外国人なのに日本の妖怪話を書いた小泉八雲

外国人なのに日本の妖怪話を書いた小泉八雲

ラフカディオ・ハーン
 この数日、まもなく出版する拙著『妖怪イン・二ユーヨーク』の校正に追われている。そんな中、先日テレビ(地上波とBS)で小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)(写真右)を取り上げていた。彼は外国人でありながら日本の妖怪話を書いた『怪談』で有名だ。僕は日本人でニューヨークの妖怪を取り上げているから気になって見ることにした。
 小泉八雲はアイルランド人の父とギリシャ人の母から生まれている。日本にやって来たのは1890年、アメリカの新聞社の記者としてだ。彼はすぐ記者を辞し、島根県、松江の中学校に英語教師として赴任している。

八雲と妻セツ
 その後数年で『知られざる日本の面影』を書き上げ、またその数年後には妻セツの語る日本や地域に伝わる不可思議な話を聞いて『怪談』(怪奇文学作品集)まで仕上げている。
写真左:八雲と妻セツ
 この中にはあの日本中で知らない人のいない『耳なし芳一』(和尚が盲目の琵琶法師、芳一の耳にだけ経文を書き忘れたため、落ち武者幽霊に耳だけ削がれてしまう話)や僕の出版した先回の本『名古屋力・妖怪篇』の中でも取り上げた『水飴を買う女』(埋められた墓の中で赤ん坊を生んだ女幽霊が、その子のために水飴を墓から這い出して買いに来る話)が収められている。これ等の話は外国人が書いたとは思えないほどに面白く仕上がっている。


日本趣味:おいらん
 僕はここでふと思った。彼が外国人だったからこのように日本人を越えた内容の話が描けたのではないかと。日本人にはまず気が付かないことを、外国人であるからこそ、新鮮な驚きとしてこれらの話を聞き、文ができたのではないかと言うことを。
 外国人だからこそ初めて見るものに驚きを感じ、そこから日本の真の魅力を探ることが出来るということはゴッホやモネにも当てはまる。ゴッホは当時日本から伝わった浮世絵に感化され、それが彼の作風にまで影響を与えている。彼の作品の中にはそのまま浮世絵を写し取ったりしたものがけっこうある。
写真右:ゴッホ作 日本趣味:おいらん 

 例のゴーギャンとの耳切事件では、耳を包帯でまいた自画像を描きその背景に浮世絵を何故か描きこんでいる。精神的に追い込まれた自分を、この浮世絵が救ったとでも言っているようだ。浮世絵は彼の代表作である『タンギー爺さん』にも描きこまれている。

写真下左:耳を切った自画像   写真下右:タンギー爺さん
耳を切った自画像 タンギー爺さん

ラ・ジャポネーズ
 浮世絵の影響はモネの作品の中にもある。西洋の可愛い娘が日本の武者絵の柄を描きこんだ着物を着て踊っているもので、その背景の壁には無数の団扇が描かれている作品だ。浮世絵を見慣れた日本人はその面白さに気付かなくなっているが、初めて見る彼らにはそのすごさが分かったのだ。
写真右:モネ作 ラ・ジャポネーズ

 そう考えると僕が今校正をしている『妖怪イン・ニューヨーク』も、彼らから見れば外国人であり、また妖怪の本家である日本人が書くことによって、アメリカ人とは違った角度から新しい発見ができるのではないかと、そんなことを期待している。
この2年間僕は、ニューヨークに長く住んでいたり、滞在したりしているたくさんの人たちに取材をしてきた。その後これらの人たちにあらましを読んでもらって感想を求めた。ほとんどの人が「良く取材してあり、すごい探究心と想像力には脱帽だ。私達にはそこまで思いつかなかった」と言ってくれた。

 考えてみると浮世絵の良さも見つけたのは外国人だった。輸出用の陶器が割れないように緩衝材として回りに丸めて詰め込んだのが浮世絵だった。日本人にとって見慣れた浮世絵は、現在の週刊誌のグラビア写真と同様に使い捨てのものだった。それが西洋でものすごい評価を受け、逆に日本でもそれに気付き浮世絵ブームの再評価につながっている。僕の妖怪本も日本では当たり前と考えられている妖怪に関する見方が、アメリカ人にとっては新鮮な発見ととらえられると嬉しい。さらに僕の今回の本では、妖怪の出現する場所を日本からアメリカに移したので、それでアメリカ人が親近感を持ってくれたらさらに嬉しい。

 ところで僕がこういった将来の目標とか夢を語るような話をすると「山彊さん、そうなったとしてもあなたが死んでからのことだよ。死んでからいくら評価が上がっても仕方ないでしょう?」とよく言われる。僕はそうは思わない。人間には2種類の人生に対する考え方があると思う。一つは肉体が存在する間、すなわち生前だけを重視する生き方、もう一つは亡くなった後、もちろん肉体は滅びているが、その名前は生き続けるような生き方だ。「死んでからのことなんて、いくら名声を得ても本人には分からないし、何のプラスにもならないよ」とも言われる。僕はそうは思わない。現世において自分が死ぬ瞬間まで、自分の名がいずれ残って語り継がれるようになろうと思って努力していれば、死が迎えに来るまでの生きがいになる。もう人生の目標は達したと、お寺参りをしたりお酒で時間を消費するような死を待つだけの生き方だけはしたくない。死ぬ瞬間まで自分の目標から逃げない日々を過ごしたいものだ。

 最近は絵描きの友人から「あなたは一般的には絵描きの最後の目標と言われている美術館に作品を所蔵してもらうことがほぼかない、今後何を目指して作品を創り続けるのか?」と質問された。「僕にとっては生きていくこと自体が芸術なんだよ。妖怪話もその一環だよ」と答えるようにしている。この本ができたら来年はこの妖怪絵作品の個展をニューヨークで開きたいし、日本の平成の妖怪画集も出したい。またロシアには観光と取材目的で1度しか行っていないから、当地でも美術展をやりに行きたい。その会場はサンクトペテルブルグにしたい。そう「エルミタ―ジュ美術館」でだ。「とんでもない、そんなことできるの?」と思われるかもしれないが、しかし可能かもしれない。だめと思ってもトライすることだ。僕の周辺には僕と同じように新しいこと、新しい旅を創り出そうとしている有能なツアーコンダクターもいる。エルミタージュ美術館での展覧会に付き合ってもいい人、この2,3か月のうちに僕に連絡をとってほしいと思っている。

 
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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