妖怪屋敷 第22弾 猫VS犬 犬を食べていた大須の人たち

妖怪屋敷 第22弾 猫VS犬
犬を食べていた大須の人たち

 2008年の北京オリンピック前、北京では猫の大虐殺があって、数十万匹の猫が殺傷された。これに対して国民から大きな反対運動が起こったと、ネットの記事に書かれてあった。中国では犬や猫を食べる習慣があると聞いている。猫まで食べていると分かると、西洋のマスコミにどう書かれるか分からず、野蛮な国と非難を受けることを恐れて猫を殺してしまったのだろうか。また住民は何故反対したのか。動物愛護の精神からかわいそうだと反対したのか、はたまた自分たちの食料となる猫を勝手に奪うなということなのか。
 中国に限らず韓国やアジアの国々でも、犬や猫を食する習慣がある。だとしたら何故猫だけ殺され、犬は殺されなかったのか。こういった疑問については残念ながら書かれていなかった。

 現在の日本では犬猫を食するというと、残酷だと動物愛護団体から非難を受けそうだが、時代をさかのぼれば珍しいことではない。
大須観音 江戸時代
 江戸時代の名古屋でも犬に関した面白い話がある。大須観音から東にあたる仁王門通りには、多くの見世事物小屋が並んでいた。写真右:江戸時代の大須観音
 1818年、ここで狼に犬を襲わせ、食べさせるショーがあり、見物者でにぎわったという。マングース対ハブのショーならぬ狼対犬ショーだ。(いずれも人間のお金儲けのために殺されるのだから可哀想なものだ) 不思議なことにこの頃、大須の街の野犬がほとんど見られなくなってしまったという。犬とりが捕獲して見世物小屋へ売り込んだのかとの噂が立った。だが、狼に食べさせるには消えた犬が多すぎる。犬が危険を察して逃げだしたのかとも言われたらしい。「消えた犬の謎」などと街の瓦版が面白おかしく記事にしたようだ。庶民は大体分かっていたようだが、事の真相は次のようだ。
 この1818年の二年前、大阪から名古屋にかけて大洪水があり、作物は大被害を受け、尾張地方は飢饉状態になっていた。この年九州ではイナゴの大発生があり、江戸では疫病がはやり、駿河では一揆が勃発と、日本のあちこちで災難があり、尾張藩を助ける余裕はなかった。そこで飢えた人々はこっそりと犬を殺して食べたようだ。「わー、残酷」と思ってはいけない。犬公方の綱吉が出るまでは犬を日本人も食べていた。姫路城では料理したらしい犬の骨が多量に見つかっているし、薩摩では犬の内臓をかき出しその中へお米を詰めて焼く正式な料理方法もあったという。
 1818年と言えば勿論犬公方の時代より後のことであるから、一般的には犬を食べてはいけないとされていた。世間体を気にする名古屋人、あるいは大須人は犬を食べていることを隠しておきたかった。しかし飢饉は死活問題だ。世間に知れなければ家の中では何を食べていてもいいという精神から、こっそり食べていたようである。
 この地で戦後喫茶店が日本で一番流行ったのは、この世間体を繕う精神からだと言われている。客が来ても家の中がどうなっているか、知られなくて済むため接客用に喫茶店を使ったのだ。

大特価キハダマグロ 少し話はそれるが、以前NHKが日本の各都市で一番よく食べられる魚類ランキングを発表していた。それによれば東京は本マグロ、名古屋はキハダマグロがそれぞれ1位であった。ちなみにキハダマグロは油くさいこともあって東京のべスト10にも入っておらず、名古屋では東京で1位の本マグロが高額のためベスト10にも入っていなかった。写真左:名古屋のスーパー、マグロ売場(ほとんどがキハダ)
ケチな名古屋人はまず他人に知られない家庭内の食ベ物からケチる。「本マグロとキハダマグロは違うのですか」。キハダは名前がマグロでも値段は本マグロの半値以下。名古屋はこれが主流だが、宵越しの金は持たないと言われる東京では、スーパーでキハダはほとんど見られないと言われる。名古屋人にとっては家で食べるのだからマグロの字がついて赤身で安ければ何でもいいのだ。そんなわけで江戸時代もお金のかからない野犬を食べてもいたのだろう。
 そのくせ江戸時代に犬を食べる朝鮮人が通信使とし長崎から東京まで行く行列を見ると、野蛮だと見下していたらしい。大須に犬がいなくなったのは明らかに人間に食べられているからと分かっても、それを公にするのははばかられたのだろう。こんなところにも名古屋人が世間体を気にして「私は犬なんて食べてませんよ」と見栄を張っている様子がうかがえる。

小猫を集め大猫にする
 こうして見ると犬の歴史は散々だったが猫は華々しい。中国で猫は、夜目が利くので妖怪や悪霊を追い払うと信じられているらしい。日本では妖怪にさせられている猫が、中国では妖怪の番犬代わりになっているのは面白い。
また日本では『枕草子』の「上にさぶらふ御猫は」では猫は従5位の位を与えられ寵愛を受けているのに、その猫に跳びかかった犬の翁丸は打ち据えられて半殺しの目にあっている。人間を食べた猫もいた。『徒然草』には「奥山に猫又という妖怪がいて、人々を襲い食べていた」と記されている。藤原定家の『明月記』には「猫腭が一晩で数人の人間を喰い殺した」とでている。浮世絵には猫百景として絵が取り上げられているし、歌川國芳は『流行猫の曲鞠』を、歌川芳藤は『子猫を集め大猫にする』等の画集までも出している。写真右:子猫を集め大猫にする

ベルギー猫祭り
 西洋ではベルギーで3年に一度『猫祭り』がある。これは、15世紀から18世紀にかけて行われた魔女狩りの際、魔女の手下と思われた黒猫を高い塔の上から落して殺したことから、それらの猫を悼んで行われる祭りで、世界各地から観光客が訪れる。黒猫が魔女的な雰囲気を持っているというのは、やはり日本の化け猫にも通じるところがある。ここでは猫は受難の時代は散々だったが、今は復権を果たし、世界中の人を引き寄せている。今年2012年はちょうど3年目に当たり、5月13日の猫祭りの日には、400人近い日本の猫ファンが見学に訪れたということだ。その多くが女性で、猫好きはやはり女性に多いらしい。写真上:ベルギーの猫祭り 2012年(ちなみに日本以外のアジアの国からの見学者は、ほとんどいなかったという)

 幽霊と言えば圧倒的に女性が多く、化け猫も女性が変身したものだ。その猫が復権しているということは、女性の力がますます増大していることになる。今夜あたり、我が妖怪屋敷に化け猫が出そうな気がしてきた。くわばら、くわばら。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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