「幽霊・妖怪画大全集」展 名古屋市博物館

「幽霊・妖怪画大全集」展 名古屋市博物館
精霊や神様が妖怪になった

 妖怪通の美術家から連絡が入った。「山彊先生の妖怪本のすごさが分かりました。最初は何でもかんでも妖怪にしてしまっていると思いましたが、それで正解だったのですね。先日梅原猛さんが水木しげるの妖怪について〈水木しげるの妖怪は、日本の精霊や神様を妖怪という形で現したのだ〉と言っていたのを聞いて、山彊先生と同じことを言っているとビックリしました」という内容だった。

幽霊・妖怪画大全集展パンフ表
 5月21日〜7月13日に名古屋市博物館で『幽霊・妖怪画大全集』という展覧会(写真右:展覧会パンフ表)が開催されるが、それに合わせて6月14日(土)に同館内で『名古屋の妖怪』というタイトルの僕の講演がある。僕が気になるのは、僕の妖怪に関する話を聞いたり、本を読んだりした人が抱く感想が「何でも妖怪にしてしまっている。それでいいのか」という疑問が起きるのではないかということだ。特に長年にわたって幽霊や妖怪研究をしている人には、どこからが妖怪でどこからが幽霊かと言った明快な線引きが欲しいようだ。だから今度の講演でそういった質問を受けた場合、いかに答えようかと考えていたところだったので、上記の美術家からのメールは、大いにうれしかった。

 僕が常々考え、本にも書いているのは、妖怪はいつでもだれでも創ることが可能だということだ。芸術作品と同じなのだ。ある作家が作品を創り、それを芸術だと考える。そしてそれを見た人が確かにすばらしい芸術だと認め、それが広がって多くの人が作品を見て素晴らしいと感じたとする。その人の数が多ければ多いだけその作品は芸術として認められていく。どれだけ世の中の人に共感を抱かせるかで芸術度が決まる。妖怪も同様で、たくさんの人の共感を得れば歴史に残り認知されていくものだと僕は考えている。

幽霊・妖怪画大全集展パンフ裏写真左:幽霊・妖怪画大全集展パンフ裏
 多くの妖怪研究者は書籍等に残った妖怪の紹介や意義付けに精を出すが、それに対して僕はこれだって本来妖怪として認められてもいいのではないか、というものを探り出し、先年『名古屋力・妖怪篇』というタイトルの本としてまとめた。このやりかたは‘創造’を最重要視する芸術家なら当然とるべき方法だろうと思っている。
 この本の中で僕は、尾張の殿様である徳川宗春や、大須の猫神様や、ういろうまでも妖怪にしてしまっているが、僕の考える妖怪の定義ならば全然問題が無いわけだとも思っている。

 また妖怪と人間の関係も面白いものがある。妖怪が人を食べることはあっても、人が妖怪を食べることはない。福島に残る「鬼婆」は包丁を研いで人を殺し食べたと言うし、「山姥」はみすぼらしい格好で現れ、村里の子をさらって食べてしまうと言うし、「カワウソ」は美しい着物を着た女に化け若者を食べると言うし、東北地方に住む「手長足長」は日本海を通る船を襲い食べてしまうという。そこで逆に人間が妖怪を食べてしまう話がないか、全国を調べているが今のところ該当する話はない。食べてもまずそうだし、満腹にならない感じがするし、妖怪毒に当たり死んでしまうかもしれない。

 お隣の中国には妖怪ではないが虎を食べる習慣があるらしい。虎を食べると虎並の強さを得られるとか。となると、もし人が妖怪を食べたら妖怪並のチカラを得ることになる。名古屋には小麦粉とさつま芋でできた鬼饅頭がある。芋と小麦粉のふかし饅頭はどこでもありそうだがこれを鬼饅頭と呼ぶのはこの地だけらしい。鬼は妖怪だから、名古屋人はこの鬼饅頭を食べることで鬼並みのチカラを得ることを望んでいるのかもしれない。また清須にあるお酒「鬼殺し」も同様で、鬼並みのチカラを求めて飲んでいるのかもしれない。こんなふうに僕の妖怪話はどんどん広がっていく。
 今は数年後本として出すべく、中国の妖怪をまとめているが、中国の文献だけに頼らず、知り合いの中国人に自分の祖父母たちに聞いた話を拾っているからまとめるのに時間がかかりそうだ。

