妖怪屋敷 第30弾 7本足蛸とケサランパサラン

妖怪屋敷 第30弾
墓を暴き遺体を食べる7本足の蛸
枇杷の木の妖怪


多度神社と一目連神社
 一つ目小僧とか1本足の傘(からかさ)お化け、この近くでは三重県多度神宮の一目連(一目龍)等、本来あるべき姿より何か1つ足りないと、普通だったものが逆に力を得て、妖怪に変身するものらしい。
写真右:桑名の多度神社にある「一目連神社」、左が多度神社で右が一目連神社

 そんな1つ足りない種類の妖怪として、伊勢の飯野郡には足が一本足りない7本足の蛸の民話がある。この民話に登場する7本足の蛸たちは夜更けになると海から陸にあがって遺体を埋めたばかりの墓を荒らし、その死体を食べてしまう。墓を荒らすのは1mくらいの蛸で強くて知恵があり退治するのは大変だという。この妖怪蛸たちは7本の足の内、2本は本来の歩く役目に使い、残りの5本を腕代わりにして屍骸を運んだりするとか。2本の足も動きが早く、人の気配にも敏感でまず捕まえられない。

7本足の蛸
 そんな手ごわい蛸にも唯一退治方法がある。この蛸は墓を荒らした後、必ず同じ道を通り帰るのだそうだ。だから往きに蛸が通った道に、籾ヌカをひきつめておく。そうすると蛸は足を取られて動けない。そこを枇杷の木の棒でたたく。枇杷の木以外では死なないとのことだ。
写真左:『想山著聞奇集』より墓を暴く七足蛸
 そうやって捕まえたとしても漁師達は人間の死体を食べる蛸なんか気持ち悪く、自分達は食べず、遠くへ持っていき売ってしまったそうだ。この蛸を何も知らずに普通の蛸だと思って食べた人はどうなったのだろう。そんなことを考えながらもう1つ僕はふと疑問を感じた。何故7本足の蛸は枇杷の木でなければ死なないのだろう?何か枇杷の木でなければならない必然があるはずだ。枇杷の木には蛸妖怪を退治する何かがあるのでは?あれこれ考えているうち、妖怪を退治できるのは妖怪ではないかという考えに行きついた。そこでひょっとして枇杷の木にも妖怪に関係するものがあるのではと調べてみた。

ケサランパサラン なんとやはりこの木には「枇杷の木の精」なる妖怪がいて、その名前を「ケサランパサラン」と呼ぶそうだ。枇杷の木の周りでよく見かけることが出来るという。この動物?植物?は江戸時代から人々の評判になっていたようだ。現代でも、つい1970年代に皆さんご存じかもしれないが、マスコミで騒がれた。タンポポの綿毛や動物の白い産毛が抜けて丸まったようにも見える妖怪もどきのモノだ。写真右:枇杷の木の精(ケサランパサラン)
 当時はUFOも騒がれていて、この「枇杷の木の精」も未確認生物である小さな妖怪と呼ばれていた。枇杷の木のルーツは中国らしく、遣唐使と一緒に日本にやってきたとも言われる。枇杷の木の精は『袈裟羅婆娑羅』(ケサラバサラ)とも書くそうだ。

 この『枇杷の木の精』を持っていると幸せがやってくると言う。ただし年2回以上見たり持っていることを他人に告げるとその効果は亡くなると言われている。だから1970年以後こっそり隠し持っていて、幸せに浸っている人もいるかもしれぬ。これは桐の箱に入れて育てることもできるという。ただし箱に穴をあけておかないと窒息死してしまうとか。食べ物としておしろいも与えなくてはならない。これは科学的にもまだ解明されていない動?植?物と言われている。

 さて枇杷は、葉や実にも妖怪的力があるらしい。『大薬王樹』の葉と言われ、これを煎じて飲むと濁った血液が清くなり、体内のすべての臓器も健全になり、気持ちまでおおらかになると言われる。種も葉に劣らず肝硬変や糖尿病など難病に効くとか。まあ効用度、妖怪樹木ナンバー1と言ったところか。江戸時代には夏の風物誌として、金魚と同じように天秤棒を肩にして枇杷葉売りが村や町を流していたと言う。
 だがこの木を家に植えると不幸が襲うとも言われている。以前にも書いたが尾張一宮の旧家の旦那衆が我が家へみえた折にも、敷地内に枇杷を植えてはいけませんよと言われた。どうして健康にいいと言われている木を自宅に植えてはいけないのか。どうして金になる枇杷の木があると不幸になるのか。一宮の旦那衆が言うには、枇杷の木は病気によく効くという評判の木だから、道にあるとすぐ葉や実を取りつくされて木が枯れてしまうらしい。無事育つのは屋敷の中しかない。そこで枇杷がある家は評判になり近隣から病に冒された人々が枇杷の葉を欲しいと詰めかけて来る。毎日のように重病患者やその家族が訪れると、対応した家のものにいずれ病気がうつる。そして家じゅうの者に伝染する。最後にその家は途絶える。だから家敷内に枇杷の木を植えてはいけないそうなのだ。これは少し前の話で、薬がありあふれている現代では枇杷の木の葉や実が取りつくされてしまうなんて話は聞かなくなっているが、昔から言い伝えられた話らしい。

枇杷の木
 実は枇杷の木は我が家にはないが、僕のアトリエから7~8m離れた隣家の庭にこの木が植えてある。もう60年近くになるかな。僕が物ごころついたときから枇杷の木が植えられていたことを記憶している。上記の一宮の人の話が本当ならば敷地内の分からないところへこっそり植えるのが一番だが、成長すると高くなり外から見えてしまう。僕のようにこっそり、そのおこぼれを戴いているのが一番いいのかもしれない。「それで山彊先生は無病息災なのだ」一度我が家に来て、隣家の枇杷の木を見て頂戴。
写真上:隣家の枇杷の木(僕のアトリエから撮る)

 ところで7本足蛸の飯野郡はもう明治の初め、飯南郡に名前が変わり、今は松阪市の飯高町になっている。不思議なことにこの飯高町は海から30kmも離れている。なのにどうして蛸の話が存在するのか。いくら強い蛸といえども日頃生息している海から30kmも2本足で歩いてくることは無理がある。妖怪だから可能と言えばそれまでだが。だがこういった妖怪民話は必ず語られる必然がある。誰かが(支配者やお年寄りが多い)民や子孫に何かを伝えたいときに作られる。ここ飯野郡は海から離れていたから海へのあこがれがある。そこで獲れる蛸なんて、大御馳走であろう。だが運搬も大変で高価であったり腐敗していることもある。郡を支配する役人や年寄りは民や子供達に食べてほしくない。そこで広められたのが死体を食べる蛸話であるまいか。近くには眼が一つ足りない妖怪一目連の話もある。悪餌を食べる7本足の蛸という話を広めれば誰も恐れて食べないのではと判断したのであろう。


スポンサーサイト
カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR