ブラタモリの「吉原遊郭探索」

ブラタモリの「吉原遊郭探索」に関連して

 先日、テレビの『ブラタモリ』は吉原探索巨大遊郭誕生の秘密と題して江戸時代の吉原遊郭の跡を探索していた。当時の吉原は今でいうと総合レジャーランドであって、ここから日本の最新の洗練された文化が発信され、男のみならず女も出かけたという。女はファッションの最先端を行く吉原花魁の姿を一目見たいと出かけ、豪華な着物や髪形、化粧や立ちふるまいを見て、自分の衣装に取り入れ、美しさや女らしさを磨く手段にしていたという。遊郭というと人身売買のかかった悪い印象だけ残るがそればかりではなかったようだ。
曽祖父の建てた蔵
 それで思い出したのだが、僕の今住んでいるところ(名古屋市の徳川園そば)も、実は明治時代女郎屋街だったらしいのだ。(8年前に亡くなった僕のおやじの言)。明治になり鎖国が解かれ、貿易が盛んになって瀬戸が陶器の一大製産地となってきた。そうなると瀬戸から名古屋へ陶器を運ぶ交通機関が必要になる。そのため瀬戸から景雲橋まで電車を通したのが私の曽祖父(今でも彼の建てた蔵が大曽根交差点北西角に残る写真上:曽祖父の建てた蔵。)や近辺の庄屋達だった。景雲橋は名古屋城のすぐそばにあり、降ろされた荷はすぐそばを流れる堀川を通り名古屋港に運ばれた。この電車線路(瀬戸電)にかかる土地の所有者には中日新聞の大島家も入っていたという。なにしろ自分たちの土地の上に線路を引くのだから、それに係わった庄屋たちはすごく喜んで大いに協力したとか。そのこともあり僕の伯父は駅長にもなっていた。
 
 電車の路線を敷くと瀬戸で働く陶器の職人達も名古屋に簡単に来ることができる。より景気が良くなると大挙して名古屋にやって来る。その中で若い職人のお目当ては勿論性処理が中心だった。「山彊先生、言っていることが又オーバーね。私の彼氏にそんなそぶりは見えないわよ」。それはあなたが怖いから。江戸時代は女性の5人に1人はそれに関する仕事をしていたと言われている。
 そこでわが祖先は考えた。瀬戸と景雲橋の中間点の大曽根に遊郭があったらきっと繁盛するだろうと。(山彊先生のいやらしさは先祖譲りなのだ)。今の僕の家のあたりはもと沼地であってあの徳川宗春は蟄居させられた後、沼地を見降ろす丘の上(今の徳川園のこと)に来て、沼地に咲く蓮の花や浮かぶ小舟を見て悲しみを癒していたという。その沼地を僕の祖先達が埋め立てて借家等を建てまくった。その一環で女郎屋にも貸したのだ。だが暫くするとこの場所にレベルの高い住民が住み始めた。徳川園のすぐ北だから場所がいいのだ。そこで住民運動が起こり、女郎街は今の上飯田のスーパーダイエーのところに移転させられた。

遊郭の丸電球 その後上飯田の女郎街は太平洋戦争で米国のB29爆撃機の襲来にあい焼夷弾で全焼してしまった。敗戦になると戦勝国のアメリカ軍人が大量に名古屋にやってくる。上飯田の女郎屋街が無くなって、青い目の大男の性処理をどうするか。行政が考えたのは上飯田のすぐ南の城東町が偶然類焼をまぬがれ無傷だったからここを強制的に買い取り、民家をほとんど女郎屋にしてしまうことだった。そして女郎屋街となったこの街は『城東園』と呼ばれ、アメリカ人や日本人客でにぎわった。 この時僕は小学校1年生だった。夏にでもなるとここの女郎たちは下着一枚で客引きをしている。土曜日の夕方などこの幅2メートル程の狭い路地を通ると「ぼく、寄ってくかね」と半分からかいながら声をかけてくれる。これがまた嬉しい。それにまたアメリカ人の捨てた剃刀の刃がコンドームと共に捨ててあり、コンドームは親に叱られるから持ってこなかったがぴかぴかする剃刀の刃は、僕の宝物だった。かつての遊郭宿
 「よし18歳になったら絶対僕も行くぞ」と固く決心していた。だが18歳になった時なんと売春禁止法が施行されて、大曽根の城東園娼婦街も閉鎖されてしまった。後1年遅かったらと当時は残念で仕方が無かった。その後半世紀以上たつが、『ブラタモリ』を見た後、気になってその界隈を通ったらまだ当時の面影が随所に残っていた。ひさしに付いた丸電球や銅で葺かれた雨戸入れ、唐葺きの玄関など確認できた。写真右上下:娼婦宿の定番である丸電球。
今も活躍する、ここ出身の大女優の生家も確認できた。今はその家に住んでいる人はいないらしく玄間には大きなカギがかかっていた。歴史の証言者として残したい気もするのだが。僕も名古屋の歴史ある場所をタモリのように案内したくなった。

大女優の生家
写真上:今も残る大女優の生家。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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