尾張徳川家19代当主の思い出

尾張徳川家19代当主の思い出

徳川園黒門
 つい先日のCBCクラブ(中部日本放送がこの地の文化人のために作っている会)の会合があり、そこで現在の尾張徳川家の当主、徳川義崇氏と話す機会があった。写真右:徳川美術館正門絵葉書き(僕の版画作品で2年前まで売店で売られていた)
 僕は大学3年の折、愛知県美術館で個展を開く際、彼の祖父(?) 義親氏にお世話になったのでお礼を述べた。「おじいさんの義親さんには大変お世話になりました」と話すと「義親は私の曽祖父です」と言われた。義崇氏は22代目で現在52歳。長身で品のいい殿さまだ。
写真下:22代尾張徳川家当主徳川義崇氏
徳川義崇
 話をしていたら人形作家の夢童由里子さんが「卑猥系の山田さんには気をつけなくちゃー、殿様」と冗談を言って割り込んできた。「だったらピンクの名札に名前を書いてもらわなくては」と殿様が言い返していた。ジョークの分かる紳士でもある。
 19代の義親氏は在位が1908~1976年と長かったが、20代、21代は10数年間と在位が比較的短いので孫に当たると思っていたら曾孫だった訳だ。けれど4代に渡っての尾張徳川の当主と同じ年月を過ごしてきたということは、それだけ僕も年を取ったということだ。これはある意味恐怖だ。生きている時間がすごく少なくなった証しでもある。来月には妖怪本を出し、もしヒットしたら続編も今もう用意しているし、それ以外に名古屋力・女子大生編(これはしんどいから、もう一人書く大学の先生がいる)や長年調べている雪舟論も書き上げ出さねばならないと思っているが、そんな時間が僕に残されているのかと言う不安にかられる。それに絵の方も妖怪の『名古屋百鬼夜行』と、その妖怪達の亡きがらの絵も大作にして残す予定でいる。妖怪の亡きがらなんて誰も描いてないから闘志が湧く。

初個展パンフ
 ところで大学2年生(19歳)当時の僕を19代の義親氏に紹介したのは、彼の東京の屋敷で長いこと書生をしていた東大生の叔父であった。義親氏(東大卒)はその頃愛知県美術館の館長をしていたので、叔父は絵を始めて1年目の僕を彼に紹介してくれたのだ。連れられて行って話をしているうちに「この美術館で個展をしてはどうか」と義親氏から勧められた。
 その結果話がまとまり、僕は大学3年の夏休みを使って愛知県美術館で個展を開くことになった。
写真右:僕の個展案内状

 ベテランの画家で同じような個展をする者も少々いたが、20歳の学生は初めてだったようだ。今時の画学生は大学生のうちは遊んでいるような感じだが、僕等の頃は、画学生の全てが勝負は30歳までだという雰囲気に満ち満ちていた。
写真下:愛知県美術館の僕の個展会場前で
個展会場前で
写真下;個展会場風景
個展会場風景

写真左下:毎日の新聞紹介  写真右下:中日の新聞紹介
毎日新聞
中日新聞

 そのこともあり僕は19歳から東京の大きな公募展である『春陽展』に出品し、23歳の折りに受賞して受賞パーテーに参加した。ところがその光景を見て僕は驚いた。中央の雛壇には重鎮画家が並び、それに続いて上席から僕のいる末席までほぼ年齢順にずらりと画家が並んでいた。30歳までにこれ等保守的思考で固まった先輩画家達の上に立つことは不可能と判断した僕は、すぐ春陽会を脱退し、個人で東京等で発表するようになった。そんなわけで義親氏は僕の画家としての出発点の頃に出会った心の広い殿様として、青春の記憶の中に鮮明に残っている。

 徳川美術館のある徳川園は僕の小学校からの遊び場所で、どの木に蝉が多くとまるか、こがね虫はどうか、また食べられる椎のみの木はどれか等全て把握していた。美術館の外側から窓を通して覗ける部屋には、義親氏がバリ島等へ行って集めたらしいお面類が所狭しと並んでいて、垣根を越えこっそり盗み見るおどおど感は今でもはっきりと思い出す。今僕のアトリエは多数のお面が飾られ、この徳川美術館の部屋と同じような雰囲気になっている。

 来月出版する『名古屋力・妖怪編』は、この徳川園、あるいは尾張徳川家が大いに関係している。徳川園正門横の井戸に住む妖怪、すぐ前の胞衣塚に出る(?)といわれる光友の母の幽霊等、僕がこの本を書き進めることができたのは徳川家のおかげである。明治維新前後僕の曽祖父等この地の庄屋は、尾張徳川家の持つ沼地を拝領し、埋め立て宅地として売ったり借家を建てたりしてしまった。現在の我が家は江戸時代の徳川家大曽根屋敷の敷地の一部でもある。
 また現在は妻が徳川美術館にボランティアとして出掛けている。彼女は歴史が大好きで英語やフランス語、中国語にも精通しているから、美術館のお役に立てたら幸いである。


※先回のブログを読んだ人たちから「ノビルなんてもうずっと前から知っていた。みそ汁の具にしたり、炒めたりして食べていた」と言われた。彼等や彼女等の家族はみな元気で子だくさんだ。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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