津賀田中学324の顔の大陶壁画、その不思議

津賀田中学324の顔の大陶壁画、その不思議
陶芸家・鯉江良二(元愛知芸大教授)と山田彊一(現代美術家)の共同作品

津賀田中学の陶壁を紹介する朝日新聞
 「山田先生、私が美術を教える津賀田中学のホールの壁面を覆う大きな陶芸作品、先生やあの鯉江教授の共同作品ではありませんか?」と僕の後輩でもある𡈽屋真紀子先生から突然、電話をもらった。聞くところによると多目的広場にある324の陶芸による顔がどんないわれでここにあるか全然分からず、生徒達が知りたがっているというのだ。
写真右:津賀田中学のホール壁面の陶芸作品を紹介する朝日新聞の記事
 𡈽屋先生の夫は有名な版画家で高校の美術の先生である。後輩の中で僕が一番期待している芸術家でもある。そんなことがきっかけでこの大陶芸作品の前で1年生100余人を相手に講演をすることになった。
 「あなた、ニューヨーク個展の準備等ですごく忙しいのによく引き受けたわね」と妻に言われた。僕は教え子や後輩に頼まれると100%近く何でも引き受けてしまう。書斎には購入後ほとんど見たことのないイタリアのデッサン集もあるが、これも教え子に頼まれ15万円のローンを組んで買わされた。

 ところで僕は23歳で津賀田中学へ赴任した。このころ僕は日本人14人のアーティストに選ばれ、ニューヨークへ作品が行ったりして、先生ではなく絵描きになるつもりであった。本当はこの機に乗じてニューヨークへ行って一旗あげたい、それがダメなら東京でもと思っていたが、そんな博打のような不安定なことはだめだという家族の猛反対にあって心が揺らいでいた。

写真下左:津賀田中学4階建て校舎(4階が図書室、3階が音楽室、2階が美術室)
写真下右:東から見た津賀田中学

4階建て校舎 東から見た津賀田中学

 そんな時に教育委員会から「新しくできたばかりの中学だ。一度見てから考えては?」と言われ見に来たのがこの田舎的雰囲気の残った津賀田中学だったのだ。ここは直前まで牧場だったところでまだ校庭に牛舎が少し残っていた。しかもこの牧場は大学時代に彼女になりかかった金城学院大学の後藤さんの牧場でもあった。そんなこともあり、ここなら数年勤めてみてもいいかなと思った。

写真下左:牛舎の雰囲気が残る運動場、南側からの写真
写真下右:西の方から見た津賀田中学校(松の木が生えて古墳のように見える)

牛舎が残る運動場 西から見た津賀田中学

  始めてみると学校生活はすごくエキサイティングで楽しく、知らないうちに10年も務めてしまった。勤めて3か月したころバス停で数人の3年生らしき生徒から(僕はその時1年生の担任)「お前、態度が大きいな、気をつけろよ」とすごまれたこともある。新米教師だが目立っている僕に3年生の番長が脅しをかけたわけだ。超負けず嫌いな僕は教師を辞めようかどうかの迷いがこれでまず吹っ切れた。「やったるぜ!」となった。このこともあり十数年後には国会の教育審議会で僕の生活指導が褒められたこともある。

入学式の様子写真右:入学式の様子
 この学校、多い年には1学年12クラスもあった。バラエティーに富んだ学区で、家庭訪問に行くと6畳一間に父母と子供5人が暮らしている家があったり(こんな子には家で勉強しなさいとは言えない)、他の生徒宅では小さな家の中を本物のサルが飛びまわっていたりした。またすごく知能指数が高いのにお金がなく高校へ行けないという相談を受けたこともある。彼女の子どもは東大の医学部を出て今は大病院の院長をしている。また成績はそれほどでなくいじめられっ子であったのに市会議員になった生徒もいる。彼と同級生で市役所のエリートになった生徒が、中学時代は委員長として彼に命令していたのに、今は「先生、先生」と頭を下げたりしているなどこの学校の思い出は尽きない。

 この津賀田中学が創立10年になった折何か記念に創ろうということになり、卒業記念と兼ねて創ったのが冒頭の324人の顔だった。
津賀田中学創立10周年記念冊子 ジョージシーガルの石膏シート作品

 美術教師の僕に何かアイデアを出せと注文がきたので、当時アメリカで石膏シートを使って顔や人物像を作品化して、爆発的人気を得ていたジョージ・シーガルのアイデアにヒントを得て、授業で生徒達の顔を石膏取りして卒業生324人の顔を制作した。
写真上左:創立10年目に僕が制作した記念冊子の表紙。校門でお面をかぶってのパフォーマンス写真上右:ジョージシーガルの石膏シート作品
 この後そこに粘土を詰めて乾燥させ、僕の知りあいで常滑で売れない茶碗を作っていた鯉江良二に依頼して焼いてもらったのがこの陶芸作品だ。

日本陶芸全集より
 鯉江良二はその後、この石膏の顔のアイデアを使い、そこに砂を詰めたりして美術館や浜辺で作品創りをし、急激に有名になっていった。しばらくするとどんな作品でも彼が創ると100万円はするといわれる様になり、ついには愛知芸術大学の教授にまでなってしまった。鯉江のこの時の作品は日本陶芸全集に、津賀田中学の324の陶芸作品としてその写真が紹介されている。
写真右:日本陶芸全集に載っている鯉江良二の津賀田中にある作品
 そんなわけでこの作品は、もう美術館に所蔵されていてもおかしくないが、この学校の卒業生たちの顔なのでやはり母校にあるのがふさわしい。

 顔作品(お面)というのはアフリカではあの世(死者の国)とこの世(現世)の中間の存在を意味し、不思議な力があるといわれ尊敬され恐れられている。お祭りでお面をかぶると死者があの世からやってきたことになり人々は興奮する。だからだろうか、鯉江良二も僕もこの作品を作った後はすごく調子がよくなっていった。愛知芸大へ陶芸を習いに来た留学生はほとんどこのカリスマ性のある彼のゼミに入るという。僕も以前はたくさんのライバルがいたけれど今はほとんどいなくなってしまった。今回こうしてかつて教えた中学で話ができ、卒業生たちのお面と再会できるのも、お面の持つ不思議な力が働いたと言えるかもしれない。制作してそろそろ50年近くなるけれど傷はほとんどないという。これもお面の妖力だろうか。妖怪研究もしている僕はそんなことも思っている。

 津賀田中学の笹島修校長は社会が専門の優しい先生とのこと。よく地域を調べ上げおしゃべりを僕に頼んでもいいと思われたのであろう。生徒達はお面がどの様な時代に造られ、どんなふうに陶芸面ができるか興味津々だそうだ。だから𡈽屋先生の少し大きめの美人顔をモデルにこの日に実演してみるつもりだ。生徒達のお面作りは後に授業で𡈽屋先生にやってもらえると思う。僕の中学教師であったときの授業はこの時が一番楽しかったとほぼすべての卒業生が話している。






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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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