『円空大賞展』岐阜が面白くなる?

『円空大賞展』 岐阜が面白くなる?

岐大国歌斉唱せずの記事
 2016年2月18日の中日新聞朝刊に「岐阜大の森脇学長が卒業式や入学式で国家を斎唱せず」と書かれていた。(写真右) 中々やるじゃないかと思うと同時に、そういえば岐阜県立美術館の館長に1,2年前前衛アーティストの日比野克彦がなったことを思い出した。これも大いに驚いた。名古屋では考えられないことだ。



鈴木芙二子霧作品

 さらにもう一つ岐阜県がらみで驚かされたのは、県が主催している『円空大賞展』に、霧を野原に発生させる作品で女性作家がグランプリに選ばれたことだ。写真左:鈴木芙二子作品 Standing Cloud
中部エリアは、いくらいいアイデアを持った作品でも物として残る作品しか評価せず、賞金を出す意味がないと思っている風土の地なのだ。もし名古屋ですぐに消えて何も残らない霧を使った作品の作家に賞金として、また買い上げ作品代として数百万も出せば大問題になるだろう。喫茶店のモーニングでも名古屋よりスケールが大きく、名古屋より保守的と思われている岐阜、そんな岐阜が変わろうとしているようだ。また同月19日の新聞には大学生の折に借りた奨学金も岐阜県内に就職すればチャラにするというまだどこでもやられていない政策が宣言された。そんなわけでここのところ岐阜県に関して驚くことがいっぱいだ。僕は美術作家なのでここでは円空展について述べてみたい。

針生一郎が選んだ60年代の美術展」の案内はがきき
 今、岐阜県立美術館で円空大賞展をやっている。この美術展については、「まあ地方のコンクール展か」と僕もあまり関心を持たなかった。だが以前堀美術館で僕が開いた『針生一郎が選んだ60年代の美術展』(写真右:美術展の案内はがき)に出品した野呂倫さんから賞をもらったと連絡が入り、展覧会の内容をしっかり調べなおし、この美術展のユニークさに気付いた。多分名古屋のほとんどの画家もこの円空大賞展を田舎のコンクールと思ったに違いない。

 50年も前になるが、岐阜で『岐阜アンデパンダンアートフェスティバル』(別名針生アンパン)が開かれた折も、名古屋の画家たちはたいした美術展ではないと馬鹿にしてほとんどが参加しなかった。ほぼ日本中の評論家や美術愛好家が参加し注目をされていたのに名古屋人は無視をした。名古屋から参加したのは上記の野呂倫、水谷勇夫、岩田信市、それに僕ぐらいであった。名古屋の芸術家には日展系の作家が多い。まあそれは官僚的、保守的思考の強い土地柄で仕方がないが、ついでに岐阜や三重を田舎と小ばかにする傾向が名古屋人にはあったからだ。

写真左:岐阜針生アンパン展の作品  写真右:中原祐介の司会によるシンポジューム
岐阜針生アンパン展の作品 中原祐介の司会によるシンポジウム 

 そんなこともあり今回このコンクール展を知りびっくりしたわけだ。同時にこのような美術展は名古屋ではとてもやれないだろうと思った。以前中日展というこの地では一番大規模なコンクール展があった。この係りの人に「なぜこの美術展を全国公募にしないのか?」と質問してみた。返ってきた答えは「賞金が中部圏以外の人に行ったらこの地の損だがね」だった。そのためか審査員もこの地で調達し、田舎名古屋を仕切る公募展の親分がやっていた。選ばれるのは彼らの弟子ばかりであった。このような内輪のお稽古事発表会のような展覧会はすぐ誰にも見向きされなくなった。そこで3回目から審査員は全国区になってレベルが上がり個性的な作家が選ばれる様になった。

霧作品
 この円空展の今回の大賞は北海道生まれで83歳の霧を使う鈴木芙二子さんだ。彼女の作品(写真右)は街中や森で霧を発生させるものだ。この作品を創り続けるには大変お金がかかり一般のコンクールへ出すにも写真でしか発表はできない。一般の人に写真を見せても実物の霧を見せても「なんじゃそれ?これがアートか?」と言われるのがおちだ。その作家に大賞を与える岐阜はすごいと思う。でも僕にはこの面白さが分かる。こんな技術があると分かっていたら僕もやっていたと思う。彼女は父親が雪氷研究者であったのも幸いしたのかもしれない。

シャボン玉作品
霧以外でシャボン玉を無数に飛ばした作品で円空賞をもらった大巻伸嗣作品(写真左)もある。






僕のシャボン玉作品の新聞記事
 この賞も納得だ。実はこのシャボン玉作品、50数年前に僕も制作し京都のギャラリー16や愛知県美術館で発表したことがある。
写真右:僕のシャボン玉作品を取り上げた新聞記事
 発表場所が悪かったか時代が早すぎたのか分からないが、斬新なアイデアということで新聞には載ったがその後はたち消えてしまった。こういったことから得た教訓は、ある作品で勝負したかったら腰を落ち着け、10年20年とこだわってやるべきだということだ。しかし僕は常に「人生は短い。次なる目標に進め」と自分をせかせるタイプだから別の作品作りに進んでしまった。


野呂倫作品
 前述した野呂倫の作品(写真左)もこのコンクールでは納得させられた。彼女の作品を簡単に紹介すれば、大正時代か戦前の昭和時代に見られた夏のお化け屋敷の内部に飾るような不気味なおどろおどろしい絵だ。時代錯誤の見世物小屋の絵ととらえることもできるが、これを長年続けて見せられ21世紀の世になってみると、同じ作品が不思議な魅力を持って迫るように感じられてきたのだ。仏壇と無数の水子や妖怪もどきの生き物が描かれたり造られたりしている作品だ。昔縁日などでよく見たこれらのものが、今見ると新鮮に感じられる。例えば日本では芸術として重要視されなかった浮世絵がパリで異彩を放ち認められるのに似ているのかとも思ったりした。

 『針生一郎の選んだ60年代の美術展』の折、堀美術館がこれを買い上げコレクションにしたが彼女は数年後買い戻して、いろんなところで発表するようになった。名古屋では大須の七つ寺スタジオや千種正文館の2階で、2年前に個展をやっている。ほとんど誰も見に来ないが来てほしい人にはばっちり連絡を入れていたようだ。70歳を越えた彼女がいまさらと思わなくはなかったが、今回の賞はその行動が正解であったことを証明していると思わされた。長く頑張っている芸術家たちの生き様を彼女は間接的に示しているような気がした。彼女以外の同世代の芸術家たちはほとんど制作しなくなり、ギャラリー等へも顔を出さなくなった。芸術家である以上死ぬまで制作をやり続けるべきだと僕は思っている。その点野呂倫は称賛に値する。彼女は高山に住んでいる。岐阜県が変わりつつあるように高山も変わるのだろうか。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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