YOKAI (妖怪) in New York 第27話 何故チャイナタウンには妖怪話が少ないか?

YOKAI (妖怪) in New York
第27話 何故チャイナタウンには妖怪話が少ないか?

チャイナタウン
 ウォール街からチャイナタウンに入った。写真右:人々でにぎわうチャイナタウン
 妖怪からのメッセージを求め、この日もウロウロしていた。ニューヨークに来て初めて街中を僕のようにウロウロする太っちょのネズミも数匹みた。ここは残飯も豊富で住みやすいのだろう。
 今日はひとつ確かめたいことがあった。それはマンハッタンはほとんど直線の道路が基本なのにこのチャイナタウンの道は曲がっているということだ。歩いてみると本当に曲がった道があった。でも何故なのか。そこでホテルの中国人のボーイに聞いてみた。彼曰く「幽霊をこのチャイナタウンエリヤに入れさせないためだ」と。これはその前に僕が妖怪についても質問したからの返事であったのだろうか。中国人は妖怪がまっすぐ飛ぶか、飛びながら曲がることができないと信じているようだ。どうもそのようにチャイナタウンでは語られているらしいが、これは話をおもしろくするためのことだろうか。でもこんな話が受け継がれていると、人々はチャイナタウンに親近感を覚える。僕には日本の城でも見られるように、敵を一気に進ませないためと自分等が隠れやすくするための工夫ではないかと思われるのだが。

血塗られた角
 この曲がった道角の正式名はドイヤーズストリートと言われ、かつてはチャイナタウンの中枢で、The Bloody Angle(血塗られた角)の別名も持っている。写真左:ドイヤーズストリート、現在は理髪店が多い。
というのは20世紀の初めから1930年代まで、中国系の暴力団である堂(トンTong) が抗争を繰り返し、対立関係にある堂との銃撃事件が後を絶たず、多くの血が流されたことから付いた名前だという。1994年に警察が、合衆国内の交差点等の中で、暴力的に殺された人間の数が最も多い場所は「ブラディ・アングル」であると述べた記録も残っている。
 ギャングといえば映画『ゴッドファーザー』のマフィアを思い出すが、移民が次々とやって来た頃のアメリカでは当然血で血を洗う抗争も多かっただろう。ここチャイナタウンも上海系、香港系、台湾系に分かれ攻防戦が激しかったと聞く。そのためこの付近は地下道も張り巡らされ、外へ出なくても移動できるということも、前述のボーイが教えてくれていた。
 
夜のチャイナタウン
 僕が80年代に来た折には、チャイナタウンで食事をしたが、裏路地までうろついた覚えはない。危険という情報があったからだ。今回は危険がないということで夜の10時頃一人で歩いては見たが、電灯もほとんどないため暗く、人もあまり歩いていないことが分かった。写真右:チャイナタウンの街角、結構広い通りだがそんなに明るくはない。

キョンシー
 何時襲われてもおかしくない雰囲気で、まあギャングはいないにしても後ろから生暖かい風が吹いてくると中国のお化けのキョンシー(写真左)が僕の背後にいるように感じ、時折後ろを振り返ったりもした。というのはここでは多くの殺し合いがあり、その恨みから成仏できない死人も多く幽霊話も盛んであったのだろうと想像したからだ。そうなるとますます僕は地下道を探検する気をそがれてしまった。

 しかしその後、いろんな人にチャイナタウンの犯罪や妖怪話を尋ねたけれど、多いと思われる割に妖怪話がほとんど拾えなかった。それに現在では殺人事件もチャイナタウンはマンハッタン中で一番少ないとニューヨーク市警も発表しているらしいのだ。何故少ないのだろうか。

ボクシングアート篠原有司男
 このチャイナタウンで待ち合わせていた旧知の森川さんからも怖い話はほとんど聞かれなかった。彼女は会ってすぐ「今そこでギューちゃん(篠原有司男)に会った。私の携帯にツーショットの写真があるから見せてあげるわ」と言って写真を見せてくれた。篠原有司男はニューヨーク在住の絵描きで、先年彼のニューヨーク生活がドキュメンタリー映画にもなり画家仲間では知らない者はいない超有名人なのだ。50年程前、頭をモヒカン刈りにして手にグローブをはめ、そのグローブに絵具を付けてキャンバスに叩きつける絵の技法でもよく知られている。写真右:ボクシングアート制作中の篠原有司男
 そんな有名人に出会ったりするのもここは安全で食事がうまいからだろうか。僕が会った森川さんはもう20年近くアーティストとしてここに住み、ギャラリーの運営の手伝いもしている。

夜のギャラリー街
 ニューヨークのアートを担ってきたギャラリー街はソーホーからチェルシーと動き、今はチャイナタウンに移動しつつあるという。もう百数十軒のギャラリーが既にここには来ているとか。写真左:チャイナタウンの夜のギャラリー街
 ジェントリフィケイションの波がここにも押し寄せている。これでこの地が犯罪のないエリアになり、妖怪話も聞かれなくなったのだろう。

 話が美術関係にそれてしまったが、大きな事件のないここでの近頃の話題は、不老長寿の秘薬が見つかったこと位らしい。2014年5月、ここチャイナタウンのホテル跡地から19世紀の古い瓶100本が見つかったそうだ。学者たちはそのうちの1本は霊薬の「エリクサー」だということでその成分を分析しているとか。エリクサーは当時の人が信じていた秘薬で、薬屋や酒場でも買えたらしい。

チャイナタウンで食べたラーメン
 次の日チャイナタウンの中華料理屋に入った折、もう一度僕は中にいたおっさんグループに妖怪、バンパイヤ等について尋ねてみた。写真右:僕の食べたラーメン
 たいした話はなかったが、一人のおじいさんだけがちょっと興味深い話を聞かせてくれた。「このチャイナタウンで暴漢に殺された者はキョンシーのような風貌で腕だけがばかでかいチャイニーズゾンビ妖怪になって人間を襲いまくることになる。チャイニーズゾンビに殺された者は妖獣となり、もう永遠に人間として死ぬことは許されない」とのこと。さすが年配者、チャイニーズゾンビなんてものがいるんだ。これでやっと僕はチャイニーズタウンでちょっとだけ妖怪に出会えた気がした。


<ニューヨークの妖怪シリーズ>
 さて今回も上記の話に因んだ僕のオリジナル妖怪画を紹介したい。

㉗ 『チャイニーズゾンビ妖怪』

チャイニーズゾンビ

 中国というと日本の妖怪のルーツであるのに、日本のようにバラエティに飛んだ妖怪がいない。平和が長く続いた江戸時代の島国日本と違って、異民族の侵入に気を使う大陸では妖怪を創り出す余裕が生まれないのだろうか。ニューヨークのチャイナタウンもあまり妖怪話がなかったが、おじいさんから聞いたキョンシーのようなチャイニーズゾンビの妖怪を描いてみた。

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ドキドキしながら書き込みしてます!

只今、私初体験中(笑)
こうやってコメントするの初めてなんですよ(人´∀`)

一種の告白みたいで照れますが…
絵描きの山彊さんの言葉の選び方好きだなって思いました。

素直な言葉って印象でストレートに言葉が溶けこんで来るというか☆
単純にすごいなとも思いました(*#′∀`艸)

私…もうずっと良い事なくて。。
自暴自棄までは行ってないんですけどほぼ近い状態で(汗)

だから思い切って連絡しました(о´▽`о)
迷惑であればコメント即消してくださいね。

緊張しながらも楽しみに絵描きの山彊さんからの連絡待ってます(o^∇^o)
カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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