梅原猛
 ところで冒頭に梅原猛氏の話を出したが、数年前梅原猛氏(写真右)と大阪の著名人たち(「日本沈没」で知られる小松左京、世界的な建築家の安藤忠雄、美術史家としての重鎮の木村重信)のシンポジュームが大阪であり、僕はそれを聞きに行ったことがある。ちょうど大阪の美術館で個展をしていた時で、館長が僕と木村重信氏が知り合いなのを知っていてこの情報を教えてくれたためである。
 彼らの話は実におもしろい。「このちびが‥」「この馬鹿が・・」と平気で言い合っている。観衆にとって話は面白くあるべきだし、有意義でなければならない、居眠りをさせてはいけないという気持ちでしゃべっているのが伝わってきた。さすが吉本喜劇の大阪だ。それに比べると名古屋人の講演は全然面白くない。面白く話すのは品の悪い、レベルの低いお笑い芸人だと思い込んででもいるようだ。そして聴衆の半数近くが眠っていることだってよくある。大学の授業もそんなものが多いが、一度大阪方面の講演にでも行って反省してほしい。僕は自分の授業や講演は一人の学生、聴衆たりとも眠らせないという信念でいつも必死に講義をしている。
 梅原氏らのシンポジュームが終わった後、偶然ロビーで30分ほど梅原氏と座り込んで話をする機会を得た。彼は初対面の僕にも非常に気さくで、名古屋のことや東海中学(梅原氏の出身校であり、僕の家のすぐ近く)のことなどにも話しがおよび、僕は彼の人柄の良さを感じたものだった。

 ところで僕はよく名古屋の悪口を書くが、先日もオアシス広場で元愛知県知事の神田さんにあった折、「山田さんはあいちトリエンナーレの折など辛口批評を新聞等に書いていたけど、愛情のある叱咤激励なんだよね」と言われた。そういうふうにとって頂いていれば幸いだ。
 そんなわけで講演でも名古屋の悪口が飛び出るかもしれないし、山彊独特の妖怪話が出てくるかもしれない。今は講演に向けて面白く新しいネタはないか探している。名古屋市博物館での講演は、一般の幅広い層の皆さんが来てくださると思うので、聞いて楽しかった、有意義だったと思ってもらえるような話がしたいと思っている。
 また来週からニューヨークへ美術展のために出かけるが、合間をぬって、かの地でも妖怪を見つけ出したいと思っている。講演ではニューヨークの妖怪が見つかったらそれについても語りたいと考えている。



例によって「平成名古屋百鬼夜行」の妖怪画より二点紹介させていただく。

妖怪「宗春キセル」

㊳ 妖怪「宗春キセル」

 あの宗春は街中を牛にひかせた乗り物で、2メートルに及ぶキセルをふかしながら建中寺まで行ったという。キセルは朱色に塗られていたとか。キセルを蛇のように描いて妖怪にしてみた。江戸幕府から蟄居を命じられ徳川園(旧大曽根屋敷)の小山の上から僕の家がある沼地方面を見ながら短いパイプをふかし運命を嘆いたという。




妖怪「ういろう」


㊴ 妖怪「ういろう」

 安くて量が多い大須ういろう。お米に多量の水を入れて作ってある。名古発のケチ文化を代表するお化けとして描いてみた。大須ういろうの社長の山田昇平(故)さんには僕の著書『ナゴ・ハラ』の帯を書いてもらっている。この本を出してくれた東京の出版社が「名古屋は金色にすれば皆買ってくれるから」と言ったので、本の表紙は金色だ。その御利益かどうか、この本は名古屋地区ではベストセラーの2位にまでなった。




『ナゴ・ハラ』表紙
写真:ナゴ・ハラ表紙
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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