刈谷市美術館の「新コレクション展」を見て

刈谷市美術館の「新コレクション展」を見て

コレクション展の看板
 刈谷市美術館が新たにコレクションした作品の「新コレクション展」が始まった。7月12日まで開催されている。
写真右:ニューコレクション展の看板
 今回コレクションされた画家は、この地方に関わりのあるところでは、北川民次や三岸節子、赤瀬川源平(彼は旭丘高校美術科時代、父の転勤で名古屋に住んでいた)といった超有名人や鬼頭鍋三郎、名古屋造形大学を立ち上げたメンバーの西村千太郎や市野長之介、二科展のこの地のボス安藤幹衛、僕の大学1、2年の折の主任教授であった日展の鈴木三五郎、僕と現代美術コンクールを競いあった三重の伊藤利彦達であるが、これらは皆故人である。

横尾忠則のポスター
 もちろんこの地域以外からのコレクションも多く展示されている。星野真吾や中村正義につながる下村良之介、明治の洋画壇を切り開いた和田英作、イラストレーターからスタートした横尾忠則、虹を使った作品で有名な現代美術のヒーロー靉嘔、ニューヨークでも活躍していた漫画家の井上洋介、黒田清輝の書生だった三河出身の島田卓二等、時代も地域も幅広いコレクションになっている。
写真左:横尾忠則のポスター

僕の婆羅門シリーズ作品
 僕の作品は20代前半で描いた抽象画の婆羅門シリーズが展示されている。選抜14人の日本人アーティスト、ニューヨーク展に選ばれた時に描いた同シリーズだ。
写真右:婆羅門シリーズ山田彊一作
 世界美術全集に載った餓鬼草子シリーズの僕の作品は今回の展示には入っていなかった。(また見に来る楽しみがあっていいが)。

 全体的に見てなかなか広い視点から集めてあるという感じがする。ニューヨークが戦後アートの中心になったのも経済の裏付けがあってのことだが、ここ刈谷もトヨタ関連の会社が多い地でしっかりとした経済基盤が芸術分野をもサポートしていると感じた。

 展示されている作家達とは色々な思い出がある。北川民次さんとは僕の20代、絵の会合があるとよく一緒になり、影響を受けたものだ。僕が児童美術に詳しいのは彼が東山の公園を使って児童画教室を開いていたことにもよる。

赤瀬川源平のポスター
 赤瀬川さんと最後にあったのは中京大学での作品展示の折であった。
写真左:赤瀬川源平のポスター
 その数年前彼のことを朝日新聞で僕が連載していた「郷土の画家達」で大きく紹介していたこともあり、話も弾んだ。彼は偽札疑惑裁判の折、刑務所に収監されることでもあったら、歯ブラシとタオルは自分の物を持っていこうと美術手帳誌に記していたことも話題になった。
 というのは偽札裁判と同時期に僕も後輩たちのごみ裁判を援助すべく頑張っていたからだ。裁判が始まるまでは「よし、やろう」と言っていた美術仲間たちは実際裁判が始まるとすべて逃げ出してしまっていた。それだけ裁判は怖いのだ。ここに作品のある安藤幹衛さんはそんな中、岡田徹さんや上原欽二さんと「山田君しか若い子を理解する画家はいない。がんばれ!」と影では言ってくれていた。
 しかし結局彼らも表に出るのは怖かったようだ。保守的な体制が幅をきかす名古屋の美術界では、裁判で反体制側を弁護する証人などになったら美術界からの追放が待っている。当時の僕は東京で評価を得ていて、名古屋美術界の年功序列といったことの世話になっていなかったから、山田は応援がしやすいと3人は思っていたのかもしれない。

鈴木三五郎の静物画
 僕の主任教授であった鈴木三五郎さんは裁判が始まると同時に一切僕に近づかなくなった。
写真右:鈴木三五郎の静物画
愛知にある学校の先生の大元締めでもある教育大学の教授は、さらに保守的なのだ。名古屋はアートが遅れ、芸術より芸能の街と称される。この原因の多くは鈴木教授にあると僕は思っている。この地の小学校や中学、高校の美術教師は多くが教育大学卒で、この鈴木先生を尊敬しているから、僕の同級生たちは今でも日展に入ることが美術家としての最高到達点のように思っている。しかし例えば東京芸大等の学生はこの30~40年間、このような年功序列の保守的な会には誰も出品していないのではないか。名古屋の美術がおくれているのも当然に思える。

靉嘔 レインボーエッフェル塔プロジェクト
 靉嘔さんは僕の憧れだった現代美術の画家で、エッフェル塔から300メートル程もある虹色の帯状の布を垂らしたことを思い出す。
写真左:レインボーエッフェル塔プロジェクト
 伊藤利彦さんは20代の頃、僕とコンクールで競い合った仲だ。彼はスタイルもよく外見は温厚でイギリス紳士風。温厚だったためかその後はあまり噂を聞くことはなくなった。こんなことをこの会場を周りながら思い出していた。

刈谷市美術館
 この刈谷市美術館は1983年に建てられ西洋的な雰囲気があり、当時としてはモダンだった。
写真右:刈谷市美術館
 この後1988年に名古屋市美術館が建ち、1995年には世界的に評価が高い豊田市美術館ができている。バブル景気で地方都市にも美術館が出来始めた頃の走りであった刈谷の美術館は、後からできた美術館と比べると損をしているといえる。

名古屋市美術館
 だが僕は名古屋市美術館と比べると落ち着きがあり好きだ。美術館を出た後でも建物がシンプルだから、作品をいつまでも鮮明に思いだすことが出来る。黒川紀章の名古屋市美術館は建物自体が凝っていて印象に残るが、芸術的な建物を作ったが故に作品と建物が競い合ってしまって、後で展示してあった作品を思い出すことが困難だ。美術館は美術作品が主役であるべきだ。
写真左上:名古屋市美術館 この建物は名古屋城や大須観音、熱田神宮など名古屋が誇る代表的な建築をイメージして建てたとか。遊園地のようだ

 豊田市美術館(写真下)は別格だ。ニューヨークの近代美術館の新館を設計した谷口吉生の作だけあってシンプルな美が冴えわたる。展示された作品も印象に残る造りで、僕は大好きだ。
豊田市美術館 
こんなことを考えながらコレクション展を見に行かれるのもいいのではないかと思う。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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