台北での美術展を終えて[後編]

台北での美術展を終えて[後編]
温泉金魚、白千層、削り絵

 十分の町近くにある温泉では、人の足の古い皮膚(角質)を食べてくれる小魚がいるという情報があり混浴後、皆さんを連れて出かけた。女性達は美容院へ行くより効果があり美しい足になることを期待している。

 僕は以前、テレビのニュースで、ドクターフィッシュ(写真右)という魚がいて、人が水槽に足を入れるとそれにこの魚が群がりきれいな足になるという映像を見たことがある。全身を入れたら体中がきれいになり、これはいい商売になるなと思ったものだ。

 ドクターフィッシュはイラン、イラク方面に生息し、何でも昔、あのクレオパトラが愛用していたという。この魚は餌となる養分がない温泉地に育ち、37度ぐらいの中でも生きられ、雑食性で何でも食べるらしい。食べるものがないからやむなく古くなった皮膚を食べるというのだ。

doctorfish の足場ピラニアのキーホルダー この話、想像しただけで楽しい。ぬるめの温泉に入って、体中黒っぽい小魚に古い皮膚を食べさせる。ピラニアだと恐怖のオカルト映像になるが、小魚だからかわいらしいのではないか。けれど小魚でも黒色の何千匹が体にまつわりついたら恐怖かも。ちなみに僕は本物のピラニアで作ったキーホルダーを持っている。
写真左上:足に群がり、表皮を食べるドクターフィッシュ
写真右上:ピラニアのキーホルダー


 ホテルを出るとすぐ前には数軒の角質を食べる魚の店があり、もう別のグループのおばさんたちがにこにこ顔で、足をつっこんでいる。見ると足に群がっている小魚は一部で、大半の魚は知らん顔をしている。「温泉につかり石鹸できれいに洗ったからかな?」と誰かが言ったので、足などしっかり洗うことなど気にしない僕ならどうかと(要は魚にとっての栄養分がいっぱい付いているということだが)足を入れてみたけれど結果は同じだった。それに小魚は全て赤く金魚のようだった。いやまさしく金魚だ。かつてテレビで見た黒いドクターフィッシュとはまるで違う。

魚に足の皮を食べさせる足場 足と離れた方向に集まる魚 
写真上左:水槽に足を浸す女性たち  右:離れた方に集まる魚の群れ

 では何故ドクターフィッシュでない金魚が、人の足にまとわりつくのか。餌となる養分のない温泉の水で育てられると、なんでも食らいつくように仕込まれてしまうのかもしれない。よく観察していると水槽には大量の金魚が放たれており、足を入れれば必ず何匹かは寄ってくる。それをドクターフィッシュにあやかって足がきれいになるとか言っているのではないだろうか。可愛い赤い金魚の方が客受けもよい。なかなかうまい商売を考えたものだ。台湾人はなかなかのアイデアマンだ。アイデアあふれたこの国では、今後たくさんのすごいアーティストが生まれるかもしれない。
 これを日本の温泉地でやっても絶対流行ると思う。子供たちも喜ぶ。お祭りの金魚すくいの隣でやらせたらどうか。水は養分の抜けた蒸留水を使って。「金魚虐待!」と言われそうだが。

白千層
 ところで台北の街を歩いていると、人間の足の表皮を食べる温泉金魚とは逆に、自分で自分の樹皮をむいていくような街路樹に出会う。
写真右:皮のむける樹木(白千層、別名・日本相思)
 まるでへびが脱皮するように、はがれたコルク質の表皮が、幹に巻き付いている。ガイドの女性に言わせると小学生のころ消しゴムが買えないのでその代用に使っていたとか。この物を大切にし使えるものは何でも使おうという合理的節約精神(簡単に言えばケチ精神)は日本(名古屋)に通じるところがあると僕は親近感を感じた。
 敗戦後、小牧空港(現名古屋空港)東1キロに疎開していた僕は、竹やぶに隠されたゼロ戦の操縦席に登り、フロントガラスを割り、そのかけらを盗ってきた。それを学校の机に消しゴムのように擦り付けその何とも表現できないにおいで一時の空腹を避けたものだ。僕ら子供はそれをにおいガラスと呼んでいた。そのことをこの木を見て思い出したのだ。

白千層の樹皮を取る旅客
 この台湾の樹木、マレーシア原産で名を『白千層』と呼び、秋になると白い花をつけ、小鳥が好きな実も付けるという。こうして小鳥を呼んでおいて、この鳥を捕まえ食べれば食料事情の悪い時期なら人々は大いに助かるはずだ。これを植えたのはひょっとして日本人じゃないかと思い尋ねたら、そうらしいということだった。戦争前に日本軍が道を整備したから街路樹として植えたらしい。なんとこの樹木、別名を「日本相思」というそうだ。台湾に住んでいた日本人が祖国を思い付けた名前であろう。
写真左上:白千層の表皮を取る観光客
 この樹皮、トイレットペーパー代りにもなったというが分かる気がする。日本でも敗戦から10年くらいは新聞紙をトイレットペーパーとして使っていたから、柔らかい海綿状の品ならそれよりはいいと思われる。ヤツデやオオバも使われたが、新聞紙よりましだと思った。オオバはその後、飼っていたウサギの餌になるし一石二鳥だった。

絵具を削り取る技法の作品
 もう1件同じような(?)話がある。台北では有名な若い作家のアトリエにも仲間とともに訪問した。彼の作品はなかなかよかった。アフリカにあるようなジャングルを描いているのだが、まずキャンバスに一本の大まかな木を緑や黄色の絵の具で描く。その絵具が乾かないうちに木片で枝の部分の絵具を削り取って枝や幹にするのだ。削り取った後にはキャンバス地の白が現れ、枝の美しい木々の森が表現される。それが枝や幹の雰囲気を実にうまく出している。次にまた一本の新しい木を同じ手法で描き、どんどん木を増やしていく。削り取るところなど人間の表皮を削り取ってくれる温泉金魚や自らの表皮をむいている白千層と似ている。これはアイデアものだ。
写真右上:絵具が乾かないうちに樹木の枝や幹の部分を木片で削り取った作品

画家と記念写真
 この作家は有名人らしく前回紹介した台湾のアートフェアーにも展示され、作品が売れていた。
写真左:作品の前で作者(右から二人目)と記念写真を撮る僕らのメンバー
彼は温泉に行ってこの技法に気付いたのだろうか。
 「温泉へ行って混浴、混浴と言ってばかりいる山彊先生と違いますわね。」と女性画家に言われてしまった。いやいや僕も混浴に気を取られながら、ばっちりアイデアを考えているんですよ。Hのアンテナもアートのアンテナも常に張り巡らせておりますぞ。
 ここで絵を描いている人に一言。絵具は塗るものという常識を覆して、剥がしたり削ったりしてみると、いい作品が生まれるかもしれない。常識を疑うということは、新しい発見につながる。そこからアート(創造)が生まれる。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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