台北での美術展を終えて [前編]

台北での美術展を終えて [前編]
オープ二ングでの妖怪ダンスパフォーマンス

僕の赤いボルト作品のある会場前風景
 2015年10月27日〜11月1日まで台北へ、美術展を開きに愛知芸術協会の仲間も加え行ってきた。
写真右:愛知芸術文化協会発表会会場前に立つ僕の赤いボルト作品
 4、5年前に僕は中国を数回訪れている。それは北京にある798芸術特区(街の中央にある工場の廃墟を芸術家村にしたところ)に刺激されたからでもあった。ここ数年の内に中国のアートはアメリカに追いつくところまで来てしまった。

会場内
 そんな中、中国と張り合っている台湾の美術界はどんな様子か気になっていた。それを確かめるのも今回の旅行の目的の一つだ。
写真左:オープニングセレモニーを待つ会場内の人々
 「台湾の人たちは日本が好きだから富士山を描くと売れるよ」と僕の教える教室以外の画家達が話し合っていた。そうかなあと僕は半分疑問を抱いていたが、まだ一般的には台湾の美術界はおくれているのかもと、彼等を半ば信じ、富士山のシルク版画を持って行こうかとも考えていた。

 ところが旅行社が僕のブログからボルト作品(このボルトシリーズで僕は1980年代以降の大きな美術コンクールの大賞を次々に勝ち取っている)を選んで見本として台湾の美術展企画者に送ってもいいかと尋ねてきた。このことで僕は目が覚めた。「旅行社はプロの絵描きではないが、きっと台湾のアートのレベルを商売柄知っているのだ」と。そのため僕や僕の教室の仲間達はいつも作っているような作品、北京の798で展示しても引けを取らないもの、を持ってくことにした。

杉藤由佳作品 松井眞善作品
写真左:杉藤由佳さんの3万円ですぐ売れた作品
写真右:二番目に5万円で売れた松井眞善さんの作品

 
 これは正解だった。会場では北京で通用するような作品に人々の目が集まり、そのような作品がすぐに売れていった。富士山を描いた作品は1点も売れなかった。台北のアートは名古屋アートの平均的な水準を完全に超えていると言ってよかった。

 展覧会の会期中、台北市で開かれているアートフェアーにも出掛けた。まだ台湾のすごさを知らない画家達はどうせ田舎の作品群だろうと無視をして買い物に出かけてしまった。

 ところがこの台北のアートフェアーには度肝を抜かれた。台湾の若い作家中心の作品が数百点展示されていたがこれがすごかった。ただ上手さを競うような印象派風の風景画や人物画はほとんどなかった。シンプルでそれでいて説得力のある作品ばかりで、名古屋の美術館ではお目にかかれない作品群だった。

写真下:台北アートフェアー会場内と作品を見る人々
台北アートフェアー作品 台北アートフェアー会場内作品

 もっと驚いたのは観客の多さだった。一般人の思考を越えた新しい現代美術作品なのに、入場料を払って見学している市民がわんさといることだった。日本で印象派美術展やピカソなどの美術展をやるとどっと見物客が訪れるが、それとは別の次元だ。この作品の良さをこの街の人には理解できるのかという驚きがまずあり、理解できないにしても見物することによって理解しようとしている点も強烈な驚きであった。

写真下左:小学生までも団体で質の高い現代美術を鑑賞に来ていた。
写真下右:アートフェアー会場内を歩く目立つ赤い衣服のパフォーマー、美術展を盛り上げていた。

台北アートフェアー会場内 赤い服のパフォーマー

 (一言加えるが、僕のメンバーの数人はここへ出しても遜色はないと思っている。ここ台湾では3年に一度世界に呼びかけての版画の国際展が開かれている。毎回入選者は100人程いるが、その中でお国柄版画に強い日本人は、20人程が入選をする。何と僕のメンバーは7人が同時に入選したことがある。日本全体の入選者の3分の1を獲得しているのだ。)
名古屋人の芸術に対する思考は古い。芸術と伝統芸能の区別がごちゃごちゃになっているのではないか。愛知芸術協会のみなさんにはいい勉強になったのではないか。この思考が愛知トリエンナーレの企画につながることを望むのだが。

<美術展オープニング前に行った僕らのパフォーマンス>
 
巫女
 僕が教える仲間には九州大宰府の巫女の娘である人がいる。写真右中央:赤い巫女の装束を着ている女性
彼女は神に近いためか祖霊や妖怪とも会話ができるらしい。「山田先生の先祖は尾張徳川初代藩主である義直が亡くなった折、30の若さで殉職した武士の生まれ変わりだ」という。彼は他藩の出身だが美男子だったため義直公の小姓になり、殿様が亡くなった折、切腹させられ死に同行している。彼女が何故、その切腹男と僕を同一視したかは僕の出版した『名古屋力・妖怪篇』での表現から直感したのだそうだ。若くして切腹させられた無念さを、僕がその分、より長く生きて頑張って活躍しているのだという。皆さんも一度彼女に会って誰の生まれ変わりかを紹介してもらってみてはいかがでしょうか。いつでも紹介しますよ。コーヒー代ぐらいでOKだと思いますが?

大宰府神官コスチュームを着た僕 妖怪踊り
写真左:大宰府神官コスチュームを着た僕     写真右:妖怪踊り
 今回その彼女がこの展覧会を大成功に終えるには大宰府神官の衣装を着て神舞をしなくてはならないと言って、僕は神代の服装にされ、彼女は巫女になり、他のメンバーはそれぞれ日本で作った妖怪(神と妖怪は同一。例えば河童は妖怪から神になってしまった生き物)のコスチュームを着て僕らの後に従った。テープカットの5分前の突然の行為だった。この踊りは招待した台湾の踊りの先生まで一番よかったと言ってくれた。訪れた人々はめずらしい、変な?踊りに釘付けとなった。こんなサプライズも始まりを盛り上げ、美術展会期中の観客もすごく多かった。この展覧会は大成功に終わったと思っている。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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