佐久島とダリと船頭重吉

佐久島とダリと船頭重吉
・佐久島を日本のサルバドール・ダリ島にしたら?
・佐久島のアートに何故「重吉」を使わないか?


ダリ作 秋のパズル
 10数年前、一色に住む知り合い(水野克宣さん)に佐久島へ招待された。「この歴史の残る佐久島をどうにかして観光のスポットにしたいが」と言うのが、僕の招かれた理由だったように思う。その折、この島の出身者には船頭重吉がいて、この男はジョン万次郎より50年も前に船が難破して484日間太平洋を漂流してからイギリス商船(実際はアメリカ)に助けられたと知らされた。乗組員のほとんどは漂流中に壊血病で亡くなり、残ったのは重吉等3人だけであったという。体験内容はジョン万次郎よりはるかにすごいと水野さんは言う。この船頭重吉で島興しができないかということでもあった。当時の僕は超多忙で重吉に係わるには時間がなかったし、重吉のことも全く知らなかった。また彼は一般的に言っても知らない人がほとんどで、そのことでこの島を売り出すには少々無理があるのではと思い、他に何かいいセールスポイントがないかを探ったものだった。島の御堂にはおっぱいのある木製の仏像が安置してあり、日本国内にはこの仏像ほど大きな胸を有した仏像はないそうだ。だから不妊症や胸を大きくしたい女性が拝みにやってくるとのことだった。僕は重吉よりこのほうが売り出すにはおもしろいと思った。ところが水野さんはとても紳士的で真面目な人で「とんでもない」と言う顔をされたのでこのアイデアは却下した。写真上:ダリ作「秋のパズル」1935作(身の回りの風景を入れている)

ダリの故郷のカダケス海岸
 その翌朝島を歩いて僕は興奮を覚えた。海岸が以前歩いたスペインのダリの住居のあるカダケスそっくりなのだ。地獄で出くわすような岩や石、「まさに日本のダリ島だ」と思った。興奮して「重吉もいいが、ダリ島で宣伝した方が手っ取り早いですよ」と話した。記念に数個の見本の石も拾った覚えがある。しっかり売り出し方を説明したつもりだが、ダリも知らずスペインにも行っていない水野さんには、なぜ僕がこのように興奮して喋っているか理解できなかったようだ。見慣れた岩だからその凄さに気付かなかったのかも知れぬ。写真左上:ダリの屋敷前に広がる海岸の一部

海岸佐久島 写真右:佐久島の海岸風景
 この佐久島は昨今、アートの島として芸術家たちの注目を集めるようになってきている。愛知トリエンナーレの1年前に県から合計1億のお金が県芸、名芸、名造形の3つの大学に渡され、教授や学生、その大学の卒業生などの美術家が50万円から30万円を製作費としてもらい、その中の多くのメンバーがこの佐久島に渡って作品創りをやった。やっとダリ島のおもしろさに気付いたなと僕は内心喜んでいた。ところが創られた作品は佐久島の特長を引き出したり、生かしたりするようなものは全然なく、どこで出しても変わらないようなものだった。ダリの絵に登場するような岩に注目したり、船頭重吉を作品に取り込んだりした者は一人もいなかった。芸大の教授達はこの島に無関心だったのではないか。佐久島と言う場所を与えられたなら、その地を最大限に生かす作品を創ってしかるべきだと思う。そのやる気の無さを僕は嘆いていた。お金をもらって適当な作品を創り、それらをごろごろ並べただけでは、世間の注目を引かない。大金をどぶに捨てるに等しい。瀬戸内海の直島などの島々に比べるとやはり作家たちの力の入れ方が違う気がする。

佐久島の岩佐久島の小石
      写真左:佐久島の岩       写真右:佐久島の小石 
 
 そんな折、水野さんから西尾市(佐久島は現在この市に属する)の図書館で『佐久島が育んだ船頭重吉』の講演(2011,11,27)をやるという連絡を受けた。重吉研究家の村松澄之氏の話であるという。僕は船頭重吉がもう世間の評価を受け、西尾市の役人や学者が誇らしげに会場に並ぶと思っていたが、思惑が外れた。そういった関係者は誰もいなかったし、西尾の市民すら船頭重吉を知らない人がほとんどだった。それに加え驚いたのはあれだけ世話になった芸術大の関係者や、佐久島で作品を創った作家たちもほとんど出席していなかったことだ。
 
 船頭重吉が市民権を得ることを願って頑張っておられる村松澄之氏や水野さんに大変感銘を受けた。高齢になられたお二人を助け、船頭重吉をジョン万次郎以上に知らしめようとする方が現れることを願っている。僕も今、日本画家雪舟の後を追い、彼に関する本を執筆中だ。雪舟に新しい光を当てて、日本美術文化史を塗り替えてみたいと思っている。

スポンサーサイト
カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR