妖怪屋敷第1弾 妖怪屋敷出現

妖怪屋敷第1弾 妖怪屋敷出現 
「妖怪研究名古屋支部」に我が家が?

二人が出している妖怪小冊子等
 先日突然、我が家へ教え子の妖怪研究家が二人、やってきた。この二人は僕が大曽根中学と円上中学で別々に教えた子たちだ。島田君には美術を、寺本君には社会と美術を教えている。二人ともいい成績の生徒達だった。卒業後は会ったことが無く、二人とも妖怪を研究していると聞いて驚いた。二人は数々の妖怪イベントで顔を会わせることになって知り合い、経歴を話し合っていくうちに偶然僕の共通の生徒であることが分かったという。写真右:寺本君や島田君が出している妖怪の小誌。

 僕の教え方に妖奇的な気(奇)があったのかもしれない。二人とも自宅から職場を結ぶとその途中に僕の家があるという。僕の呪縛から逃れられないのではなく、妖怪がそう仕組んだのかと勝手に彼等は想像するが。
彼らによれば、名古屋は信長や秀吉の里であり、徳川宗春の怨念も抱え、妖奇にあふれた街なのにほとんどこれまで語られてこなかったらしい。第2次大戦でほぼ街の全てが焼き払われ、妖怪が逃げ出したのか。だが今、それが戻りつつあるというのだ。二人にはそれが分かるという。
 徳川の時代に入り清州越し(僕の先祖もこの時の住民の一人)が行われてから400年になる。この400年が妖怪にとって重要らしい。300年、500年は切りでないらしい。またこの地は江戸期以後の妖怪が仕切っているらしい。そんな関係で名古屋城から徳川美術館(元尾張徳川の家老屋敷跡)の間が妖怪のすみかだった。「山田先生の自宅からも強力な妖気が出ている」という。徳川美術館の北50Mでしかも100年程前まで妖怪の好む沼地だった。だからその上に建つ僕の家は、妖怪のたまり場か墓ではないのかという判断らしい。
 じゃあ僕は妖怪の一族なのか。そう言われてみると美術を始めてすぐ(19歳)大きなコンクールで大賞を取れたのも妖怪の応援があってのことか。それ以後、ほぼすべての絵描きに無視をされた。ニューヨークでの日本人画家14人展に選ばれると東京では誉められたが、名古屋では無視をされた。賞をとればとるほどそれがひどくなった。突出していることが嫌われる土地柄なのだ。学校でも生徒には好かれたが同僚教師には煙たがられた。生徒指導のやり方において独走しているというのだ。中学で暴れまくる生徒たちが僕にだけ逆らわなかったのは、この妖奇のせいか。どうも人間界にない何かを持っているかもしれぬ。
 「山田先生の放つ気は、妖怪のそれではなく、妖怪に対する免疫を持った、言わば妖怪の家主的存在のそれではありませんか」と教え子は言う。そして尋ねた。「何か先生宅に妖怪が住んでいる気配は感じられませんか」と。そう言われてみると思い当たるものがある。我が家の北の隅には僕が生まれるずっと以前に埋めたと思われる水道管が30センチほど顔を出している。ダンプを入れての整地にも何故か残り、僕も抜こうとして幾度も挑戦するがいまだに抜けていない。不思議なことに我が家の放し飼いの犬は、ここで蛆と蠅にまみれて死んでいる。これを見てから僕にとって蠅は死の象徴となり、僕の作品や名刺には蠅が登場する。それにまた、ここにだけ何故か秋になるとヒガンバナが咲く。敷地内の他の場所では一切咲かない。この水道管は女郎屋のあった頃からのものだろうか。沼地に食い込んでいるから抜けないのか。
パプアニューギニアのお面やペニスケース
 「この応接間にも妖怪らしきものがいっぱいですね。気配が感じられます」。二人は僕の出した恵方巻きの寿司と奈良の友人から贈ってもらったおいしい漬物の蕪まきを食べながらいう。我が家の応接間の壁には妖怪の里、パプアニューギニア(水木しげるはここで腕を失っている)のお面など世界各地のお面が飾ってある。さらにパプアニ ューギニアの原住民に使われていたペニスケースまでも所狭しと飾ってある。これらは僕が一人命がけでジャングルに入り、酋長と物々交換をしてもらってきた品だ。
写真右:パプアニューギニアのお面やペニスケース

 その他、部屋には僕が50年前に描き、世界美術全集(講談社)にも載った妖怪の絵も掛けてある。この全集にはピカソなど世界で120人程の有名画家の絵が収められているが、名古屋の絵描きはこの中に誰も選ばれていない。これもひょっとすると妖怪のおかげなのか。

新餓鬼草子
写真上:「新餓鬼草紙」僕の50年前の作品
 色々な話題に話しが及んだ後、二人が言った。「先生!帰って来ている名古屋の妖怪の研究をやりましょう。先生の家を研究拠点にして」えっ!我が家が妖怪屋敷に?まあいいか。死んで地獄へ行ったら妖怪の仲間として鬼に恐れられ、煮えたがきぎる湯ではなく、ぬるい湯やゴムの槍のささった山へ導かれるかもしれないから

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我が家は妖怪屋敷だったかぁ~。小さい頃一人でピアノ練習するの怖かったもんなぁ(笑)

その教え子さんの教え子が家におります(*≧艸≦)
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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