台北での美術展を終えて[中編]

台北での美術展を終えて[中編]
混浴温泉とドロボー、そして天燈

僕らが泊まったホテル
 台北での美術展の最中、会場の係りになっている人を除いて、僕らは温泉と十分の天燈上げに出かけた。温泉は混浴だというので同室となった岐阜県美術館の元副館長と僕の二人は、ウキウキしながら出掛けようとした。大きなホテルでセキュリティーも安全のようだったので、服を吊るし財布やパスポートもポケットのなかに入れてそのまま副館長氏は出ようとした。写真右:僕らが台湾の温泉地で泊まったホテル
 僕はこんな時、財布やパスポートはベットを持ち上げその隙間に隠して出る習慣がある。アフリカやパプアニューギニヤ、チベット等治安のあまりよくないところを50か国ぐらい旅をしていると先進国の宿に泊まっても、その習慣が抜けきらない。
 そんな僕の行動を彼が見ていて「僕も隠しておくか」と、半ばつられる感じで彼も僕の真似をした。これが僕らを救った。入浴から帰ってきたら、僕らの部屋のドアが半分ほど開いていた。カードキーでちゃんと鍵をかけて部屋を出たのに!! 誰かが入って部屋を物色したのだ。二人とも真っ青。急いでベットを持ち上げ手をつっこんだら財布等は無事だった。ふっー、よかった。皆さん混浴につられ頭がスケベに侵されていると思ってみえるでしょうが、常に冷静な僕なんです。

浴室の入り口写真左:入り口は別だが中は混浴になる浴場の入り口、風呂の中まではさすがの僕もカメラを持って入れなかった、残念。
 「混浴といってもおばさんばかりで若い子が入っている可能性がないから、山彊先生は冷静になったのではありませんか」。いや若い女性もいたんだけど、実はここでは水着を着なくてはならない。うーん、残念。いや何があろうとも常に僕は冷静だ。
 例えば日本以外のホテルに泊まった場合、トイレやふろに入る時でもバスルームの中に貴重品を持ち込み、目の見えるところにおいている。
 またケニヤではこんなことがあった。朝食の折、かわいい娼婦に話しかけられたが、やばいと思ってダメダメと断った。そしたら彼女は僕の手の甲に自分の電話番号をボールペンで書き、「いつでも電話して、待ってるから」というようなことを言った。それで時間をとらされ部屋に戻るのが遅くなり、急いで戻ったら、やはり侵入されていた。カバンの中のものが引っ張り出され荒らされていたのだ。でも貴重品は全て身につけて持っていっていたから助かった。泥棒はフロントと組んでいたのだろう。たぶん娼婦もぐるになっている可能性もある。
 外国人観光客向けにこのような娼婦はいつもホテルの前に立っており、夕方になり僕がホテルに帰ると、入り口でいつもかわいい娼婦が声をかけてきた。彼女らを部屋に入れて裸婦スケッチでもしたいと幾度も思ったが、いろんな意味で危険なのでやめていた。

 こんなことを聞くと「山彊先生は旅慣れているから、何を盗られても何とかなるのでは?」と思われる方もいるだろう。それは違う。いつも必死で細心の注意を払っているのだ。
数年前に出かけたマリ共和国やグルジア等には日本大使館はなく、また滞在中、日本人には誰も合わなかった。こんな所でお金やパスポートをなくしたらどうなるのか。パスポートの再発行がなければ日本にはまず帰れないし、お金がなくては泊まる宿もない。これらの地は当然泥棒やギャングも多く、野宿することは死を意味する。パスポートやお金は死と同等なのだ。このようにしてつちかわれた貴重品を隠す習慣が、今回の台湾旅行でも幸いしたと言える。


 さてドロボーに入られた翌日、僕らは十分村での天燈(1メートル以上ある紙風船)飛ばしに出かけた。大きな紙風船に願い事を書き、灯油を含ませた紙に火をつけ熱気球の原理で大空に飛ばすのだ。

写真下左:十分の駅の看板    写真右:大きな紙風船に願い事を書く
十分駅の看板 紙風船に願い事を書く

写真下左:ローカル線の線路の上で紙風船を飛ばす  写真右:舞い上がる紙風船
ローカル線の線上で紙風船を飛ばす 舞い上がっていく紙風船

クリストの作品
 この行為は面白い。現代美術行為としても超一級に入る。飛ばしても、見ていても興奮する。二ューヨークのセントラルパークでこれを100個ぐらい夜にでも上げたら、ものすごいインパクトとなり感激であろう。一躍大作家としてニューヨークの歴史に残るのではないか。ビルを布で包んでしまった芸術家のクリストの衝撃に迫れるくらいだ。
写真右:ビルを布で包んだ有名な芸術家、クリストの作品

店の前にある消火器
 だったら例えば僕が何故やらないのか。まず火事になる心配もあり、市は許可を出さないだろうということが考えられる。
写真:道路のあちこちに消火器が見える。よく火事が起こるそうだ。「そうだろうね」
が、それよりもこの行為は台湾の十分で伝統行事として行われ、誰でも知っているので、芸術として成立しないのだ。芸術行為としてやったとしてもただの物まねで終わってしまう。でもこれを最初にやった十分の村人はすごい芸術家だと思う。その行為をまね、それを伝統として、また金儲けにしてしまったらもう芸術性はない。ただのお金儲けだ。芸術は創造性が命なのだ。名古屋人の多くがやっているお茶やお花と同次元になってしまう。新しい茶の湯を生み出した利休や織部は超芸術家だと思うが。
 名古屋人はこのことが分かっていない。いくら上手い絵であっても前の人がやっていればただの猿真似なのだ。例えば僕が芸術家として十分村でうまい絵を風船に描き、面白い飛び方をする天燈を飛ばしてもそれは単なる風船飛ばしなのだ。名古屋のアートが日本中から馬鹿にされるのはこんなところであろう。「私たちは伝統芸術(能)をやっているのだ。名古屋はそういう街なのだ」と開き直ればそれはそれで全然問題がないだろう。つまり伝統芸能とは今まであるものを守り踏襲していくものだから。でも現代美術は創造の芸術であり、さらに言えば伝統破壊の芸術にもなりうるのだ。この相反するものが混沌として存在するのが名古屋ともいえる。そこに生まれて現代美術を目指した僕は大変だったが。
台湾旅行はまた僕にいろいろと教えてくれた。



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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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