ピカソ、前立腺がん ビフォー、アフター

ピカソ、前立腺がん ビフォー、アフター
 
 昨日私の友人が前立腺がんで亡くなった。前立腺のがん細胞が他の骨にも転移していたという。彼はまじめで下ネタ話には全然乗ってこなかった。油絵を描いていたがまじめ過ぎて認められず、途中で筆を折ってしまった。2年前に会った時、顔が少し土色がかっていたから「どこか悪いの。医者にでもかかっているの?」と尋ねたことがある。「いや、どこも悪くない。誰からもそんなこと言われたことは無い」の返事だった。そして昨日の連絡だった。1年半前に前立腺がんが見つかり、もう手遅れだったとか。2年前に前立腺がんの検査はしなかったようだ。
 僕の周辺で亡くなる人と言えばお酒のみが多く、次はおとなしい前立腺がんの男たちだ。実は強妻家の僕の親爺も弟も前立腺がんになっている。弟に「兄貴、親爺が罹り2人兄弟の弟まで前立腺がんになったのだから、あんたもすぐ調べた方がいい」と言われた。前立腺がんに罹っていない自信はあったが、一応すぐ病院に飛んで行った。結果は僕が思っていた通りその毛は全然なかった。5年前に二科展理事の先輩が前立腺がんになった。彼も超まじめ。二科と言うと東郷青児に代表されるような女性関係の多い連中が思い浮かぶが、彼は変わり種だ。彼は手術後医師から「奥さんとは仲良くしなさいよ。時々は一緒に温泉に行ったりして…」と言われたという。彼は照れながらも、嬉しそうに私に告げた。前立腺が性ホルモンと密接な関係にあるのは周知の事実だ。

 ところであのピカソも前立腺がんを患っていた。その事実をしっかり確認するため、以前購入し、僕の出版したピカソ本の資料とした『ピカソ偽りの伝説』上下巻を書斎で探すが見つからない。この本は僕がピカソの本をまとめる折に、特に参考とした資料だ。内容はピカソの亡くなった折、彼の近くにいた女性が、同じく周辺にいたほぼ全ての人へのインタビューをしてまとめ上げたものだ。ピカソが生きている間は誰も真実を語らないが(とくに彼と関係のあった女性は)、死後はいろんな証言が出てきて、一般のピカソ信仰者にとっては恐愕の真実が書かれている本だ。ピカソは大天才で超偉人と信じ込んでいる人に、ピカソの真実の姿を口で話しても信じてもらえない。そこで我が家へ来た人にはこの本を見せて、ほらねと納得させたこともある。ある時誰かにこの本を貸してあげたのだが、そのまま返してもらっていない。調べると僕にとって重要な本が他にも数冊返っていないことが分かった。人は何故借りた本を返さないのか私には分からない。本は私にとって宝ものなのだ。まさか親しい間柄なのに借りた証文を書けともいえないし。ある折、先輩の芸大教授の家に行ったら私の貸した本が本棚の中に収まっていた。その時は返してほしいとは言えなかった。今なら言えるが、彼は絵を止めてお酒三昧の日々を送っているらしいから、近付きたくない。

ピカソ作 夢
 そのピカソの本がないから頭に残る記憶で書くが、彼は82歳で前立腺の手術をして勃起不全になった。それまで彼が描いてきた女性の裸婦像は明るく、女性讃美のデッサンや色遣いであったが病の後はがらりと変わってしまった。色数が減りタッチに柔らかみが無く、女性を蔑視している表現になってしまっている。自分がまだ男としての機能があるうちの思考と、その後では絵まで変わってしまうようだ。
 それこそ口で言っていても分かりにくいと思うので、実際のピカソの作品を見てもらいたい。
写真右上:ピカソ作『夢』1932 はピカソが40代後半の折り、地下鉄の出口から現れた16歳の美少女に「僕のモデルになって世界の歴史を変えましょう」と言って口説いてしまったマリー・テレーズを描いた裸婦像である。周囲に花まで描いてルンルンの幸せいっぱいの作品だ。マリー・テレーズにはマヤという女の子を産ませている。

ピカソ作 アルジェの女
写真上:ピカソ作『アルジェの女たち』1954 は20代前半の女性画家、フランソワーズ・ジローの影響が見られる作品だ。彼女はピカソが60歳をだいぶ過ぎてからの恋人で、パロマとクロードの二人の子を生んでいる。これはフランソワーズ・ジローがモデルではないが、アルジェの女を3原色を使って派手に、にぎやかで楽しく描いている。絵からはピカソが彼女との生活を楽しんでいたことがうかがえる。
 その後ピカソは73歳の頃、最後の女性、子連れで陶芸の指導助手であるジャクリーヌ・ロックと結婚しているが、まだ性的には現役で、彼女をモデルにした作品を残している。
しかし前立腺がんを手術し、性的に不能になって以降のピカソの作品は、その様相ががらりと変わっている。

ピカソ作 横たわる女
写真上:ピカソ作『横たわる女』1969 はピカソ88歳頃の作品で、前立腺手術後5年過ぎ、もう女性に興味をなくしたのか、冷たく意地悪に女性を卑猥なポーズで描いている。
 性は人間が生きて行く上での最大の活力源である。とくに男性にとっては性的に現役であることが、日々人間として生きていくための必要不可欠条件である。それはあの天才と言われたピカソにとってさえ、避けて通れないものだったようだ。人によっては、ピカソ晩年の作品を死に対峙して性を突き抜けた作品と捉える人もいるが、駄作(といってもピカソブランドがものを言っているが)と見る人も多い。
友人の死からピカソの性に話が飛ぶのは不謹慎かもしれないが、絵描きだった彼だからまあ許してくれるか。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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