五輪エンブレム撤回と僕のTシャツ作り

五輪エンブレム撤回と僕のTシャツ作り

Tシャツ作り
 さる9月2日、長いこと盗作疑惑で揺れていた多摩美術大学教授である佐野研二郎氏デザイン(と言われている)の五輪エンブレムが白紙撤回された。面白いことの大好きな僕はその日のうちに白いTシャツを買い求め同じ図柄を刷ってしまった。五輪の正式なエンブレムの図柄を勝手に刷ると著作権等で問題が起きるが、いまこの図柄は誰のものでもないと踏んだことによる。
写真右:アトリエで刷り終えたTシャツ

 「山彊先生、そんなに簡単にTシャツに刷れるものですか」1時間あればほぼ業者の物と同じレベルのものを(Tシャツ代金を除けば)200から300円で刷れるね。普通業者に出すと10日程かかり赤、黒、金、銀の4色だと10万円程かかるのではないか。だからこの技術は大学での僕の看板講座で、卒業した学生によってはこれで生計を立てている者もいる。なぜ美術大学ではこのような教え方を他の先生もしないのだろうか。どの先生もそれぞれ自分の得意とする秘密技法を一つか二つは持っているはずだ。よい技法は教えてこそ教育だ。(佐野氏はパクリの方法でも教えていたのか。教え子であるスタッフの一人がこれをやり、これには素直に彼が謝罪しているから)

自分で刷ったTシャツを着て生徒達と
 刷ったTシャツを翌日、中日カルチャーセンターの授業へ着て出掛けたら皆さん大喜びであった。
写真左:可愛い教え子と一緒にTシャツを着て記念撮影
 この教室でもこの刷り方を教えているから、カルチャーの生徒さんは全て僕と同じことができる。でもこのエンブレムをすぐ刷る面白さに誰も気付かなかったようだ。今回の面白さは、疑惑の果てに白紙撤回となったものを刷る面白さである。これが正式なエンブレムになってオリンピックで使われることになったら、わざわざ刷るなんて愚の骨頂だ。芸術とは、デザインとは何なのか。盗作、パクリの線引きはどこにあるのかといった芸術面での考察をしてくれたら嬉しい。でも皆さん着て歩く勇気がないという。自分で刷って着ていく行為もアートの一部といえると僕は考えている。ダリの髭、ウォーホルの銀髪鬘、みな彼ら自身が芸術にしてしまった。これが1800年代の中頃から始まった創造のアート、芸術の神髄なのだ。

 ところで今回のこの騒動、僕は当然起こるべくして起こったことだと思っている。これまでも似たような事件はいっぱいあったであろう。だがかつてはよほどのことでない限り表に出なかった。インターネットがこれだけ普及した現代では、デザイナーもネット上からアイデアやヒントを簡単に得られるが、逆に数えきれないほどのパソコンユーザーが見張っており、似たものはすぐに探し出せるから怖い。これに気付かないデザイナーは失格と言っていい。特にデザインの基本である丸、三角、四角を基本ベースにした作品なんて、今はほぼ全てやりつくされていて、新しいデザインを探す余地はないのではと思われる。
そのためもあり近頃の五輪エンブレムは北京もブラジルも漫画のキャラクターのような、これまでやられてこなかった分野にシフトしている。

写真左下:北京オリンピックのエンブレム  写真右下:リオオリンピックのエンブレム
北京オリンピックのエンブレム リオオリンピックのエンブレム

 だがこの騒動、政府にとってはマイナスでなく、オリンピックを盛り上げるのに大いに役立ったのではないか。国民の意識をオリンピックに向けることができたとほくそえんでいるのではとも思う。五輪メインスタジアムや今回の事件で既に数億の損害が出ているというが、オリンピック開催に向けての宣伝費と思えば充分にその役目を果たしている。

永仁の壷
 昔何かの会合でよく会った陶芸家の加藤唐九郎なんて、偽の永仁の壷を創り犯罪者として名を馳せながらその後は巨匠として知られるようになっている。
写真右:永仁の壷

 ピカソもそんな面がある。1916年、彼はジャン・コクトーや音楽家のサテーと組んで『パラード』という当時にとってはハチャメチャの前衛劇をやった。これを見た観客は「金を返せ!」「大戦の最中にふざけるな!」と言って劇場裏へ押しかけ、コクトーは大けがを負わされ、ピカソもすんでの所を詩人のアポリネールに救われている。

『パラード』垂れ幕
 アポリネールはその前に画家のローランサンに振られ自暴自棄になりドイツ戦線に加わり、頭に大けがをして帰還している。その包帯を巻いた頭でピカソの前に立ち、暴徒から彼を救ったと言われる。観客は戦争による怪我のため十字勲章を付けたアポリネールを見て、その彼が擁護するピカソに危害を加えることにひるんだに相違ない。これが大スキャンダルになりピカソの名はヨーロッパ中に知られるようになったとも言われる。
写真左:『パラード』舞台背景の幕

 「山彊先生も今回のTシャツで警察に捕まれば有名になるかもしれないわね」。その可能性もあるかと思いこのTシャツを着て栄を歩いたけれど、すれ違う人は驚くだけで大きな反応はなかった。新聞社へ通報する人もいなかった。「今すぐ生徒さんに電話してもらえば」この事件の賞味期限は新聞発表の1~2日まで。もう情報としては薄いね。

ゴミ袋柄のTシャツ
 以前、名古屋市がゴミの分別のためゴミ袋の図柄を発表した。これは版権が名古屋市にあり勝手に使用してはいけないもの。僕はそれを知ったうえで、すぐにTシャツやネクタイに刷り上げて着た。
写真右:名古屋市のごみ袋の図柄をそのまま摺ったTシャツ
 だが名古屋市は全然捕まえに来なかった。しびれをきらした僕はCBCテレビのアナウンサーに頼んで、当時市長であり、ゴミ分別に熱意を持っていた松原さんにそのTシャツをプレゼントとして届けてもらった。市長は「あー、山彊さんか」の一言でおしまいだったとか。これは完全なパクリ行為だ。だがここで大切なのは、パクリだと公表すること、しかるべき人の許可を得ることである。
 このTシャツはなかなか評判がよかった。僕は名古屋芸術大学で、大学で学んだことを少しでも使って卒業後どうやって生き抜くかという実地研修を毎年学生にしていた。その一環として覚王山や名古屋城の夏祭り等でボランティア同然の値段でこのゴミ柄Tシャツを数百枚売ったことがある。学生達は頭やアイデアを使えば物は売れることを身にしみて感じたことだと思う。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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