち15点は日本初公開作品だ。つまり美術史的に見て価値のあるものばかりだ。フォードやGM、クライスラーが元気な内に買い集めたのであろう。僕が見たこともないゴーギャンやモリジアーニ、それにピカソやマチス等の作品が展示してあり、楽しませてもらった。これらの作品は1913年から始まったアーモリーショーで車産業により大富豪となった人々が買い入れたものだろうか。

日本初公開ピカソ作品 エルンスト作品
写真上左:これまで見たこともなかったピカソの作品(日本初公開) 
上右:同様に日本初公開のエルンスト作品

マチス作品 ゴーギャン自画像
写真上左:マチス作品   上右:ゴーギャン作品自画像

 アーモリーショウ(国際近代美術展)と言うのは、1913年、ギャラリーや作家が中心になって催した即売可能な美術展のことで、ニューヨークの兵器庫(ARMORY)で行われたからこの名が付けられた。この後ボストンやシカゴでも開かれ、ほぼ毎年行われている。今日本でも行われているアートフェアーの先駆けと言ってもよい。初回はアングルやドラクロアから始まり印象派のマネやモネ、ゴッホやルノワール、セザンヌやピカソ、ブラック、それにデュシャン等の作品1200点以上にも上り、ヨーロッパ作家によるものとアメリカ作家によるものとで半々であったが、ヨーロッパ側は、当時のさまざまな前衛的な美術動向を含んだものであったこともあり、そのエネルギーや作品の質において、アメリカ作家の、穏健な、洗練されてもおらず、前衛的ともいえない作品をはるかにしのいでいた。アメリカの前衛美術は、大いに刺激されこれ以降開花に向かったといえる。

 写真を撮りながら見学できるのがまたいい。後でもう一度振り返ってカメラで観賞することができる。この豊田市美術館は『デトロイト展』以外の全ての作品も撮影OKで、愛知県美術館からやってきた新館長さんのグローバルな思考に頭が下がる。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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