名古屋の老舗コーヒー店 ボンボン

名古屋の老舗珈琲店 ボンボン
ボンボン珈琲店、コメダと正反対なのになぜ流行る

ボンボンケーキ店
 ボンボンは名古屋の東片端にあり国道41号線に面した、名古屋で最も古い部類に入る老舗珈琲店だ(1949年創業)。写真左:ボンボンケーキ店
ここは珈琲店であるがケーキも作って売っており、どちらもよく流行っている。コメダのように珈琲の量が多いわけでなく、いや少ないぐらいなのに客はほとんど気にしない。珈琲代が300円と安いのも少しは関係しているかもしれない。

「ボンボンのケーキは美味しいわよ」と原名古屋人である僕のどの親戚も言う。少し小ぶりで1個230円からで高くても300円台だ。ケーキに関しては安いから名古屋人にはおいしく嬉しいのだろうと僕は思っている。家で子供たちや客とケーキを食べる場合、小さくても1個は1個なのだ。
ボンボンのコ‐ヒ-とケーキとコメダのカップと
という僕も週に1回はこの店にやってくる。まあそこでコメダを書いたついでに安いからと決めつけず、ここも検証すべきだと思った。写真右:ボンボンの小さな珈琲カップと230円のケーキ コメダのカップと比較してみる
 
 僕の住む名古屋は神戸や京都、横浜と違い、明治、大正からあるような珈琲店は意外と少ない。明治大正時代の名古屋には西洋かぶれの文化人や芸術家が少なく、一般的には珈琲を飲む習慣が人々にはなかった。名古屋にも珈琲を好む文化人や芸術家もいたかもしれないが、そう言った人々は闘う場所は東京やパリ、ニューヨークだとして名古屋を出て行ってしまっている。少しは珈琲店もあったかもしれないが、僕は下街の育ちで親もそんな環境になかったし、妻も大須の本町通りの旧家の出だが珈琲店には縁がなかったという。あったとしても太平洋戦争でほぼ市内は焼け野原になり、戦後生まれの妻には分からないだろうが。
 まあそんな中、僕の小学校6年生の時ににできたのがこのボンボン珈琲店なのだ。僕が高校に進学すると、その高校から数百メートルのところにボンボン珈琲店があったので、学校の行き帰りにはそばを通ったものである。当時はまだインスタントコーヒーも飲めなくて、いわんや本物のコーヒーなんてとんでもない時代だった。ここで珈琲を飲んだことのある同級生は金持ちのボンボンだけで(だからボンボンというのか?)僕には縁がなくほとんど寄りつかなかった。大学生になり彼女ができた頃は栄近辺にいくらでも洒落た店ができ,(この頃から名古屋に喫茶店がどんどん増え出して、今ではその数が全国1と言われている)そんなおっさんくさいところへ行く気は無くなっていた。
 ではどうして今は行くのか。僕の周囲の金持ちのボンボンはここが好きなのだ。きっと親父に連れてきてもらい、その優越感や懐かしさ、気分の良さがここへ来ると味わえるのだろう。そう思って客を見ると育ちのよさそうな老人ばかりのような気がする。彼等にとって珈琲の量など関係がないのだ。この店は昔から貴重なコーヒーをいかに少なくするか考慮していたらしく、僕が飲みに行くコーヒー店の中では一番量が少ない。年寄りが多いから大きいよりも以前と同じカップがいいのだろう。金持ちの客が多いらしく店内でぐずぐず粘らない。中小企業のオーナーには引退がないのだ。だから客の回転も早い。

ボンボン店内
 年寄りのための珈琲店であることをここのオーナーも知っているらしく、室内のインテリアもレトロというと聞こえはいいが、昔のまま。日本人形があったり北海道の熊の彫り物や東郷青児のファイル作品があったり、それにライトは昔のシャンデリアもどきなのだ。よく見ると昔懐かしいブルジット・バルドーの入浴パネルがある。この店が開店した頃、彼女は銀幕のヒロインだった。お祝いにもらった品は美観に関係なく全て飾るという名古屋精神がここでも見られる。また店も懐かしさで来店する客が多いからコメダのように増やさない。桜山に支店が1軒あるのみだ。写真上:開店以来、半世紀以上も変わっていない店内の様子。
 
 僕の娘が名古屋城夏祭りの折り、露天の店でバイトをやりビ―ルなど売っていた。ボンボンの娘とも一緒だったという。名古屋人らしく金持ちの娘でもこうして教育しているのだ。コメダの娘も僕はコメダの千代田店で会っている。名古屋人は息子にはこれはしないようだ。
 僕が観察するにこのボンボンはコメダと違って、流行るのは後10年だろう。珈琲か憧れだった時代の客が亡くなってしまえば、ここの魅力もなくなる。10年後にここは、きっとコーヒーの量も多い素晴らしいモダンな店に生まれ変わっていると思う。僕がそこまで付き合って見届けてやろうと思っているが

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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