豊田市美術館の「奈良美智 for better or worse 」展を見て

豊田市美術館の「奈良美智 for better or worse 」展を見て

奈良美智展
 奈良美智展を豊田市美術館で見て来た。ものすごい見学者の数だった。戦後、アメリカンアートの洗礼を受けた僕等絵描きにとってうれしいことだ。模倣でない創造のアートに関心を持ってくれる人が多いということの証だからだ。見学者の年齢層が様々なのもうれしかった。ヨーロッパの印象派関係の展覧会や日展、二科展と言った展覧会に来る層とも違う。圧倒的に若いし子連れも多かった。見学者の服装もカラフルで軽やかに感じられた。

写真下左:混雑を避けるため別に設けられたチケット売り場
写真下右:美術館前の庭を散策する来館者


別に設けられたチケット売り場 美術館前庭

 気になったのは日本で一番数が多いと言われる名古屋の一般の絵描きに会えなかったことだ。愛知県の美術展に行くと、必ず数人の絵描きに出くわすがここでは会いそうにない。それらの画家に見に来ない理由を尋ねてみたら、別に興味がないからという。奈良は現代の日本でのヒーロー画家だから、色々な意味において見ておくべきだと思うのだが何故だろうか。

 僕は奈良美智の作品を見ながら「これらの作品を日展、二科展と言った公募展に出品したら必ず落選する」と思った。地方の小さなコンクール展に出しても同じだろう。有名審査員を呼んで高いお金を払いたくない主催団体は審査員を身近な公募団体の親分画家にするからだ。では何故これらの団体の親分の審査に問題があるのか。芸術は模倣でなく創造が命である。要は個性が最も大切なのだ。
 それぞれの親分画家達はかつては個性があって認められたとしても、自分のことし分からず他の個性に対する理解に欠ける。その結果自分に似ている作品や時間をかけじっくりうまく描き込んだ作品をよしとする。ほとんどの公募展に行くと、これでもかこれでもかと描き込んだ作品が入選したり賞をもらっている。その考えで奈良美智作品を見ると、もう理解できない。奈良作品だけではない。ピカソもセザンヌも、また草間彌生もオノ・ヨーコも理解の外側にあるに違いない。

 名古屋では大評判の日展だが、その会員達が東京で以前朝倉摂を招いて勉強会を開いたそうだ。その席で朝倉摂が「20世紀の作品で皆さんが一番認める優秀な作品を1点挙げてください」と言ったら、選んだのがほとんど同じ日展の自分の親分画家であったと言う。ピカソの「アビニヨンの娘たち」や「ゲルニカ」、デュシャンの「便器」やアメリカの大芸術家ジャクスン・ポロックではない。日展画家たちは美術の世界を自分たちが属しているそこいらの会社内の世界と同じように思っているのだ。

中日新聞に掲載された記事
 最近の中日新聞に奈良が中学生記者のインタビューに答えた言葉が記事として掲載されているので紹介したい。
写真右:中日新聞より 中学生のインタビューに答える奈良(中央)
「絵は習えばうまくなるけど、みんな同じ絵になっちゃう。みんなとどこが違うかを考えて、自分しか描けない絵を描けばいい。自分しかできないものを探してほしい」

 ではどうして奈良美智がこれだけの評価を受けるようになったのか。勿論それだけの芸術的個性があり魅力があるからなのだが、稚拙だと言うお叱りを承知の上で僕なりの検証をしたいと思う。僕は作家の裏側に興味がありどうしてピカソが、セザンヌが、草間彌生が、オノヨーコが歴史に登場したかが気になり調べている。それらを僕の本『名古屋力・アート編』(ワイズ出版)でも書いている。

 30年程前、僕はマーブルグで個展をすべくドイツに出かけた。帰りに友人が住むデュッセルドルフにも寄り、そこの美術大学(ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミー)を見学した。この美術大学はかつてはデュラーが出て、その後あの現代美術のカリスマ画家であるボイスがこの大学を閉鎖するなどの問題を起こした事でも知られ、また奈良美智の学んだ美大としても有名だ。僕はオープンな雰囲気のこの美術大学の校舎内を見た帰り、門を出て2,30メートル歩いたところで幼稚園の送迎バスに遭遇した。すると僕を見た園児たちが一斉に目を指で引っ張り、細い吊り目にしたのだ。園児たちは「やーい、細い目の頭でっかちの醜い日本人」と叫んでいるように思われた。気分のいいものではない。大人はこんなことしないがきっと家では親たちがこんなことをして日本人を蔑視しているに違いない。だから真似るのだ。僕にとってこの行為は屈辱的で、園児よりその背後の親たちに憤慨したことを思い出す。当時日本は好景気が続き、日の出の勢いでヨーロッパ経済にも進出し、日本人や日本人観光客は街の隅々で目につき、嫌われているだろう存在だった。

 ちょうど奈良がここの大学に在籍していたか、卒業後だったとしてもドイツにいた頃だ。ヨーロッパのあちこちで作品発表をしていたが、まだ今の様に有名ではなかった。作品は頭でっかちで目が細くつりあがった少女画だった。日本人が自虐的に自分らを描いた様な図柄だ。
 もし僕がヨーロッパ人なら、この作品を面白いと評価し、文として取り上げ、また買ったりしていただろう。これに気付いた奈良はさすがだと思う。それとも本能的に無意識に描いてしまったのだろうか。アメリカでウォホールがトマト缶を刷ったり、モンローやプレスリーと言った一見軽薄な作品を創るのに似ているような気がする。まあ奈良作品より自虐的ではないが。
写真下左:The Girl with the Knife in Her Hand (1991)   写真左:Hyper enough (1997)
The Girl with the Knife in Her Hand  Hyper enough
 
 日本でもその少しあとから美術雑誌等で奈良の評判が載るようになった。「ヨーロッパでものすごく受けていて、売れている」と。その評判を知った日本の女子高生の間で奈良の絵は大人気になり、彼の個展は少女たちであふれたという。それだけでなく奈良は人間性にも優れ、人から来たメールや手紙には女学生であっても必ず返事を書いていたという。彼を慕うものが駅に着いてアトリエ訪問をしたいと言う電話を受けると車で迎えに行ったとも何かの雑誌で読んだことがある。絵だけでなく彼の行動の全てが好かれ認められる条件をクリアしている訳だ。

 ところで僕はこの展覧会で2つの不満がある。1つ目は、初期の絵に描かれた細めの吊り目が年を経るにあたってだんだん大きくなり、吊り目はだんだん下がり、衣服にはカラフルな色が入り出したことだ。この方が一般的にはより好まれるであろうが、最初の頃の鮮烈さが無くなって来たとと僕は感じる。初期の頃のナイフを持ち目の細くつりあがった女の子などリストカットを繰り返す子の様で、かわいい中にすごみがあった。

写真下左:Midnight Truth (2017)  写真下右:Lady Midnight (2017)
2000年以降の作品2 2000年以降の作品1

小さな家作品
 もう1点は会場で写真撮影を禁止にしたことだ。アメリカやヨーロッパのほとんどの美術館がカメラOKなのに、何故若者のアイドル的な彼の展覧会で撮影が禁じられているのか。豊田市美術館は近頃カメラOKになり、僕はブログで「さすがこの地をリードする豊田市美術館」と持ち上げていたのに。だから展示場内の写真が取れなくて展示場外の写真しか紹介できないのが残念だ。

写真右:メイン作品の小さな家、中に彼の小物作品が置かれている。会場二階の小窓から隠し撮りした。
スポンサーサイト
カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR