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山彊創作『京都・妖怪三十六景』  ㊱化野白骨妖怪

山彊創作『京都・妖怪三十六景』
㊱化野白骨妖怪

 化野は都の北西、嵯峨野にある。東山の鳥辺野、洛北の蓮台野と並ぶ平安時代以来の京都の三大風葬地の一つだ。811年空海が野ざらしになっていた遺骸を集め埋葬したことに始まり、その後法然が念仏道場を開き、それが今の化野念仏寺になっているとされる。ここは「あだし野の露消ゆる時なく・・」と徒然草で読まれた無常観の現場でもある。

写真下:化野石仏群
化野 (500x262)

 僕が美大に入学してすぐに一人で訪れたのがここ、化野だった。中学生の折、雑誌の写真で見た情景が、僕の脳裏から離れなかったからだ。荒涼とした野辺に無限に広がる石仏が僕を圧倒し、雑然と置かれたそれらの無数の素朴な石仏が、うめきあい雑誌の紙面から立ち昇って来るように感じたのだ。

 僕は小学5年から死神に取り付かれ、それを跳ねのける方法を常に模索していた。大学に入って知見を広めればその答えが見つかるのではといった期待もあった。その最初のとっかかりが化野の石仏だった。ここへ行けば死という無常から抜け出る何かが分るのではないかと思ったのだ。

MAN AND MAN
 そして数年後、ここをテーマに餓鬼草子の作品を描き始めた。僕の中で石仏から漂う死のイメージが餓鬼草子の餓鬼になった。人は死に至る前にまずは餓鬼になる。そうなると今我々が生きているこの世は餓鬼として生きている世なのかもしれない。和紙と墨で描いたこの作品は毎日新聞主催の現代美術展に選ばれ、講談社の世界美術全集にも載った。僕の20代中頃のことだ。
写真右:講談社アートナウ(世界現代美術全集)3巻、山田彊一作(MAN AND MAN)刈谷市美術館所蔵 

 僕がひょんなきっかけから名古屋やニューヨークの妖怪に関する絵や本を書き始めたのは70歳くらいの頃からだが、原点は若い頃の餓鬼草子にあったのだと思っている。そんなわけで今回の京都の妖怪本の最後を僕が死と向き合い、死とは何かを考えるきっかけとなった化野を取り上げ、原点回帰してみた。


 作品はこの世の苦しみにあえぐ餓鬼集団の世界を描いてみた。彼らの行く手には、完全な死を表わす骸骨が両手を開いて餓鬼たちを取り込もうと待っている。餓鬼の腹から覗く赤子は生まれる前から怒り狂っている。しかしただ暗いだけでは救いがないのでユーモラスな表情の餓鬼たちも描き込んでみた。


㊱化野白骨妖怪 図

化野白骨妖怪
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)         『名古屋・妖怪三十六景』(ワイズ出版)等          

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