ヒトラーは絵描きだった?!

ヒトラーは絵描きだった?!
<ヒトラーの絵、320万円で売却>

ヒトラーの絵,新聞記事
 1月30日の新聞やインターネットのニュースに「ヒトラー作の風景画が競売に出され、320万円で売れた」と出ていた。写真右:中日新聞1月30日の記事
誰が購入したか確かでないが、きっとナチ崇拝者だろう。ヒトラーは若いころ役人だった父親の遺産を頼りにウイーンで美術学校の受験をし、2年連続で落ちたという。その後彼が政治家への道に進んでいったのは周知のことだが、敗戦近い1945年に、自分の描いた絵を300点程総統専用の防空壕に持ち込んでいたというから、画家になる気もあったかもしれない。このことは僕が美術系大学へ入ってすぐ知った。すごく嫌な気分にさせられた。美術を志す者は正義感を持った人間で悪人はいないと思わされていたことによる。ヒトラーは一時的にかもしれないが、何故絵描きになろうとしたのだろうか。それは彼に聞くことができないからわからないが。
 僕が教えている美術科の学生を見ていると、美術を選んだ理由は次の3パターンに分けられるように思える。まずは絵を描くことが好きでもあり、できればこれで飯を食べ、有名になり歴史に残ってやろうというタイプ。ここには今や美術界の寵児となった村上隆や芸大教授連が入る。(何故教授が入るのか。自分の画家としての才能に自信は無くても、芸術大学の教授になることは世間の認知を受けた絵描きに見えるからだ)。次は精神的に追い込まれて描くことで精神のバランスを取ろうという者。あの草間弥生やゴッホが入るだろうか。最後は他にやることが無く、絵が嫌いではないからまあやってみようか。芸大にいれば何とかなるかも知れぬ。なんとかならなくても世間に「あの人は芸大を出ているから」と言われ、まともに働かなくても許されるかなと思っている連中だ。
 この3番目に入るパターンの学生が今すごく多い気がする。僕が先回の『Dアートビエンナーレ』の折り、出品料が要らず凄い条件だよ、応募したらどうと誘いに行っても「べつに…、絵で有名になる気はないし、自分はなれっこない」という顔をする。やる気とか闘争心といったものがまったくない。これは彼等を教えている教授達の姿勢を反映しているのかもしれない。自分が現役で作品を作り、学生等の見本となるような者はものすごく少ない。昔は頭のいい者が比較的多数芸大を狙ったから最初のパターンが多かった。上記の条件のコンクールでもあったら皆飛びつくだろう。また文が書ける者も多く、芥川賞を取った村上龍もその一人といえよう。
湖のある風景
 ではヒトラーはどのパターンになるのだろうか。やる気と闘争心は群を抜いているから、3番目では決してない。1番目の成功して歴史に名を残そうというのに当てはまると思うが、誇大妄想狂といわれてもいるから2番目の要素も少しはあるかも知れない。何故彼は絵描きから脱落したのだろうか。どうも彼の育った環境が、古い保守的な考え方の人が多く、リベラルで洗練された芸術環境ではなかったのではなかろうか。ヒトラーは絵について写真のように描くものと思い込んでアートの世界へ入ったような気がする。しかし、彼は写真のように描くデッサン力に欠け、それで画家への道を選ばなかったのだろう。彼は美術の世界がセザンヌやゴッホ、ゴーギャン等の後期印象主義の時代に入っていたことを知らなかったのだ。写真上:ヒトラー作「湖のある景色」
 心理学では職人や肉体労働者は写実画を好むということが定説になっている。後進国へ行ってみれば写実画ばかりだから直ぐわかる。「だから山彊先生は早く写実画から離れたのですね」。ヒトラーの次元にいたくなかったから。以前朝日新聞の部長から「山彊さんは名古屋に留まるべきでなかったよ」と言われたことがある。美術の世界で日展だけが強い日本で唯一の名古屋地区にいるのが間違いだと言いたかったようだ。名古屋では長男として生まれると、親を捨て離れづらいものだ。まあヒトラーの方向に行かなかったのはよかったが。
 ヒトラー作裸婦
 デッサンの下手な者は手足の描き方で直ぐわかる。本人が描きたがらないし、描いても様になっていない。ヒトラーの絵(挿入した裸婦像)を見ると描くのに難しい右手を布で隠すことによって逃げており、足も同様に描かれていないことでわかる。写真右:ヒトラー作「裸婦」
 ヒトラーは独裁者になってから『頽廃芸術展』(1937年)を開き、国内から押収したゴッホやセザンヌ、ピカソ、ムンク、エルンストといった写実画でない作品を集め、汚い考古学研究所の石膏収納場所で出鱈目に展示するといった見せしめにしてから、売るか大衆の面前で燃やしてしまった。
320万円で売れたヒトラーの作品は防空壕にあった300点のうちの一つだろうか。とすると今後彼の作品がどんどん出てくる可能性がある。人類史上例を見ないあのものすごい大量虐殺も風化してしまったのだろうか。ガス室に送られた者達の遺族もだんだんいなくなっていくから起こりうる現象なのだろうか。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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