ドラゴンズ監督、公募制にしたら間違いなくファンは増える

ドラゴンズ監督、公募制にしたら間違いなくファンは増える!

 僕は自他ともに認めるドラゴンズファンだった。ところが歩いて15分ほどにあるドーム球場から最近足が遠のいている。以前は名古屋芸術大学のゼミ生を使って、30メートルに及ぶ竜画の応援旗を数回作った。

写真下:球場に出てきた30メートルの龍画の応援旗(僕と名芸大の学生作)
1代目の龍画

 その都度落合監督の顔に似せたものや様々な趣向を凝らしたりした。試合の合間に学生とグランドでその旗を振ったこともある。

写真下:3代目の龍画の全景(名古屋芸術大学体育館にて)
3代目の龍画

金城学院大学のゼミ生には応援旗は負担が多いから5メートル程ののぼりを作って応援に出かけたりもした。僕が個人的に青竜や金龍を描いたものもドームの廊下に今も飾ってある。「見たよ」と言ってくれる教え子もいる。

写真下左:30メートルの龍画に寝そべって喜ぶ学生   右:龍画作成の学生達(名芸大の体育館にて)
龍画に寝そべる学生龍画作成の学生達

写真下左:選手の応援看板を作成する学生達  右:選手の応援似顔絵がドームの前に並ぶ
選手の応援看板を作成する学生達ドーム前に並んだ選手の似顔絵

写真下:金城学院生徒の描いた応援旗、僕の娘の同級生である名大の学生も加わる
金城学院生徒の描いた応援旗

 その頃はあまりにマスコミによく登場したので、記者から「また山田彊一がやっている!」、と言われそうだった。山田ばかりでは記事として新鮮味がない。他にいないかとなる。そんなこともあり僕は以前のように目立って応援しなくなった。でも大きな理由の一つは最近のドラゴンズが面白くないからだ。負けてばかりいるからだけではない。興奮する話題がなく静かになったからだ。
監督や選手が悪いわけではない。親近感があって性格のいい選手ばかりで嫌いではない。落合GMもいろいろ言われていたが、僕は嫌いではない。悪役で話題性があり、おとなしいドラゴンズにはカンフル剤となっていた。
 一度中日新聞でファンを加えた座談会を打ったらどうか。他球団のファン、例えばジャイアンツファンがいてもいい。谷繁さんや強面の落合さんにも部外者だから言いたいことが言えるだろう。
 
谷繁監督小笠原選手
 そんな中、先日、「谷繁現役引退へ!」の文字が中日新聞紙上に踊った。(写真左 中日新聞9月13日)そうだろうな。責任感旺盛な彼のこと、続けることが出来ないのだろうね。いい人で残念だけれど、だからこそ辞めるのだろう、仕方がないね。翌々日の中日新聞には小笠原選手も今期限りで引退と紙面に踊った。(写真右 中日新聞9月15日)彼もいい人で最下位の責任の一端は自分にもあると、追い込まれている監督を見て思ったのだろう。

朝倉選手
そのまた翌日にはドラフト1位で入団した朝倉選手も今季で退団と出ていた。(写真左 中日新聞9月16日)
 彼については東邦高校の時の同級生の女の子が名古屋芸術大学の僕のゼミにいて、二人で応援をしたものだ。時には「投手でありながらドアで指を挟み骨折をした。先生信じられないわね。高校生の時もお天気屋だったから」等々彼の悪口も言っていたが。

 「山彊先生、谷繁選手、選手は引退だけれど監督は続けるわよ!」と叱られそうだ。僕は彼が監督になった時、監督業より選手業を高くかっていた。だから選手をやめれば勝手に監督業もと思った。ここで僕はやはり名古屋は農耕民族の血が色濃く残っているなと再確認した。みんな仲良く平等にことを行い誰かを貶めるようなことがあってはいけない。自分の田が川のそばだからと言って勝手に水を引いてはならない。みんな仲良く「ヨーィドン」でいきましょう、そしてお手てつないでゴールイン、勝敗はなし。このやり方でいけば居心地も良く素晴らしいと考える人もいるだろう。でもヒーローを目指す人にとってはどうだろうか。 

 これに関連して、僕は画家なので以前名古屋地区を中心に行われた美術コンクール、中日展の話をしてみたい。中日展の第1回、第2回展の審査員はこの地の美術を仕切っている親分画家5~6人だった。それに続く中親分画家(主に公募展を仕切っていた)は招待作家(20~30人)として審査はなしに作品が展示された。残り100人くらいがコンクール審査を経て選ばれ、その作品が入選作品として展示された。しかしコンクールに入選した画家はほとんどが親分画家の団体に所属している。こうなるともう誰が大賞になるかほぼ決まってくる。一番大きな公募展に所属していて中日新聞に顔が効く画家の発言力が強くなる。
 第2回展までやってみて、この地の閉鎖的な田舎コンクール展に将来性はないと気付いた新聞社の誰かが、東京や大阪などから地縁のない審査員を呼んだらどうかという提案をした。

第3回中日展大賞作品
 このお陰で、僕は第3回中日展で大賞をとることができた。この地で一匹狼だった僕は晴れて表舞台に出ることになった。1,2回展に出したら入選もしなかったであろう。聞けば審査員全員の満票の大賞であったとのことで、中日の文化部長であった三浦小春さんまでも、東京の審査員とともに僕に票を入れてくれたそうだ。
写真右:第3回中日展で大賞を取った僕の作品
 東京をターゲットに見据えてコンセプチュアルアートを中心に作品作りをしていた30代は中日新聞に1行も僕の紹介が載らなかったが、大賞受賞後は、途端に増えたことを思い出す。芸術の世界は狩猟民族的思考でうまい者が勝ちと僕は信じていた。それがやっとこの地でも始まったように思えた。今、東京新聞が東京で一番面白いと言われるのは、このあたりにルーツがあったのかもしれない。僕は中日新聞に足を向けて寝られない。

 さあそこで、この思考でドラゴンズを考えてみた。まず監督を公募制にしてみたらどうだろうか。ドラゴンズをやめた選手、そろそろ引退を考えている山本投手や引退宣言した和田一浩選手、他球団の選手でもいい。イチローのお父さんぐらいが出てくれるとまたまたニュースになって盛り上がる。自分で監督をやりたいと申し出た人には、勝つためにどうすればいいかという考え、アイデアを書いてもらう。例えば、「20代までの選手を8割にしてほしい。そうすれば二年で1位か2位になる。ならなかったら監督を辞任する」等々と。この様な立候補者を幾人も出し、それをファンが選ぶ。選ぶ側のファンについても例えば、年間10回以上ドーム球場に来た者に投票権を与える等いろいろ考慮してみてはどうだろう。こうすれば自分も野球に参加している気分になって、皆競って球球場へより足を運ぶことになる。これらのことでゲームに関係なく中日スポーツ紙はオフでもより売れることになる。下方に向かっている新聞業界を救うのもこれらの市民参加であろう。
 さあ来年はドラゴンズがどうなるか楽しみだ。僕も監督が選べるなら20回でも30回でもドームに出掛けるぞ。そして自分の選んだ監督を応援するぞ!



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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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