中国や名古屋には、何故妖怪絵が少ない?

中国や名古屋には、何故妖怪絵が少ない?

 我が家には妻が外国人に日本語を教えている関係で、いろんな国の人がやってくる。近頃は中国人も多い。中国人というと最近では引いてしまう日本人も多いが、我が家に来る中国人女性はフレンドリーだ。彼女は中国で高校を終えた後、アメリカの大学に留学しているので考え方も大分アメリカナイズされていることもある。その彼女に「中国は名古屋と同じで妖怪絵が少ないが何故だろう。」と聞いてみると、少し考えてから「妖怪話は結構あるのですが、現実的な中国人は金にもならない話の版画本、中でも妖怪本なんて買おうとしないのでは」と答えた。
 
 江戸の町民は「宵越しの金は持たない」と言われるように面白い春画本や妖怪本が出ると気軽に買ってしまう。それを狙って絵描きはどんどん絵を描いた。結局それが江戸文化の発展につながっていったと思われる。名古屋人はそんな無駄買いはしない。冠婚葬祭等晴れの時=見栄を張るべき時に使うため貯め込んでおく。見栄の張り甲斐があるのは人が見てすぐわかる家、屋敷や衣装(名古屋ではブランド物がよく売れる)でそれにはお金をつぎ込むが、家の中で食べる食事は質素にした。衣食住は生きるために必要なものだが、それでもそんなありさまだから、ましてや文化のような目に見えないものにはお金をかけないのが名古屋の昔からのスタイルだ。

第31回世界卓球選手権大会 ピンポン外交
写真左:第31回世界卓球選手権大会(中日新聞より) 写真右:ピンポン外交40周年記念会 
 ところが今回僕が名古屋版の妖怪本と妖怪絵を描いたら、結構好評だったので、次には中国版も描きたいと思っている。うまくいったら以前名古屋で催された国際卓球親善試合で起こったような『ピンポン外交』ならぬ『妖怪外交』ができるかもしれぬ。

 「中国人にとって妖怪を実際に感じるときはあるのですか」と、彼女に聞いてみた。日本では人間が恨みを持って亡くなると幽霊になって恨みをはらしたりするが、中国ではあまりないそうだ。けれど死者が化ける幽霊もどきはあるという。それを鬼というらしい。日常でその鬼を意識するのは、親から何かの折に言われる鬼封じの話だとか。
 例えば、「夜に名を呼んではいけない。鬼に名を覚えられ地獄に連れていかれるかもしれないから。」「御飯に箸を刺してはいけない。鬼を呼び込んでしまうから。」「夜、口笛を吹いてはいけない。鬼に自分の存在を知られてしまうから。」「仏壇や墓のお供え物は食べてはいけない。鬼が自分の食べ物を盗んだと思ってしまうから。」また「夜に服を外に干してはいけない。鬼が借りて着てしまうから」等々。こんなことを言われるたびに鬼を意識するとのことだ。
山海経動物記
 日本にも同じような話がいっぱいある。それらは中国から伝わったものなのだろうか。中国の妖怪話は日本のそれと似ているものもあるが、広い国土と長い歴史で多種多様な妖怪がいるようだ。たくさんの中国人にインタビューして庶民の知る妖怪話も聞き出したい。そんなわけで今度の本は少し時間がかかりそうだ。中国の妖怪話を調べると中国人の思考が分かるかもしれない。そして中国人との付き合い方も分かってくるのではないか。

 ※以上は依頼された新聞原稿。文字数の都合で書けなかった分を追加させていただく。
手長足長
 名古屋と中国には妖怪絵が少ないというタイトルに話を戻そう。中国にある妖怪絵は山海経ぐらいと言われている。
写真右上:山海経動物記表紙
その絵も思考が無くおもむきもない。誰でもが考え付く作風だ。清少納言の枕草子の中にも清涼殿の東北(丑寅)の角にある障子に手長足長が描かれていると出てくるので結構日本でもおなじみだ。清少納言も憎たらしい絵だと言っている。
写真右:日本における手長足長の妖怪を描いた江戸時代の浮世絵 河鍋暁斎

