第3回Dアートビエンナーレ展

「第3回Dアートビエンナーレ展」始まる

主催 :公益財団法人 堀科学芸術振興財団
期間 :平成25年10月19日(土)〜10月27日(日)
場所 :名古屋市中区錦3‐22‐20 ダイテックサカエビル(旧丸善前)
     6階クリエイトホール
入場料:無料

Dアートビエンナーレパンフ
 この美術コンクール展は大賞が500万円と、今の時代考えられない賞金だ。しかも出品料はただ。まず始めは写真審査なので、出品する作品を写真撮影し提出する。そこで入選が決まる。入選が決まるとまず10万円がもらえて、その後現物を持ち込んで賞が決まる。こんないい条件のコンクールはこれまでになかった。ところが僕が思うほど若者は出品していないように思われる。

 僕の若い頃は出品する作品自体を最初から送らねばならず、その費用は3〜5万円した。当時は月給が10万円もなく、出すこと自体が至難の業だった。それでも日本中にある大きなコンクールに僕はチャレンジしていた。競争率も「Dアートビエンナーレ」より高く10倍くらいはあった。その後「大阪トリエンナーレ」が日本の美術コンクール史上で初の写真審査になると、なんと100倍以上の激戦になった。しかも海外からの出品も受け付けたのでレベルもグーンと上がった。でもそんなことは気にならなかった。写真審査の手軽さに僕は感激してすぐに出品した。結果は難関を突破し、賞までもらえた。やってみることだ。宝くじよりはるかにいい確率だし、自分の作品での勝負だから宝くじのように全くの運まかせでないところが断然いい。もし落ちたら自分の実力が足りなかったからだと今後の反省材料となる。

会場風景1 写真左:会場風景
 今の若者はなぜこんなに出品しないのか。僕が芸大で教えていた頃、学生に「こんないいコンクールがあるが、出してみないか」と勧めるとまず競争率を聞いてくる。「~倍だ」と答えると、もうやる気を無くする。「僕が指摘したところを直せばまず入選するよ」と言って強引に出させたことがよくある。少子化で甘やかされて育てられ、幼い頃からチャレンジ精神になれていないのか。大学の先生もコンクールに出せと学生に勧めない。先生が勧めないのは通す自信がないからなのか。学生に就職の世話も何もしない先生たち。せめてコンクールの情報ぐらい流して出させたらどうか。
 今回500万円もらった作家は飛び上がって喜び、妻にその場で連絡を入れていた。こんなふうに教え子の喜ぶ顔を見たくないのかと僕は思ってしまう。賞をもらった作家に「どう使うの?」と尋ねると、「生活費の足しにする」との答えだった。この返事も今らしいと思った。

関根伸夫作品
 それで思い出すのは、僕もコンクールにチャレンジしていた20代の中頃、賞金王といわれた関根伸夫があるコンクールで大賞をとり100万円の賞金をもらった。当時の100万円は今の1000万円くらいかもしれない。その夜彼は100人程の仲間を連れ、新宿の飲み屋へ連れ込み、一晩で全額を使ったというエピソードがあった。貧乏でも皆が燃えていた時代だったような気がする。
写真右:関根伸夫が100万円の賞金をもらったウレタンの立体造形作品。この頃は作品の評価がはっきりしていて、コンクールに出品した作家全員がなるほどこれが大賞作品かと納得できたものだ。この写真を見て皆さんも分かると思う。僕もこの作品を見て「やられたー」と思ったものだ。

 現在はお金を出し、コンクールをするスポンサーも日本中からいなくなってしまった。文化芸術の振興よりお金儲けなのだ。そんな中、保守的と言われ、芸術にそのような金をあまり出さない名古屋で、堀科学芸術財団がこれだけのコンクールをすることはすごいことだと思う。1回目、2回目のDアートビエンナーレより今回は賞金がグンと上がった。今回の噂が伝わって、次回はものすごい応募になることを期待している。この地の3芸大の教授も次回はそのことに気が付いて学生たちに宣伝してくれるといいのだが。ただちょっと心配なのは、サラリーマン化して自分のことしか考えない教授達は「なぜ先生がそんなことまでしなければならないの?」と言うかもしれない。
 僕がこんなことを危惧するのは、この地のある芸大の教授が、Dアートビエンナーレに出品するよう学生に勧めてみてはどうかという問いに、「なぜ我々が企業の宣伝のお先棒を担ぐのか」と答えたというのを聞いたからだ。とんでもない思い込みだ。堀科学芸術財団の親会社のダイテックホールデングスはこのコンクールによって、自社を宣伝する必要はこれっぽっちもない。堀会長が個人的にアートを助成しようと思っての行為なのだ。先生は学生達のことを第一に考え行動してほしいものだ。

会場風景2 写真左:会場風景
 さて今回の出品作だが、ある意味でみな面白い。これまで我々が見てきたアートは、作品の良し悪しはあるにせよ、完成されてこれ以上手の加えようのない作品が多かった。例えば公募展などで見られる作品は実にしっかり描きこんである。しかし今回のDアート作品はほとんどすべての作品が途中で終わったような未完成作品に見えて一瞬違和感を覚える。しかしその違和感が、徐々に不思議な魅力に変わり、中途半端であるがゆえに今後の展開がどうなるだろうか想像する楽しみに変わってゆく。発展途上の魅力が現代の美術と言えるのかもしれない。最近の芸術は印象派以後の創造のアートが行き詰まり、見方が一定化せず評価は難しくなった。ある意味、誰が賞を取ってもおかしくないともいえる作品群だ。
 これらの作品は最近中国の現代美術の拠点である「北京798芸術区」やニューヨークで見たような作品に通じるところがあるし、東京で行われ若い芸術家の登竜門と称されるシェル美術賞の出品作品とも似ている。名古屋人の価値観である「真似でも上手であればいい」といった価値観はここでは通用しない。見られるとビックリされるだろう。下手でも自分独自のものが出ていればそれでいいのだ。一度ご覧になって名古屋でない雰囲気を感じて欲しい。


東山動物園にて
写真右:中学卒業直後の春休み明和高校へ入学した記念に仲間たちと東山動物園に行った記念写真。写真右下が僕。この遠足を企画し、撮影したのが「Dアート」を企画したダイテックの堀会長。この頃からあまり出たがらず撮影にまわって、当時プリント代は高かったがただで我々に配ってくれた。この「Dアート」でも、表に出たがらない。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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