北京で初めて太陽を見た

北京で初めて太陽を見た
「日本の若い6人の芸術家達」

中国大気汚染
 日本の新聞やテレビが「北京で大気汚染激化。空港も一時閉鎖」と載せた時、僕は日本を発って北京に向かった。写真右:「中国で大気汚染激化」と載せた中日新聞
 今年3回目になる今回の訪中目的は、2011年Dアートビエンナーレで選ばれた若い芸術家39人中優秀者6人の展覧会を北京で行い、彼等に世界最先端を行く中国の美術事情を知ってもらい、関係者との話し合いを持つというものだ。 北京は寒かったけれど汚染もなく、なんと青空が見られる快晴だった。僕は中国に10回ほど来ているがこんなことは初めてだ。太陽は拝めるし、夜は月や星まで見られた。今回、北京に着く前日は、地元の北京人でも驚く程のスモッグと濃霧だったらしい。だから僕は、飛行機が飛ばなかったらどうしょうと心配していた。「昨夜の北京は凄い北風が吹いてスモッグを全て飛ばしてしまったのです」と、現地の人が説明してくれた。
 セントレアから飛んで1時間程した頃、行く手の空が異常に黒くなっていた。今までの経験から「あれ、もう中国の上空か?」と一瞬訝った。しかしその雲を右手に見て通り過ぎると眼下に朝鮮半島らしき山並みがみえた。そしてそのまま北京まで快晴だった。後から考えてみると飛行機の中で見たあの雲が、中国上空を覆っていたスモッグ本体のようだった。あのスモッグ、今頃日本やアメリカにまで拡散したのではないかと思われる。福島の放射能汚染も除染をしてもどこかへ放射能が移動するだけで完全に消えてしまうわけではない。スモッグも地球上のどこかに拡散するだけだ。

 スモッグがない代わり風を伴った寒さは相当なものだった。朝晩は零度を割り、昼間でも零度ぐらいだった。そのためか連れていったアーチストの内2人が体調不良を訴えた。病院へ連れていき診てもらった。「特に問題がないからリンゲルだけでも射っておきましょう」となった。驚いたのはその診察料だ。一人7万円だという。空港で1~2000円も出せば保険に入れるが若い子たちは病気になるなんて思っていないから入らない。
 「お年を召した山彊先生は大丈夫だったのですか」。僕はいつもながら元気そのもの。何か歴史に残るような芸術行為はできないかと虎視眈々と狙っていたから、病気などしてはいられない。中国の若い画家に負けず7~8万円するアトリエを10年程借りて1000号、2000号の作品創りをやってやるかとも考えた。僕から見ると同行した6人には若さがあり、きっと凄いやる気で、前もって頼んである10分位の自己紹介や作品説明も中国語で用意し、途中今や世界一とも言える有名作家やコレクターを捕まえてピーアールや質問攻めをするだろうと思った。自分の画家としての命運をかけたものすごいチャンスなのだから。彼等がどうするか参考にしてやるぞとも思った。日常会話も少しくらいならマスターしてきているだろうとも思っていた。だがこれらはほぼ裏切られた。

銀座個展会場
 今の若い子の思考は僕に分からない。僕が彼等と同じ23歳のころ、東京の銀座4丁目でも個展をした。写真右:僕が23歳の折り銀座で開いた個展会場その折は、朝5時には6畳6人のザコ部屋の宿を出て見に来てほしい評論家や画家たちの家を回ったものだ。朝7時には誰か最初の評論家や作家の玄関に立っていた。名古屋にいて銀座で個展をやるには当時で1週間で50万円はかかった。当時の給料は池田首相の所得倍増論があっても3万円程だから、年収以上のお金がいる。だからもう必死。夕刻の7時前にギャラリーを飛び出し、その足でまた1~2人の家を回る。つい3年程前にはアメリカで個展をやってあげるがその条件は40分程の日本文化の英語講演をやるとのことだった。英語のできない僕がOKしたことがあった。芸術家であればこんなこと、当たり前。絵描きをやっていると文学の連中とも親しくなる。話の中で「絵しか描けないの?文は書けないんだね」というような事を言われると、なにくそ!とすぐ猛勉強をして本も出す。講演もできないレベルと思われたくないからどんどん引き受ける。芸術、とくに現代美術の作家は生き方の全てがアートなのだと思っている。こんな気持ちで毎日やっているが、今回僕は財団の堀会長に「若い芸術家6人が主役なのだから、あんたが出しゃばるでないぞ」と釘を刺されていて遠慮していた。

Dアートで選ばれた作家たち
 若い彼等に感心したこともある。最終日僕等は揃ってショッピングに出かけた。その道中でおいしそうな焼芋屋を見付け、僕は20年も前にこの北京で買って食べたことを思い出し買ってあげた。たが、そこにいた4人のメンバーはそこで食べることはなく、宿で休んでいる仲間たちに持って行って一緒に食べていたことだ。僕の若いころなら、病気でダウンした者がいたら、シメシメこれでライバルが減ったと喜んだだろう。
写真上:若いアーティスト達と
 名古屋のある小学校の運動会では徒競争の全員が手をつないでゴールインしていた。この小学校は女性の校長で教育に優劣をつけてはいけないとかで実施したらしい。こんな思考のもとに彼等は育ってきたのだろうか。
 さあ彼等の誰かでも美術の歴史に残れるだろうか。ちょっぴり心配になった。彼ら6人の姿に日本の若者の全体像を見ているような気がしなくもない。日本の未来が気になる。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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