 では名古屋はどうかというと、前述したように妖怪絵に限らず文化的なものにあまりお金をかけない。全国的に名が知られている画家の絵は応接間にでも飾っておくと人が来たときに見栄を張れるので買う人がいるが、美術そのものの価値を知って買う人はやはり東京や大阪に比べて少ないようだ。
 それについて思いつくことを書かせていただく。名古屋で展覧会を開き見に来てもらうと、お礼にコーヒーチケットを配る作家が多い。また個展であっても打ち上げに揃って飲みに行くと、まず個展を催した作家が費用を持つ。これが名古屋の常識だ。ところが大阪で僕が催した個展の時はそうではなかった。難波の朝日放送ギャラリーで個展をした折、初日の終わった6時、会場に30人ほどいた大阪の作家たちが「よし、お祝いの飲み会をやろう」と提案した。その時大したお金を持ち合わせていなかった僕は困ったなと思った。30人分持つということは少なくとも10万円以上かかる。名古屋ではその費用はすべて作家持ち。名古屋人はわざわざ時間と交通費を使って見に来てやったのだから、見てもらったほうが払うのが当然と思っている。この精神だから妖怪版画などわざわざ買って見るはずがない。
 そんな心配の中、店では大阪の作家たちが大声で注文を出す。「トロ10皿」と言われた時はお金があるだろうかとポケットの財布に自然に手がいった。自分の持っているお金では足りないのではないかと思うと、喉に酒が入っていかない。さあ針の筵の2時間が終わり僕は会計に立とうとした。すると仕切っている男が「あんたは出さなくていい。いい作品を見せてもらったのだから我々が払うのは当然だ」と言い、皆から4000円ずつ集め出した。そしておつりが出ると「はいご苦労様でした」と僕にくれるではないか。僕はもう驚きと感謝の気持ちで大感激だった。「大阪人はがめつく、沖縄や福岡と並んで生活保護を申請する者が名古屋の5倍もいる」と聞いていたので彼らのことをそう思っていたが、完全に反省させられた。この例を見ても大阪人は名古屋と違って文化を許容する心が大きいといえるのではないかと思う。
 さてもう一つ名古屋が文化にお金を払わない事例がある。今新聞の夕刊は文化的記事が多くなっている。最近のデータでは、大阪や東京は朝刊にたいして90パーセントの者が夕刊をとっている。ところが名古屋圏は50パーセントにも満たない。どうしてなのか。それは夕刊にスーパー等の安売りチラシが入らないからだ。もちろん現在はインターネットやスマホで新聞は読めるし、スーパーの広告だってすべて見ることができる。しかも価格の比較検討までしてくれる。でも僕が思うにまだ今のところそれは若者の話で、多くのおじさんおばさんは新聞やチラシで情報を得ているのではないだろうか。いずれにせよ名古屋人が文化記事の多い夕刊をあまりとらないというのは僕にはちょっとショックだ。


さて例によって名古屋百鬼夜行の妖怪から2つをまた紹介したい。

⑳ 妖怪『名古屋おばさん98(ナインティエイト)』
名古屋おばさん98

 今回の妖怪はスーパーのチラシに因んで、『名古屋おばさん98(ナインティエイト)』を載せることにした。チラシを見ていると同じ数字が並ぶ。98円とか198円、980円という値段だ。名古屋のおばさんはこの数字に弱い。98という数字はもう妖怪並になっているといっていい。紫色の好きなおばさんたちは妖怪98に乗り移られて、今日もせっせとスーパーへ出掛けるのだ。



㉑ 妖怪『名古屋嬢』

妖怪名古屋嬢




 名古屋おばさんが出たら当然全国的に知られた『名古屋嬢』を挙げねばならない。長い髪をカールしてブランドバッグをもってさっそうと歩く。一見古風で優しそうだが結婚すると「ブランド品を買って、買って」とヘビのように旦那を締め上げる。そんなイラストにしてみた。

スポンサーサイト
カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR