山田彊一講演:「名古屋のアート力」

山田彊一講演:「名古屋のアート力」

特別講演シリーズパンフ
アート倶楽部 カルチェ・ラタン
特別講演シリーズ 絵を巡る物語
日時:2015年8月29日(土)午後4時~
場所:アート俱楽部 カルチェ・ラタン
    (名古屋市千種区池下町2-28 ℡052・751・8033)
参加無料 (事前申込制) 


 名古屋文化の拠点の一つである千種区のアート倶楽部カルチェ・ラタンで、名古屋画廊の協力による「特別講演シリーズ 絵を巡る物語」が4月から始まり、笠井誠一さんや佐々木豊さん(名古屋出身で旭ヶ丘高校美術科の一期生)等が既に行われ、私の講演「名古屋のアート力」で最後となります。
 佐々木さんは横浜在住ですが、奥さんが旅行で家にいない折、丘の上にある豪邸に泊めてもらったことがあります。彼は家事音痴でどこに布団があるかもわからず適当に出して寝たら、なんと飼っているコリー犬の毛布でした。アート以外は無頓着な明るい人柄です。平成元年に開催された名古屋デザイン博の折、テレビ番組「トゥナイト」から名古屋の街を案内する役を2度頼まれ、山本晋也監督と一緒に名古屋の面白い所を紹介しました。その時に自身が名古屋出身の佐々木さんがその番組を見ていて、俺に似たすごい美術家がいると目を止め、友人を介して知り合いになったというわけです。
 名古屋の美術史は一般に知られている日展に代表されるような体制的な面といつの時代もそうですが、意欲に燃える若者の反体制的な面とがあって成り立っています。僕の青春時代以降の画家人生はまさにそうした戦後の美術史と同時進行していく形で存在しています。
 まさにいろいろあったわけですが、青春時代から持ち続けた夢は捨てたくないし、逃げることはしないで死ぬまで突っ走りたいと思っています。どんな質問にも真摯に答えたいと思っています。
 この講演で配るレジメをこのブログで事前に載せます。これを読んで何か疑問が湧いたら当日質問してください。僕は清洲越しの100パーセント名古屋人です。名古屋にモーニングサービスがあるように講演の後にはクイズか何かで必ずお土産を出します。お時間がありましたら、是非いらしてください。


<名古屋のアート力>                                              山田彊一

 日本人は農耕民族で、そのスタイルを今でも一番守っているのが、大都市の中では名古屋人です。だからアートも他と少し違います。狩猟民族のように力のあるものが飛び出し獲物を仕留めることはしません。みんな揃って喧嘩にならないよう「ヨーィドーン」で動き、水を引き田植えを始めます。一人勝手にやれば村八分にされます。だからそれぞれの個性を重視した現代美術はこの地で評価されず保守の日展系が強いのです。僕は愛知教育大学美術科の出身で大学の先生は全て日展系でした。けれど僕は日本で一番を目指したかったからすぐに現代美術に移りました。最近まで僕はこの名古屋で村八分にされていました。まあこれ等のことも頭に入れながら話を聞いてください。

○まず世界の基本的な美術の歴史をフランス革命(1789)前後から述べます。突然名古屋の美術論を述べてもその立ち位置が分からないと意味がありませんので。

[フランス革命前、アートはほぼ貴族(ルイ王朝等)のもので写真代わりの肖像画や宗教画、貴族達が見て楽しむだけの理想郷画が多かった]
現代ではこういった絵を描いたウードリーやジグリストたちは美術史の中で問題にされていません。ただの飾り絵だからです。細かく探せばルーベンスやゴヤたちがいますが。
ウードリー作品ジグリスト作品
写真左:ウードリー作品   写真右:ジグリスト作品 

[革命の後、アートは王朝貴族から庶民のものになってきた]
 この時代、アートは大きく4つに区分できます。
①自然主義=画家にミレー(写真下)やコローがいて、田舎に住んでその自然な生活を描く。
自然主義 ミレー作品
②ロマン主義=ジェリコー(写真下)やドラクロアがいて、革命や難破船等ドラマチックなものを描く。
ロマン主義 ジェリコー作品
③写実主義=ドーミエ(写真下)やクールベがいて労働者等の現実の生活を描く。
写実主義 ドーミエ作品
④古典主義=ダビット(写真下)やアングルがいてギリシャの彫刻やルネッサンスアートを手本にしています。
古典主義 ダビッド作品
 この時代まで絵画の基本は写真機の代用をすることでした。だが1830年頃から写真機が登場してくると絵の力は急に弱くなりました。当時の絵描きのボスであるポールドラロッシュは「写真機の登場でアートは死んだ」とまで言っています。写真下:1839年に作られたカメラ
1839年に作られたカメラ

