東日本大震災は天災だが福島原発は人災だ

<東日本大震災での芸術家の無力を痛感>
大学の原発エリート学者、まず謝れ!

 日本を襲った未曾有の大災害、東日本大震災。被害に遭われた方々に何をすればいいのか。長いこと美術に関わってきた者として募金をすることぐらいしかできない自分に歯がゆさを感じている。この様な災害に対し芸術家の持つ創造というプロセスでやれることは少ない。歴代の芸術家たちを観ても無力であったことが分かる。それでも戦争を例に挙げ少し語るなら、ナチスがスペインの町を無差別の空爆をしたことに対して、その怒りをぶつけてピカソが描いた「ゲルニカ」や第二次世界大戦中に「反戦画」を描いて特高警察に捕まり牢獄された画家たちを挙げれるだろうか。しかし地震、津波といった自然の脅威には怒りをぶつける対象はない。

 だが、その中でも福島原子力発電所の事故は半ば人災と言えるのではないだろうか。今朝の新聞にもあったが、最初に水素爆発した1号機について東電が「20年使ったら埋める」と言っていたのに、国は引き続き使用を許可し40年も使わせたとあった。原発に関する専門的なことはわからないが、他にも危険なことが行われていたのではないだろうか。それを絶対安全と言いきってきた東電や国の責任は大きいと思う。
 
 今回の大災害で、気になるのは、テレビ等で原発についてのコメントをしている大学等のエリート教授連だ。あなたたちが企業や政治家に許可を出し(なにも反対せず)原発施設を造らせておいて、よくものうのうと災害コメントを言えるものだなあということだ。建設当時、素直に原発に対する意見を言った学者は大学から追い出されているだろう。美術関係の大学でも権力者へ尾を振らなかった者は、学内に残っていても永久に非常勤講師のままだ。学長になったりエリート教授になるものは学生らを顧みず、授業料集めだけに熱心で、ひたすら権力者にゴマをすって昇進していく。
 せめて今回、マスコミに出る教授や企業お抱えの学者はコメントの前にまず謝ったらどうか。新聞にも書かれていたが地震プレート近くに立地する福島原発など造らせた議員や経済界の大物達が悪いのは当然だか、彼らに隠れて関係ないふりをしている学者にも怒りを覚える。(前任の教授がやったことでという顔をする教授もいる。その前任者にゴマをすりあなたは昇進したのだろう、同じことだ、と言いたい)


久国寺正門
 地震と言えば、規模は違うが私の6歳の折の出来事を語りたい。当時我が家は名古屋の北区清水町で酒問屋を営んでいた。敗戦の一年前でも商売は忙しく女中さん(この言葉は死語だが、当時はそう呼ばれ、小さい子供がいれば、子守りや乳母の役割もしていた。今でいえばお手伝いさんか)と私は近くの久国寺(400年前に徳川家康が絡んで建てられた)で遊んでいた。
写真右:久国寺ここの参道には大きな燈篭が数十本たち、かくれんぼ等をするのに都合がよかった。ここであの三河地震(東南海地震)が起きた。昭和19年12月7日の13時36分のことである。
 大きな揺れがきて燈篭が全て倒れ、お手伝いさんがよろけながら私を小道の中央に引っ張り出し難を逃れた。あの折、死んでいたかもしれないと思うとぞっとする。この折の死者は3177人、家屋全壊は20807戸であったとか。子供心にあの恐怖はずっと残っている。
今この寺には岡本太郎作の長さ20センチ程の角が数十本くっ付いた鐘が吊るされている。

写真下:岡本太郎作の鐘岡本太郎作鐘
 1965年に吊るされたものだが、何か因縁じみたものを感じる。除夜で聞かれるこの鐘の音が面白い。角があるから音が小さく震え、お釈迦さまが「地獄だぞ、角の生えた鬼が来るぞ」と警告しているようだ。今回それぞれの港町に流れた防災アナウンスとかぶって思い出された。「地獄の津波が来るぞ」と。きっと恐怖で震えながら呼びびかけていたに違いない。
この震える太郎の鐘、今回の被災地に吊るしたら怒られるかもしれない。「ふざけるな!」とでも言われそうだ。芸術の難しさをここでも感じている。

※別件だが3月で応募が締め切られることになっていた「Dアートビエンナーレ」は延期になりそうだ。名古屋でみているとやれそうだが、東北や関東ではとんでもないという情報が入っている。全国平等な出品にしたいのに、当の東日本の作家が出せないのは主催者側として申し訳ない気がする。財団の堀会長や小山登美夫さん、シンワアートの倉田社長さんとも図るのだが秋に延ばした方が無難だ、となりそうだ。どうなるか数日後の掘科学芸術財団のホームページを観てほしい。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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