岡本太郎と中村正義「東京展」を見て

岡本太郎と中村正義「東京展」を見て
豊橋市美術博物館
2015年8月8日(土)〜9月27日(日)

展覧会場風景
 仲間5人と豊橋市美術博物館で開催される『岡本太郎と中村正義〈東京展〉』を見に名古屋から出かけた。
写真右:展覧会会場風景
お盆で車は渋滞していたが展覧会はレベルが高く見に行ったかいがあった。中村正義はこの豊橋出身の日本を代表する日本画家だ。バブルの頃、日本画は高級贈答品、あるいは投資目的で盛んに買われたが、バブルがはじけて作品の購入力が弱くなると、中村正義の存在が俄然強くなった。日本画のタブーに挑んだ実験的で、創造を重視した作品だから、景気に左右されず、その評価が下がらないのだろう。その正義とあの岡本太郎とのコラボが又面白い。まず思いつかない企画だ。共通点は二人とも1961年に二科展と日展をやめたことから始まる。

岡本太郎と中村正義東京展 展覧会場入口 
写真左:岡本太郎と中村正義「東京展」 図録表紙  
写真右:展覧会場入口

 


  「芸術は過去の伝統を踏襲するものではなく、常に新しくならなければならない」という思考の二人にとって、伝統によりかかり、年功序列を重んじ、真の意味での創造的芸術を目指そうとしない公募展は我慢ならない存在だったのだろう。二人が辞めても日展や二科展は東京都美術館を占領するかのごとく大々的に開催されていた。日展や二科展は日本全国からの作家の作品展であり、先鋭的な東京の作家達の展覧会ではなかったことにもよる。

第1回東京展ポスター
 しかしながらこれらの公募展に我慢ができず、中村正義は岡本太郎を誘い、評論家の御三家筆頭の針生一郎らを加え東京展を開催することを企画した。東京都美術館が改装されたその年の日展に合わせそれにぶつけての東京展であった。
写真右:第1回東京展ポスター 粟津潔作
 これには多くの賛同者が現れマスコミも大々的に取り上げていた。それまで公募展に属してはいたものの、それに飽きたらず野心を燃やしていた絵描き達は正義や太郎に後れをとるまいと、そのほとんどが脱会してしまった。「公募団体に残ったのはカスばかりだ」と言われたものだ。そんな折に企画した展覧会だから、ものすごい数の参加者があった。団体内の長老作家が審査する公募展に対し、この東京展は無審査で誰でも出せたことにもよる。
 このいわゆるアンデパンダン形式だったのが好感を呼んだ。当時の日本の美術界は世界に遅ればせながらも保守伝統の殻を破る革命期に入っていたからだ。日展のように画家が画家を選んだら個性中心の作品が選ばれるはずがないし、そこには人間関係や金銭も当然絡んで来る。(一昨年の日展はそのため問題が表面化し新聞紙上等で猛烈に叩かれた)

 この折に東京展に参加していた芸術家達は今でもその名が美術史に残っているものが多い。井上長三郎や丸木位里、四谷シモン、寺山修司、山下菊二、池田龍雄、黒崎彰、石岡瑛子、金子国義と数えきれない。

黒崎彰作品 石岡瑛子作品
写真左:黒崎彰作品        写真左:石岡瑛子作品
写真下:金子国義作品

金子国義作品

山田彊一作品
 私事になるが岡本太郎や中村正義が公募展を脱会した1961年に、23歳だった僕も公募展を脱会している。そして1975年第1回東京展に出品した。
写真右:山田彊一作品 この頃は政治運動が華々しい頃で、連日のように東京や大阪で反体制集会があり、のんびり大作を描いていられない気分になり、社会現象を扱いやすい版画中心の制作に変えていた。(シルクと転写技法)
名古屋地区でも年功序列の美術界に不満を持ち、野心を持った画家たちはそれぞれ競うように2,30人が公募展から脱退した。けれどその後皆苦労している。公募展を辞めると東京やニューヨーク等で自力で個展をしなければならない。そうすると50万から100万円近くかかる。池田総理が所得倍増を打ち出した頃だがそれでも一般のサラリーマンの月収は4,5万円だったから個展開催は大変だった。全国や世界レベルのコンクールへ出す手もあるが、これはすごい競争率で、10倍から20倍多い時には100倍もあった。そのため諦めて公募展に戻ったり大学に職を求める者も多くなった。大学で美術を教えれば画家としての身分も保証されたからだ。

 これらの歴史的出来事を調べ、その中心に中村正義がいた事実から今回の豊橋市美術博物館の展覧会が企画されたのだろう。このような展覧会が東京で開かれず豊橋であるのは中村の出生地であることもあるが美術館関係者の思考力の強さとやる気であろう。これまでの豊橋ではなかったスケールが大きく有意義な展覧会だ。だが少し心配なのは、このすごさが東京や大阪の先進的な文化圏での開催なら超盛り上がるかもしれないが、日本で唯一日展の評判が生き続けている名古屋(愛知)地区ではどうだろう。東京から来たい人も多いと思うがいかんせん遠すぎる。しかし企画者の熱意はパンフレットや図録からも伝わってくる。こういった展覧会がどれだけ盛り上がるかがその地の文化度を示す尺度になると思うので、盛り上げねばならないと僕は思う。そのきっかけがこの展覧会になると嬉しい。


※この展覧会開催期間中のイベントとして、記念座談会「東京展とは何であったか」が、9月6日(日)午後2時から行われます。私もパネラーの一人として3人で語りあいます。お時間がありましたらぜひ豊橋市美術博物館にいらしてください。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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