バレンタインに「ボルト型チョコ」が!

バレンタインに『ボルト形』チョコが!

ボルト型チョコ
 今年もバレンタインデーが過ぎ去った。中学の教師だった頃は常に50から60個程もらい体育科系の若い教師とせったものだが、今はだめだ。大学の授業が後2週間長ければ女子学生から少しはもらえるかもしれないが、大学の後期の授業は1月で終わりになる。
 そんな中、著名な版画家女史にボルトの形のチョコレートを戴いた。これにはすごく感激した。僕は40歳代にボルトをテーマにして作品を創り、その作品であちこちの美術コンクールで大賞を取りまくっていたことがある。それを彼女は知っていて、「もう一度あの頃の気持ちで頑張れ!」と激励してくれたように思えたからだ。写真右:頂いたボルト形「チョコレート」
 1984年に、それまで10回、20年間続いた『東京国際版画ビエンナーレ』が幕を閉じた。これは版画展としては世界一の規模で、賞金額もすごかった。最後の大賞はあの現代美術の旗手、高松次郎がもらっていた。世界的な版画展が亡くなることを惜しんだ和歌山県は、東京に負けない文化県にしようと賞金額も2倍にして『和歌山版画ビエンナーレ』を開催した。審査員は東京と似ていて日本を代表する評論家や堤清二、乾由明、それに米国からあのアブストラクトアートの旗手サム・フランシスまで呼ぶという、その当時日本で最大規模のビエンナーレであった。これに出品した僕の作品が「ボルト」を刷ったものだった。三木多門審査員によるとサム・フランシスが僕の作品の前まで行って大賞に推挙したという。だから全員一致の大賞だったとか。この頃は賞金が現金であり、万札を両胸のポケットに張り裂けんばかりにつっこんで受賞パーティで話していたことを思い出す。
 このコンクールは版画展としては世界最高の規模やレベルであったため、ものすごい数のマスコミ攻勢を受けた。朝日も毎日新聞も5段、6段の記事にした。
新美術新聞
朝日新聞,紀伊新聞
写真上:新美術新聞(全国紙)
写真下:朝日新聞、紀伊新聞の受賞記事

 さてその数ヵ月後、新聞を見た大阪の友人からおもしろい連絡を受けた。大阪のおもちゃ屋や駄菓子屋にボルト製品が満載になったと言うのだ。銀色したプラスチックのボルトの根に吸盤を付けたおもちゃ(ガラスに付けるとすごく面白い)、ボルト形をしたビスケットや飴やチョコレートなどだ。友人が全て買って送ってくれた。ほとんど食べたりあげたりしたが、10㎝ほどの吸盤の付いたプラスチックボルトは応接間に飾っておいた。その後岩倉市の老人ホーム『一期一会』の庭に彫刻を創ってほしいという依頼が来たので、このプラスチックボルトを岡崎の石屋さんに見本として持ち込み大きな石のボルト彫刻を創ってもらった。その後この見本ボルトは返ってきていない。だから代わりのこのバレンタインチョコレートは有難い。食べずに飾っておくことにした。
 「ところで山彊先生、どうして老人ホームにボルト彫刻なのですか。裸婦彫刻ではいけないんですか」。裸婦像なんてどこでも見られる。インターネットでもすぐきわどい映像を取り出せる。みんなが見あきたからか、名古屋で1軒だけになっていたストリップ劇場まで潰れてしまった。裸婦彫刻はもう古い。ボルトは建物をつなぐもの。人間でいえばペニス。若さを取り戻したいと願う老人ホームには一番必要なものでは?まあ写真を見てください。
老人ホームのボルト彫刻
写真上:岩倉市、「一期一会」老人ホームの前庭
「けれどボルトは意表を突きすぎています」。まあそこが僕の狙いでもある。
僕は大阪が大好きだ。それはこのように乗りが早く、おもしろさに直ぐ反応するからだ。だからこれにすぐ反応し商品化したのだと思う。名古屋ではまず評価されないかも。
 この受賞の折り名古屋人の同級生の男に「山彊さん、大阪にも知り合いが多いんだね」と言われた。多くの名古屋人同様、彼も賞は縁故でもらうものと思っているのだ 。これは名古屋で賞を出す権限を持った人、又それに繋がる名古屋の役人には猛反省をしてほしい。見も知らない名古屋人に大賞を出すこの大阪人の精神は見習ってほしい。その後大阪で僕は次々と大賞をもらっている。
「けれど大阪人はパクリがうまいですね。直ぐ商品化して・・中国に似てますね」
僕も一時そう思ったが、よく考えるとこれはうれしいパクリだと思う。その製品が現代でも続いて作られていてバレンタインのチョコレートになっているのだから。大阪人頑張って!チョコをくれた女史、有難う。橋下市長もこのような地盤が作りだしたのだろう。



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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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