[印象派の登場、だがアートは死ななかった]
 外に出て太陽光線に冴える風景などの印象を描けば、その作品が写真通りに描かれていなくても人々を魅惑することが分かったのです。マネやモネがその代表です。(日本の浮世絵は写真的でないのに魅力があった。この浮世絵の影響もあったと思われますが)

[新印象派は印象派の太陽の光について考察した]
 太陽光線は7色が別々に地球上にふりそそぐのだからと点描方式で7色を1色ずつキャンバス上に点で描くことにしたのです。スーラやシニヤックがよく知られています。

[後期印象派は自分の心の印象で描いたもの]
 太陽の光は人の気分によっては白かったり紫に映ることもあります。それは人の持つ個性によるからです。こうなるともうどんな風に描いても、自分がそう思ったのだからといえばそれで通ることになります。ゴッホ(写真下)やゴーギャン等がそれに入リます。ゴッホが木を生きて動いている様に描いてもいいわけです。
後期印象派 ゴッホ糸杉

[立体派はピカソやブラックが考え出したこと]
 2人は色も構図も自由でよい、さらに物体を描くのに様々な多数の視点から見て描いてもいいと考えたのです。作品が立体的になりました。ここからアートはより思考力が必要になったと言われています。

[第二次世界大戦を前後して興こったのが超現実派や抽象派]
 超現実派は現実ではありえない例えば目が3個あったり、キリンが燃えていたりするアートで、ダリやエルンスト、抽象はモンドリアンやミロが活躍しています。

[大戦後アメリカで開花したポップアート]
 大量生産された身の回りの物、日用品を絵にしてしまうアートです。これまでの創造中心の作品から、どこにでもある製品をアートにしてしまうので個性とは言えなくなりました。だから反芸術とも呼ばれています。あのモンローの写真をそのまま版画にしたウオーホールや、漫画を大きく表現しただけのリキテンシュタインは皆さんもおなじみだと思います。

[その後の現代アート]
 電気を使ったキネティックアートや地球をキャンバスにしたアースアート、メールアート等何でもアートになり、ついにほとんどのことがやりつくされてしまったと思われるようになりました。そのため、1980年頃から創造のアートの終焉が叫ばれてきました。

[では今の時代をどう把握すればいいのか]
 僕は今は美術の忌の時代だと思っています。亡くなって天国へ行くまでの喪の時間の49日間のことです。だから今は、これまでやられてきた全ての様式のアートが走馬灯のように飛びだしていると思います。今の日本の画家たちはアニメ的な作品を多く描きます。日本人は平安から江戸にかけて妖怪を始めキャラクター作品を多く作ってきています。やることのなくなった若い芸術家たちは、そのことに気付いて描いているのでしょうか。奈良美智や村上隆等がいます。

[こんなことを踏まえて名古屋のアートを振り返ってみたいと思います。]
 おじさん達のもっている携帯をガラ携といいますが名古屋のアートは正しくこのガラ携です。変革を望まない年寄りが牛耳っているのが名古屋のアートでした。戦後アメリカから始まったポップアートは名古屋に全然根付きませんでした。僕の知る限りこの作品作りをしたのは大須でロック歌舞伎をやっていた岩田信市だけです。半分以上の画家は後期印象派的な絵を描いています。島田章三はピカソの立体派のスタイルです。
 ではこの地で歴史に残った画家はいないのでしょうか。います。河原温や荒川修作等です。時代は古くなりますが荻須高徳や三岸節子も入るでしょう。彼等の共通点は名古屋から出たことです。出れば誰も足を引っ張りません。農耕民族の中に留まっていては跳び抜けて一人だけ有名になることはできません。
 久野真や水谷勇夫もいい絵描きですが、この地にとどまったからもう一歩、出られなかったと思っています。マスコミに登場する山本容子(一時期名古屋近辺に住んでいた)や平松礼二は絵というより人間としての努力で出ているのでしょう。二人とももう名古屋には居ませんが、居たらつぶされたことでしょう。二人が名古屋をどういうか聞いてみたものです。
 日展系が強い都市で日展作家で有名人がいないのもこの地の特徴でしょうか。日展という冠だけが評価されているんです。僕の後輩の長谷川功が日展ではおお大将なのに美術作家達にあまり認められていないのはそんなことがあるのでしょう。
 だがガラ携にも良い点はあります。今、お年寄りには愛着を持って使われているし、これに近付くスマホも発売されてきています。ナゴヤのアートが今後どのように進んでいくのか気になります。
 紙面では戦後名古屋が辿ってきたアートの様々な変遷を語りつくすことは膨大な量で無理があります。会場で皆さんと意見交換しながらポイントだけでも話し合えることができたら幸いです。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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